子供の質問

アダルトチルドレンと教えてもらい、それからの日々の事など。

"楽しみもしないし、期待もしなくなった"

アダルトチルドレン(AC)の私には、

ある "ストッパー" があります。

 

困ったことに、そのストッパーによって、私は折角自分で "やりたい" と感じた後に、ブレーキをかけてしまうんです。

 

しまうんです…と言ってみたものの、具体的にイメージ出来るようになったのは、ここ数日のこと。

 

やりたい=アクセル

私はアクセルを踏みつつも、同時にブレーキまで踏んでしまっている…

 

そんな風に感じることが非常に多いんです。。

まるで、 "楽しんではダメだ…!" そんな自分の声が聴こえます。

 

走り書きですが…

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私は上にあるような感情の矢印を、

子供の頃の家庭で繰り返し体験しました。

 

所謂モラハラ夫=父が居た私の家庭内で一番分かりやすいのは、テレビのチャンネルでしょうか。

 

チャンネル争いというのは、どこの家庭でもあると思います。笑

 

しかし、私の家では父が絶対的な権限を握っていました。

どの番組を観るのかも、チャンネルを変えるタイミングも、

父次第。

 

…1つの番組を見続けてくれれば、そこまで苦じゃありませんでした。が、全て父の気分次第。

 

CMが入る度にチャンネルを変えるんです。

最初に付けた番組が自分の観たい番組で無くとも、しばらく観続けていればテレビ世代の私は夢中になって観ます。

しかし突然チャンネルを変えられる…

 

父は…

1つの番組を観続けられない…いえ、

チャンネルを変えなきゃ死んじゃう病気か何かかと疑ったものです。

 

チャンネルを変えちゃ、テレビに向かって文句を言い、

テレビに映る人を差別し、機嫌が悪ければ家族に難癖をつける…。

 

テレビのチャンネルはまだ "可愛い" もの。

 

…嫌な記憶がたくさんありますね。

 

何度も話していますが、

家族でお出かけをするのを楽しみにしても、帰りの車内で突然に戦争が始まりました。

 

ピリピリとした雰囲気、

父は母を攻撃し、

母は悪くもないのに「すいません」と言い、

兄は下を向く…

 

そのせいで、1日が台無しになるんです。

楽しみにしていた1日が、まるで悪夢のような1日に突然に変わるんですよ。

 

でも子供の私は気付きました。

 

(楽しみにするから、

期待するから、

突然ひっくり返された時に悲しくなっちゃう。)

 

年子の兄がどうだったかは知りません。しかし、

私はもう耐えられなかったんです。

 

自分が生きていくには、心をなるべく乱さないように、心が壊れてしまわないように、

 

なるべく

 

楽しみにしない。

期待もしない。

 

楽しみにしてても、期待してても、

思いも寄らないタイミングで壊される。

 

…一種の防衛本能、かも知れませんね。

 

 

私はナタデココが大好きなんですがね、

たまにフルーツポンチなんかに透明の四角いものが入っていると、

(ん?もしや、ナタデココかな?)

とワクワクしちゃうんです。ですが…

それはナタデココでは無く、寒天だった。。という経験が割とあります。苦笑

 

しかしそれが何十回、何百回と続けば、

おそらく私は疑ってかかると思うんです。

 

そして寒天の場合が殆どだったならば、

もうナタデココでは無いだろうと考えるでしょう。

ナタデココだと楽しみにして口にすると、全く食感の違う寒天だった時のショックを味わいたく無いからです。

 

 

防衛本能という面で見れば、ある程度必要なものかも知れません。人間関係では特に、過度な期待は誤解を招く引き金になり得ることがありますから。

 

しかし、自分の "やりたい" ことにストッパーをかけてしまうのは如何なものかと思うのです。

先の防衛本能というのは、ACで無い人も持っているものです。ACの私が抱える問題は、まさに

 

楽しんでは "いけない"

期待しては "いけない"

 

なんです。

困ったものです…。

 

子供時代、自分の心を助けるはずだった、

家庭内で過ごすために必要だったスキルが、

 

折角生まれた自分の欲求にさえ、ストッパーをかける…足枷となっているんです。

 

 

ストッパーが現れた時には、

お気に入りのダンスミュージックでもかけて、

ブレーキを踏む足を緩めたいもの。

 

でなければ、

 

前に進みませんからね。

ACの生きづらさは気質の問題か?

こんな本を見つけました。

 

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「敏感すぎる自分を好きになれる本」

著者: 長沼睦雄

青春出版社

 

HSP気質…というのをご存知でしょうか?

H(High)

S(Sensitive)

P(Person)

 

直訳して "とても敏感な人" 

最近ネットでも記事になるようになった、HSPという言葉。記事を見た時、自分はHSPだな…と確信を持ったものです。

 

しかし、なかなか関連の書籍に出会うことはありませんでした。というのも、未だ日本ではHSPという言葉が認知されておらず、精神科医でも知らない人が多いそうなんです。

そんな中で冒頭の本を見つけた時は、とても嬉しかったですね。

 

一口に「敏感」と言っても、HSPの持つ敏感の対象は人によって様々です。

音や光、感触、電磁波、空気感、人が何を考えているのかが分かってしまう…etc

トータルに敏感な人も居れば、ある1つの感覚が抜きん出て強い人も居るそう。

 

更には、HSPの中には

HSS(HighSensationSeeking)

=刺激を大いに追い求める

 

相反するように見えるHSPとHSSを併せ持ったタイプの人が居るというのです。

そんな "HSS型HSP気質" の存在も、分かりやすく紹介されていました。

このページで印象に残ったのは、

"社会に適応するため、対外的にはHSSの外見で過ごし、1人になると本来のHSPに戻る" タイプの人も居るということ。

 

(あ〜…分かるー…涙)

思わずそう感じましたね。。

 

本を読んだ感想は…

とても読みやすく、HSP気質の方が抱える問題や生きづらさに対して具体的な解決策も書かれてあるので、非常に前向きになれました。何より、敏感であることは長所であり、そして

 

"HSPだから生きづらいのでは無い"

 

ということ。

 

アダルトチルドレン(AC)とは逆ですね。

ACの場合はよく、生きづらさの原因は自分がアダルトチルドレンだからだった!…なんて書かれ方をされます。

 

ACについてブログを書いている私が

今回HSP、HSS型HSPについて書こうと思ったのは、生きづらさを解消するためには自分の気質を知る必要があると思ったからです。

 

なぜ

"HSPだから生きづらいのでは無い" のか。

 

それは、著者の言う通り、HSPというのは「気質」であって生きづらさの原因では無いからです。

生まれ持った敏感すぎるという気質があるから

=生きづらい、…という訳では無いということ。

 

本を読んでとても好感を持ったのは、

最後の章でした。ぶっちゃけ…泣きました。

 

最後の章というのは、

"あなたの身近な人が「とても敏感な人」だったら"

…つまりは非HSPの人に向けてのもの。

 

その中でも多く出てきた言葉は

「子供」、「親」、「先生」など。

 

HSPの子供に対して悪影響を与えるのは、親や学校の先生の "支配欲" なのだと。

 

そうした支配欲を感じ続けたHSPの子供(非HSPの子供が感じない事まで感じ取ってしまう)というのは、自己肯定が出来ず自信もなく、自我も育たないというコース…をたどるのだと。

 

ACの問題に重なります。

 

変に納得がいったんですよね。

どうして自分はACなのか…

人の中でビクビクしてしまうのか、

人と過ごした後にとても疲れてしまうのか、

 

ACと言っても、人によって育った家庭環境は違うし、大変な苦労を強いられ育った人でもたくましく生きてらっしゃる人も居る現実…

なぜ兄のように生きられないのか…

 

それはやはり私にしかない気質があり、

気質自体は何も悪いものではないけれど、

敏感な気質故に家庭内で自分を守るためにやってきたこと…それらが知らず知らずの内にACに成るコースを辿ることになってしまったのだと。

 

 

よく思ったものです。

自分が、鈍感であればどんなに楽に生きられるだろうと。

 

しかし、鈍感であれば気付かなかったことというのは沢山あります。

 

父が母を攻撃する時、

よく理解出来ました。

 

父が帰宅した、玄関の扉を開ける…

まさにその時から感じていました。

 

父がどのような精神状態で、

ナイフのような言葉を放つ度に、

母が父から目を背ける度に、

 

糸がどんどん絡まるような

色が混ざり混ざって濁ってしまうような

 

居心地の悪さ

気持ち悪さ

これからどうなるのか

それを自分はどうすべきなのか

 

そして家庭内の問題を変えられなかった

父を変えられなかった

母を変えられなかった

両親の仲を取り持つことが出来なかった…

 

それらの後悔は大人になっても付いて回り、

全て自分のせいにしてしまいます。

 

ACの問題に加え、色んな事に敏感な故

体調を崩したり、周りが出来ることがすごく難しかったり…

本に書いてあったことは、

"先ずは自分がHSPであることを認めること"

 

私がAC問題について考えていたことと同じでした。

先ずは、認めること。

 

HSP気質であれ、他のどんな気質であれ、

自分の気質…

自分自身を知り認めることは、自分を生きていく上で非常に大切なのだと改めて感じましたね。

 

 

☆作品紹介 「!?」第3話

チイサイカイシャ ウェブマガジン、

"モンスター" にて連載中の「!?」。

第3回が公開されました。

 

http://www.chiisaikaisha.com/monster.html

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今回は未だアダルトチルドレンという言葉も知らない、精神科にも行っていない、

私が東京から戻って古着屋で働いていた頃の話です。

 

はっきり言うと、統合失調症の初期と思われる症状…

いえ、幻視や幻聴が始まった当時の事について描いています。

 

四年前のことを振り返り原稿を描き、

今は不思議な事に、四年前描いた絵をリメイクしています。

 

ウェブマガジン "モンスター" 。

新連載も続々と始まったようですので、そちらも是非ご覧ください◎◎◎

大きな声にビックリするAC

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2016.9.2

 

昨日、久しぶりにカラオケに行きました。

ヒトカラ=1人でカラオケ です。

 

決して上手くは無いのですが、

ヒトカラは好きです。

東京にいた頃も、色んなネガティヴに襲われること、落ち込むことが度々ありましたが、そんな時はよくカラオケに行っていました。もちろん1人で。

 

私の父に対して、私が一番狼狽えてしまう…ビビってしまうのは、父の「声」です。

 

普段から声が大きい父ですが、怒鳴り声や母を攻撃する時に出る声というのは、本当にビックリしてしまう声量であり、加えて顔の表情も恐ろしいものです。

 

しかし、働いていると、父に負けないくらい大きな声を出す方も、もちろんいらっしゃいます。

怒鳴り声はもちろんですが、なんてこと無い普通の会話でさえも、声の大きい人というのは、私にとって苦手なタイプです。完全にビビってしまいます。

 

父の怒鳴り声がトラウマになっているACの私には、そんな他人の声ですら、トラウマを呼び起こす引き金になってしまうことがあるんです。

 

昨日私は3時間、カラオケボックスに篭りました。

そして、思いっきり歌いました。

 

思いっきり声を出した…と言った方がいいかもしれません。

 

腹式呼吸=お腹から声を出すと、人間はとても大きな声を出すことが出来ます。実をいうと、私自身も元々声が大きい人間なんです。

 

しかし、なかなか声の調整というのが難しい…

よく、「声が大きいよ!」なんて友達に言われたものです。特にヒソヒソ話なんかしてる際は。ヒソヒソと小さな声で相手に聞こえるように話すというのは、難しい…。

 

何でしょうか…おそらく私は自分の声の大きさにコンプレックスを抱いていたようです。

友達に言われた言葉もそうですが、元々母親の後ろに隠れるような大人しい性格もあってか、声を必要とする会話は、難しい…それなのに声は大きい。

相手の声量に合わせようとすると、今度は声がスカスカになって、加えて滑舌もイマイチなので、よく聞き返されることが多かったり。

 

昨日、マイクを取って歌い出すと、ビビってしまったんですよね。驚いてしまいました。

 

自分の声量の大きさに。

 

決してマイクの音量が大きい訳じゃないんです。

カラオケに入ると音量を設定するのが私のお決まりなんですが、マイクと音楽は大抵 1:1 にしています。

 

お恥ずかしい話ですが、私は昨日久しぶりのカラオケで、自分の声の大きさに驚いて泣き出すという事をしばらく繰り返しました。

 

しかし、

"あ、コレは慣れる練習になるな"

 

とも思いました。

 

もしこれから父と対面すれば、今の私は攻撃的な言葉をぶつけてしまいそうな不安がありました。

 

大人の私が抱いた "憎しみ" があるからです。

忘れていたはずの、過去の家庭内での父の言動を思い出したからです。

 

しかし歌を歌う…

メロディーに乗せて歌うことは、決して誰かを傷付けることではありません。

 

https://instagram.com/p/BLDd1TNAseI/

上のリンク先には、昨日歌っている私の動画をアップしています。

 

Superflyというアーティスト…

私は19歳の頃、UKロック…とりわけ60年代のロックに夢中になっていました。その時好きだったのはジャニス・ジョップリン

 

彼女の影響を受けたのが、Superflyのボーカル越智志帆さんでした。

 

Superflyの「いつか私は歌をうたう」という曲が好きで、昨日初めて歌ってみたんです。

 

"いつか私 歌をうたうの。

幸せな人にしかうたえない。"

 

冒頭のこの歌詞が、すごく好きなんです。

キーを落とさないと歌えないのですが、それでも歌えて心地良くなりました◎

 

歌を歌うというのが、嫌い、或いは苦手な方も多いと思います。私のインスタグラムのフォロワーさんの中にも、学生時代バカにされて歌うことに抵抗があるという方もいらっしゃいます。

 

だからこそ、お勧めしたいのがヒトカラなんです。

自分1人しか居ませんから、何でも出来ます。笑

 

心の中の想いをマイク越しにとりあえず叫んでみるというのも、なかなかスッキリします。

アパート、もしくは実家ではなかなか出来ませんからね。

 

お腹から声を出すと…腹筋も鍛えられます。(キリッ!

 

喉は使って居ないと、どんどん使えなくなるな…

と昨日感じました。最近は引きこもってばかりで、出掛けるとすれば病院やお習字くらい。

 

朝の起きがけ…非常に声を出しにくいのは、喉がまだ休んでいる状態だからなのだそう。

夕方辺りになると普通に声が出せるのは、食事や人との会話を通してすっかり慣れた状態にあるからなんだそうです。

 

少しずつ、他人と会話をする機会も増やしていきたい所…

大きい声が出せるというのは、ある意味武器でもあると思うんです。例えば私の場合は…

父と口論になった時ですね。

相手の声にも狼狽えず、父に負けないくらいの大きな声を出す力があるというのは、心なしか頼もしい気持ちになります。

 

自分の声に驚いて泣き出してしまう今は…まだ無理かも知れませんが、準備しておくのは1つの手だと思います。

 

最後に…

 

https://instagram.com/p/BLDfx6yAHyx/

こちらはポケモンの曲。アニソンです。

初めて挑戦した「OK!」という曲です。

 

私がカラオケで必ず歌うのは、アニメソング。

大抵「ONE PIECE(ワンピース)」関連を歌うことが多いのですが、「魔女っ子メグちゃん」などの世代違いの物も、気に入れば歌います。

 

アニメソング、お勧めですよ。

 

小さい頃、アニメを観て育った方は多いでしょう。

カラオケではアニメの映像が流れる曲もあるので

(よく映像で感極まって泣き出してしまいます。苦笑)

 

とても懐かしい気持ちになりますし、何より歌詞が前向きで気持ち…テンションを上げてくれるように思います◎

 

自分との対話

今、久しぶりにキャンバスに絵を描いています。

 

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(手に持っているものは、アクリル絵具の乾きを遅らせるアイテム…!元々油彩を習っていた私には、アクリル絵具の乾きの速さには凍りついていました。

コレを使えば、油彩のようなタッチで、キャンバスの上で混色をすることが出来ます。)

 

 

四年前、幻視・幻聴という統合失調症と思われる症状に苦しんでいた時に描いた絵。

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実は、上のような状態で時が止まっていました。

中途半端なキャンバスのサイズのためか、街の公募展には出展出来なかったのです。

 

しかし、小学生の頃からの行きつけの画材屋さん。

そこの店主が、隣街の公募展なら出展出来ると、教えてくれたのです。

 

高校を卒業して描いたものを出展するのは初めて…

木の簡易的な額装しか知らない私に、店主は色々と教えてくれて、額を作ってくださることになりました。ありがたい…

 

中途半端な過去の絵をどうするのか…

 

私の頭には

「先ずは壊す」

 

コレしかありませんでした。

"壊さないと始められない"

 

【ペインター】の口癖でしたね。

 

上の状態から、

 

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こうなって、

 

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こうなり、

 

次には

 

 

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こうなりました。

 

 

何が起こったと思われる方も多いでしょう。

しかし、私はずっとこんな描き方をしています。

ほんの数時間…いえ、時には数秒で絵が変わるのが、私の特徴かも知れません。

 

今回リメイクしたいと思ったのは、「顔」です。

 

周りのものは、四年前に視えたり聴こえたもの。

それはあまり崩したくない…というか、壊す必要は無いと思いました。

 

四年前の感じていた景色に、

今、統合失調症アダルトチルドレン、更には抑うつ神経症

様々な問題や病と向き合った、今の自分の顔を合わせてみたいと思ったんです。

 

楽しい…んですよね。

 

久しぶりでした。楽しいと感じたことも、

イーゼルに鏡を引っ掛けて、

自分の顔をまじまじと見ることも…

 

普段なら鏡なんか見たくない私でしたが、

何故でしょうか…

高校時代、自画像ばかりを描いていた自分が出てきたように思います。【ペインター】です。

 

描くときは

自分の顔が醜いだとか、

目のたるみだとかシミ、シワだの、

それら老化に悲しむことも無く、

まさに「冷静」に、自分を見ることが出来ています。

 

気がつくと、1人で話していましたね。

独り言です。

 

"頬の回り込みには緑色が見えるよ"

"目の位置はもっとこんな感じでね"

"はみ出すくらいが良いんだよ。後で何とでもなるんだから。"

 

 

それら全ては、

紛れもなく私の感じたことであり、

思ったことであり、

考えであり、

 

ちゃんと、私自身の意見なんです。

それを感じれたことがすごく嬉しかった…。

 

私は他の誰でも無い、

誰にも指図されなくとも、

誰にも見張られていなくとも、

誰かの意見に影響を受けることも無く、

 

自分で自分の感じたことを表現出来る…

紛れもない、私自身の

 

「楽しい」と「嬉しい」でした。

 

大きな一歩と共に、

まずは四年前の自分と統合すること…

そんな目的が見つかった制作です。

 

折角額を作っていただくのですから、

頑張って締め切りに間に合わせなくてはいけませんね。笑

 

でも、あくまでそれは緩い縛り。

 

大切なのは、この制作を通して自分にどのような変化が生まれるのか…

それが楽しみです◎◎◎

 

過度な心配が招くものとは?

 

私の父は、物事を大袈裟に話したがります。

おそらく、話すだけでなく大袈裟に物事を受け止めていると、私は感じています。

 

よく父が話していたことは

"いつも最悪の結果を想定しているから、俺は失敗しない"

 

これが、大嘘だと私が気付いたのは、つい最近でしょうか。

 

いえ、父にとってはそうなんでしょう。

最悪の結果を想定しているからこそ、それを防ぐために努力をする…

おそらくそのように伝えたかったのかもしれません。

 

しかし、子供の私は違った受け止め方をしました。

 

"失敗しないためには、いつも最悪の結果を想定しなければいけない"

 

そう受け止めた子供の頃の私は、出来る限り最悪の結果をイメージします。

その後には…

いつも大きな不安に襲われました。

父の真似をしているのだから、これがネガティヴ思考だなんて思いもしなかった。

 

私は長らく、ネガティヴ思考をする訓練をしてきたようなものです。

父の言うことは、仕事であれば理に適ったことかも知れません。トラブルを未然に防ぐために、あらゆる悪い結果も想定して動くことは大切なことでもあるでしょう。

 

しかし、まだ小学校、中学校…自分という人間を作り上げる子供時代には早過ぎました。

 

いつの日か…

失敗しないように、

父に怒鳴られないように、

母が怒鳴られないように、

 

そうするためにはどうしたらいいのか

最悪の結果を防ぐためにはどうするべきなのか

 

…確かに仕事においては、この姿勢が助けになることもありました。些細な事でも気付ける、見逃せません。

しかし、助けになったことよりも困らされたことの方がずっと多く、この姿勢は日常生活にまで首を突っ込んで来ます。

 

自分でも止めたいのに止められない…

 

よく言う強迫概念の1つでしょう。

私が毎日のように家庭内でのトラウマをフラッシュバックしてしまうのも、長らく "最悪の結果" をイメージする訓練をしてきたからだと今は考えています。

 

"失敗したらどうしよう…"

 

これは誰もが持つものだと思います。

大事な試験、人生においての大きな決断、行動に踏み切る際には、誰でも多かれ少なかれ抱く不安ではないでしょうか。

 

しかし、大切なのはその後。

勇気を出して乗り越えるために、不安を抱えてでもそれを突破する力です。

 

その力というのは、体力もそうですがやはり精神面の強さだと私は思うんです。

想像する=イメージする力です。

 

"失敗したらどうしょう" そう考えた後に、

それでも成功する自分をイメージするのか、或いは

"まぁなんとかなるだろう" とイメージするのか、

はたまた、

"絶対に失敗するに違いない"とイメージするのか。

 

いつも最悪の結果をイメージする私は…

お分かりでしょう。最悪の結果をイメージしているのですから、失敗すれば思った通りになったと感じます。

その後に "思ったほどの失敗では無かった!" とプラスに働けば幸い、しかし大抵の場合はその後の更なる悪い不幸を思い描いてしまうのです。

 

 

父は非常に心配性な人であるとも私は考えています。心配性であるからこそ、失敗に対しての恐怖が大きいのでしょう。

仕事が上手くいかない時などは、不機嫌になり怒鳴り散らすという特徴と同じ位、「どうせ俺なんか…」と落ち込み、普段自分が攻撃している対象=母に対し、慰めや同情を求めることが非常に多かったです。

…これもまた、モラハラ夫の典型ともいえるでしょう。

 

父自身のことなら、さほど影響は無かったと思います。しかし父の心配性な部分というのは、他人にも向けられるものでした。とりわけ家族の中でも娘の私に対しての心配な部分というのは大きかったのでしょう。それは私が中学時代、性犯罪に遭ってから、とてつもなく大きなものに変化したと感じています。

 

"父が怒鳴るようなことをしてはいけない"

 

その私の禁止事項には、ごく自然と

 

"父に心配をかけてはいけない"

"父を悲しませてはいけない"

 

これらが加わりました。

 

 

父はこれまで、私が失敗をしないように、あれやこれやと世話をしてくれました。

共依存の記事でも話しましたが、それらは私にとって "余計なお世話" でした。

 

失敗をしない人はいません。

私は失敗を恐れ、更には失敗を "し損ねて"、大人になっても失敗することに対してとてつもない恐怖を抱いているのだと思います。

 

まだシャツ縫製の仕事をしていた頃です。

仕事を辞めることにしたと父に話しました。

 

父は私がニートになると思ったのでしょうか…

 

「もう家を売るしかない!おい、家を売るぞ!」

 

母をまくし立てました。

 

私は耐えきれず、辞めることを止めたんです。

 

当時一緒に働いていた喫煙仲間のお姉さんは、

「え?おかしくない?だって別に飛鳥ちゃんが一家を支えている訳じゃないよね?お父さんもお母さんも仕事してるんだよね?…おかしい…」

 

不思議そうな顔をしていましたね。

私も不思議でした。

不思議でしたが、父のイメージした "最悪の結果" は、ごく自然とイメージ出来ました。

 

おそらく、父は自分が働けなくなった後の事を考えていたのでしょう。単純に。

 

私は何も、一生働かないとは言っていません。

すぐに次の職場を探す気でした。

 

私自身、何を言っているんだと父に対して思っていました。しかし父を悲しませては "いけない" と信じ込んでいたので、こういったやり取りで自分の決めたことを断念した事は沢山あります。

 

過度な心配を受け続けると、

子供は何も出来なくなります。何も出来ない…それは自分が無力だという思い込みよりも

 

"身動きが取れない"

 

それに似ているものだと私は考えています。

 

やりたいことがあろうがなかろうが、

いつも親からの禁止事項で包囲されていまっている状態です。

 

アダルトチルドレンの中には、身体的虐待とは無縁のような方もいらっしゃるでしょう。

私もそうです。

 

心理的虐待とも言い難い、親から大きな世話を受けて育った人間というのは、社会で苦労します。

失敗をし損ねた分、それは年齢と共にプレッシャーのような形で襲いかかることもあるでしょう。

自分はなんでこんなことも出来ないんだ…と落ち込み、気を病む事もあるかも知れません。

 

私は、少しずつ出来ることを増やすよう意識しています。

出来ないのは "当たり前" だと信じる事も必要でしょう。信じた後は、出来るようになるために少しずつ練習を重ねることです。

 

落ち込むのではなく、気を病むのではなく、

まだまだ伸び代があるのだと前向きに考えることです。

 

以前の職場に転職した際、入社当初私はよく言われました。

「もう、落ち着きがないわね!」と。

 

新しい事を前にすると、ワクワクしてしまうんです。いつもに増して多動になります。

感嘆詞が多く、動きも落ち着きがなく…苦笑。

 

26歳という年齢、見た目とのギャップが大きかったのでしょう。

 

少し落ち込んだのを覚えています。笑

しかし、それだけでした。

 

相手の方とは、日が経つにつれ上手く話せるようにもなりましたし、新しい縫製を覚えるのに1人残って練習する姿を見て頂いていたんでしょうね。

 

 

少しずつでいいのです。

自分の決めた決断を成せなかったアダルトチルドレンは多いと思います。

 

少しずつ、階段を登るように生きていければと

私は今意識して生活しています。

見捨てられ不安

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アダルトチルドレンの心の中には、

子供時代、そして今でも多かれ少なかれ持っている不安の1つとして

 

「見捨てられ不安」

 

コレがあるんじゃないかと思います。

 

心理士さんのカウンセリングを受ける際、

私は父のことを悪く言うことはあっても、母に対してはほとんどありません。

最近では父のモラルハラスメントについての母の回復を話したりしています。

 

しかし、心理士さんは

 

"あなたはお母さんからも傷付けられた"

 

釘を指すように、私に話すんです。

 

私が母に依存してしまっていることは、これまでの記事でもお話してきましたね。

私はどうやら、今でも大きな「見捨てられ不安」を持っており、色んな物・事への依存に発展していると感じています。

ACの様々な依存症については、また後日書こうと思いますが、今回はアルコール依存症の夫、或いはモラハラ夫が居る家庭での、母と子の関係について私の体験をお話出来ればと思います。

 

 

「見捨てられ不安」…

親がアルコール依存症だの何だの、色んな機能不全を抱えた家庭の子供は、そんな環境でも生き延びようとします。しかしどこにも行く当てが無いと、大きな不安に襲われます。私がそうでした。

身体も小さく、出来ることも少なく、1人で生きていける訳がありません。子供なんですから。

 

私の父は毎晩お酒を飲み、お酒に頼るような日もありました。食卓で家族が気に入らない言動をすると…いえ、キッカケが何なのかも、こちらとしてはさっぱり理解出来ない状況で、突然不機嫌になり、怒り、怒鳴り、家族を攻撃しました。

 

一番攻撃を受けていたのは、私の母でした。

 

まずお話すると、"見捨てられ不安" …

私は父に対しては持っていません。

束縛、過保護とも過干渉とも表現出来ない、ねちっこい私への態度は、むしろ放っておいて欲しいという思いの方がずっと大きいです。

 

私が見捨てられ不安を抱いている相手というのは、

「母」なんです。

 

もう、小学生くらいの頃には、

私は気付いていました。外…学校や友達と過ごすことによって、自分の家庭がいささか「異常」であることに。父の振る舞いが身勝手であることに。

モラルハラスメントという言葉を当時知らなくとも、明らかに自分の家庭の違和感に気付いていました。

 

しかし母は違うようでした。

 

"昔はみんなこんな家庭だった"

 

繰り返し、私は言い聞かされました。そして、父から再三攻撃を受けているにも関わらず、母を心配する子供の私の話にも、父のその言動に対し

 

"許してあげて"

"お父さんは仕事が大変だから"

"私は大丈夫だから"

 

何度も、何度も、

そんなやりとりを母と交わしました。

 

明らかに、

母は父に構っていたんです。

振り回されていた、マインドコントロールされていた…色んな表現が出来ると思います。

しかし、その過度な私の父…夫への関心からか、恐らく見えていなかったのだと思います。

気付けなかったのだと思います。

私と兄の不安や違和感に。

 

男親…というのは娘に甘いと聞きます。

私の父もそうでしょう。そして

女親…というのは息子には甘いものです。

 

母は、年子の私と兄を平等に扱ってきたと話しますが、私から見るとやはり違って見えます。

 

兄も、私と同じように母が大好きです。

思春期に入っても、大人になっても、兄は子供のように母と話します。そんな息子に対し、母はとても嬉しそうな、幸せそうな顔をするんですよね。

 

兄が私に話したことは

「俺が家に居た頃は…一番父親を嫌っていたのは俺だった。」

 

兄にとっても、母の存在はとても大きく、色んな事を頑張れたのは、母の笑顔を求めて…という部分が大きかったのではないかと私は思うんです。

父は滅多に…人を褒めることはありませんから。

 

 

子供時代の私としては、

正直な所、胸の内を話した所で、母には

"構ってもらえない"

"真剣に聞いてもらえない"

"不安や涙を受け止めてくれない"

 

そのような思いが常にありました。

話した所で、先に話したようなやりとりに発展するからです。父の事を持ち出してくる時もあれば、兄と比較されることもありました。

 

高校時代、ひどい食欲不振が続き、早起きして作ってくれたお弁当に手を付けられず、母に返却すると

「なんで食べないの?お兄ちゃんは綺麗に食べて返してくれるのに!」

と、よく怒られたものです。

 

本当は…

そんなこと聞きたくなかったんです、私は。

なぜ食欲が出ないのか、ご飯が食べれないのか自分でも分かりませんでした。だけど食べれない日は、だいたい前日に父が母を攻撃した日でした。

 

枕元が煩くて寝不足で、5時起き、5時台の電車に乗って遠方の高校に向かう。授業中も居眠りをし、保健室や自分のアトリエ(油彩室の一角)にフラッとサボりに行く日もありました。

食べたり食べなかったりで、お腹の調子も悪く、胃薬や風邪薬をひどい時は毎日服用していました。

 

そんな学校生活も、もちろん母は知り得ません。

 

私は段々と、大丈夫なフリをするようになったんです。無理をするようになりました。

 

クラスメイトの中に、今でも会う友達が居ます。

彼女はよくじゃれ合ったりするんです。

抱き締めたり身体を触ったり…私は身体を触られるのが苦手ですから、最初は彼女のそれらから身を避けるようにしていました。

しかし心が不安定な時、

「あすちゃーん、どうしたの?」

 

悲しい顔でも私はしていたんでしょう。

彼女は正面から抱き締めてくれました。

 

泣きそうになったのを我慢した事を、今でも覚えています。

 

明らかに、私は愛情が足りなかったのだと今思います。私に注いで欲しい、独占したい母の愛情を、

いつも父や兄に取られてしまっていたんです。

 

いち早く、父に対するような思いを母にも抱ければ良かったのかも知れません。

しかし出来ませんでした。

 

インナーチャイルドストーリーでお話したように、

母と兄と3人で過ごす時間、母と2人で過ごす時間というのは、父が居る食卓…そこで感じる緊張感とは程遠い、穏やかな時間と環境と安心感でした。

 

母はモラハラの被害者ではありますが、精神的に強いというか、ある意味では鈍感というか、献身的というか…

明るく優しく、

ロマンチストで女性らしい人です。

 

そんな母に愛してもらいたい、構ってもらいたい、褒めてもらいたい、良い子だと思われたい…

そのインナーチャイルドの叫びは消えることなく、いつも私の中にあります。

 

一番強いのは

 

"母に見捨てられたくない"

 

というものかも知れません。

 

明るくポジティブ思考の母は、私のネガティヴな発言を聞くと明らかに嫌そうな顔をします。

つっけんとんな態度を取ることもあります。

 

その度に…

"ごめんなさい。お母さんごめんなさい"

"頑張るから、頑張るから、もっと頑張るから"

 

子供時代の私の感情が溢れ出してしまいます。

 

この記事を書く直前も、私は泣き出してしまいました。まだまだ、根深い「見捨てられ不安」を感じている証拠です。

 

 

私のブログのアクセス解析を見ていると、

 

モラハラ夫      子供への影響」

そんなキーワードでたどり着かれた方もいるようです。子供への影響を心配されているお気持ち、私は素晴らしく嬉しく思います。

 

モラハラといえば、離婚を勧める書籍が多い中、離婚をしないテーマで書かれてある書籍やブログもあります。今、私の母も、後者のブログを通して回復しています。

 

しかし、私がモラハラ夫を持つ、子供さんを抱えるお母さん方に伝えたいことは、

心身ともにご自身の状態を理解することと、子供さんの話に耳を傾けて頂きたいという事です。

 

ご自身が無理をされて、悲しい顔をしていれば、子供は気付きます。しかし、子供は気付かないフリをします。

離婚を勧める書籍が多いのは、子供の成長に悪影響を及ぼすリスクが高いからです。

 

離婚をしないのであれば、何が何でも子供を守って欲しいです。離婚をしないという強い決心があるのであれば、子供に悪影響を与えないという強さも、身に付ける必要があるということ。

 

後者の方が、難しいでしょう。

子供の成長は早いものです。

 

しかし早いからといって、"一時だけ" とお母さんが我慢し続ければ、モラハラに気付いた子供…

胸の内を隠した子供は自分が受けた傷を隠し続け、私のようにアダルトチルドレンになる…

あるいは夫のような感情のコントロールが効かない大人になり得ます。

 

結婚も子育てもしていない私があれこれ言えるものでも無く、失礼である事は承知ですが、

アダルトチルドレンは非常に生きづらい…

自分の感情、考え、行動が他者の言動によって簡単に揺れ動き崩壊する。。

 

そんな大人になって欲しくは無いと、

私は切に願うんです。

 

今は女性が強い家庭が多いとは聞きますが、

そんな家庭ばかりでは無いでしょう。

 

現にモラハラというキーワード、関連ページや書籍は沢山出回っています。

 

子供の小さな変化に気付いた時は、

是非寄り添って、抱き締めて、2人っきりでお話して頂きたいです。