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子供の質問

アダルトチルドレンと教えてもらい、それからの日々の事など。

【ドリーマーとロスト】彼女との関係

彼女とは、小学校からの仲でした。どうやって友達になったのかは覚えていませんが、ごく自然と仲良くなったんじゃないかと思います。お互い絵を描くのが好きで、私も彼女も夢は漫画家でした。お互いのことを「仲良しのライバル」と呼んでいました。

「私達って仲良しのライバルじゃない?」

はじめに言ったのは私でした。彼女も気に入ってくれました。しかし、私は次第にこの「ライバル」という言葉が苦手になってしまいます。争うことが嫌になってしまうのですが、彼女は私をライバルとして見ていました。当時流行ったサイン帳には

"あんたにだけは絶対に負けてられないわ"

そんな彼女のメッセージか綴られていました。ライバル心を感じます。「はっきり言って下手」…そんな言葉を彼女から受け取ったこともあります。

私は自分の得意といていた事がありました。
お習字を習っていたので、字を書くことと絵を描くこと…この二つは周りの友達や先生からよく褒めてもらっていました。ぽっちゃり体型で運動はまるでダメ。更に勉強も苦手だった私には、唯一得意げになれることでした。

しかし、Sちゃん…亡くなった彼女にはいつも負けていました。彼女は綺麗な字を書き、絵も同い年とは思えないくらい、大人びていて非常に上手でした。「飛鳥ちゃんの絵の方が好き」…そんな風に言ってくれる友達も居ましたが、私は劣等感を感じていました。それでも、お互いの家を行き来する関係は変わらず、いつも2人で絵を描いていました。

彼女との関係に変化があったのは、宿泊訓練で班決めをする時だったでしょうか。四、五年生くらいだったと思います。男女六人の班を作る際、女の子三人のグループに分かれなくてはいけませんでした。
二人の友達が一緒になろうと声を掛けてくれました。普段から仲良くしてくれていた二人でした。お家に遊びに行ったことも家に来てくれたこともあります。私は声を掛けてくれたことがとても嬉しくて、喜んでいました。

しかし、それはSちゃんへの裏切りになってしまったのかも知れません。彼女は私と班を組みたいと、泣き出してしまいました。先生からなだめられる彼女を、私はただ見ているしかありませんでした。その後宿泊訓練に行ったのですが、今でも思い出されるのは、仲良しの二人と挑んだ肝試しなどの楽しかった思い出と、浮かないSちゃんの表情です。

小学校六年生くらいだったでしょうか。クラスが二つに分かれました。彼女とクラスが別々になった私は、変わらず絵を描いていました。ぽっちゃり体型も、あまり喋らない性格も変わらず、みんなが休み時間外に元気に遊びに出る中、教室で黙々と絵を描いていました。「寂しい」と感じることはありませんでした。絵を描いている時間はとても楽しかったですから。

しかし、そんな私を心配したのか、当時の担任の先生はなんとか私をみんなの中に入れようとします。別に私はいじめられているとか、みんなの中に入れないわけでもありませんでした。みんなとは普通に話も出来ます。私は自分で1人を選んで大好きなお絵描きに夢中になっていたのです。

「あすちゃん、みんなと遊ぼうよ!」そうやって私を引っ張り出す姿がどう見えたのか、クラスの中から「飛鳥ちゃんが可哀想だ」という意見が出るようになりました。

今となっては、それが先生の狙いだったのかも知れません。次第に私は粘り強い先生に負け、みんなと過ごす時間が増えました。口数も増え、口を大きく開けて笑うようになりました。最初は運動がまるでダメな自分はお荷物になるに違いない…そう思っていたスポーツも、少し楽しめるようになりました。

その頃にはSちゃん…彼女と2人で過ごす時間は少なくなりました。会えば変わらずお絵描きをする仲なのですが、2人で居る時に私が他の友達の話をすると

「わたしあの人キライ」

彼女は決まってそう言いました。その度に、私はどうしていいか分かりませんでした。関係ない父の姿も浮かび、私はただ黙っていたと思います。

彼女との距離は、その後離れていく一方でした。

私から離れていった…と言った方がいいのかも知れません。

中学になると、私は新しい友達を作るのに夢中でした。三つの小学校が合わさり、クラスは4つに分かれ、友達も増えました。興味のあることも、恋バナやファッションなど、増えました。休み時間は友達とワイワイ盛り上がりました。しかし、Sちゃんとは三年間同じクラスになることはありませんでした。


中学時代、家の愛犬(ケン)が、彼女の手を噛む事態が起こります。彼女からケンを引き離すため、私の母は足首を縫う怪我を負ってしまいました。躾がなっていないと言われればそれまでなのですが、彼女は食事中のケンの尻尾を撫でて噛まれました。ケンが尻尾を触られるのを嫌がることを彼女に伝えていなかった私が悪いのですが、常日頃から彼女の動物に対する扱いに、私は苛立っていたのかも知れません。彼女の家に遊びに行った時も、彼女は飼っている猫に対する扱いが乱暴で、

「尻尾を引っ張ったら可哀想だよ!」
「…大丈夫だよ。いつもやってるもん。」

そんなやり取りもありました。

それからでしょうか。彼女について知らず知らずのうちに、私は冷めた態度を取るようになってしまいました。一方で、勉強も出来て絵も上手い彼女を尊敬していました。書道の書き初めコンクールでは、私は中学でも彼女に負けていました。彼女の書いた綺麗な文字を見て、悔しい思いもありましたが、大人びた文字にすごいな…と感心していました。

クラスの違う彼女と学校で顔を合わせるとしたら、美術室でした。一年生の頃から、お互い美術部でした。最初は仲良く描いていたのかもしれません。しかし私はいつしか席を離れて他の美術部の友達とワイワイ過ごすようになりました。そして三年生になり部長を決める際、必然的に部長は彼女でした。真面目でしたし何より絵が上手い。それは私も分かっていました。しかし、副部長を決める際、名前が挙がったのは私でした。先生からお願いされると私は

「辞めます」

そう言って、美術部を辞めました。仲のいい友達が居る美術部を辞めたくありませんでしたが、彼女の二番目というポジションが、相当嫌だったんでしょうね。彼女に対してライバル心を露わにしたのは、この時が初めてでした。ライバル心というより、ただの意地かも知れません…それが彼女の目にどう映ったのかはわかりません。

彼女は市内で1番難易度の高い進学校へ、
私は芸術を学ぶ遠く離れた太宰府の高校へ進学しました。

中学を卒業して彼女と再会したのは、休日の電車の中でした。私は部活の帰りにたまたま、彼女と再会しました。何故か彼女は私に敬語でした。彼女が勉強についていけてないと苦笑いしていたのを覚えています。

高校を卒業した私は、博多の会社へ就職しました。

働き初めて一年とちょっと。会社の経営が危なくなり、リストラが始まったことがキッカケで、私は憧れの東京の専門学校への進学を決めました。

上京する際、風の噂で聞いた「Sちゃんは東京の美大に通ってる」それを思い出し、久しぶりに会いたくなり彼女の実家に電話をかけました。よくまぁ、呑気に電話が出来たと今でも自分に呆れるのですが…その時に彼女のお母さんが話してくれたことを、忘れられません。

「あら、飛鳥ちゃん?久しぶりね〜。そうそう、今ね、Sちゃん東京に居るのよ。会いたがってると言ったらきっと喜ぶわ。Sちゃんね、飛鳥ちゃんの高校の卒業展示会?見に行ったのよ。飛鳥ちゃんには会えなかったみたいだけどね、すごいなぁ…って言ってたわ。」