【フラワー】「あんしん、あんしん」
上の写真に写っているイラスト、この子供は
これまでのインナーチャイルドストーリーを読んでくださった方は、私の過去に対して悲しいイメージを抱いてしまったかも知れません。
しかしこのフラワーは、そんな悲しい世界とは程遠い…生まれた星が違うんじゃないかと思うくらい、家の外では明るく楽しい時間を過ごすことが出来たインナーチャイルドです。
フラワーが経験したことは、本当に書ききれないくらいあるんですが…ただの思い出話をしても何ですから、「アダルトチルドレン」に関わってくる出来事に絞って書いていきたいと思います。
フラワーは私が高校を卒業し、約2年間会社で働いた期間です。私は写真を撮影するスタジオで、フォトレタッチャー(写真の画像処理をする人)として働いていました。
まずお話したいのは、フラワーが過ごした「環境」と出会った「大人」です。
この二つは、他のインナーチャイルド達にも良い影響を与えました。
【ペインター】が高校で身に付けた "物を観察する力" は写真合成に生かされ、【ピエロ(ゴースト)】の失った自尊心は会社の方々に大事にされたことによって回復しました。【child】の抱えていた恐怖もまた、会社の方々から受けた愛情で安心感に変わりました。
これによって家の外でのフラワーは、他のインナーチャイルド達の "ネガティヴ" や "マイナス感情" に苦しむことがほとんどありませんでした。これは簡単に言うと、ありのままの自分で過ごせた時間が多かったということ。
ネガティヴな感情が生まれても、それはフラワーただ一人のものなので、感情同士が複雑に絡み合うことなく、自分の一つのネガティヴにだけ向き合い、乗り越えれば良かったのです。
私が撮影スタジオに勤めての職場の印象は、
「自由」
でした。他の言葉で言うならば良い意味で「ゆるい」職場でした。ガチガチに時間が決められているわけではなく、お昼の休憩も1時間"くらい"。
お昼に歯医者さんに行って、戻って昼食をとって、帰りは歯医者に行っていた時間分残る、とかそういった具合。
仕事中はイヤホンで音楽を聴きながら作業していました。
スタジオの中も、よく音楽が流れていました。
それまでパソコンはあまり触ったことがありませんでした。もちろん写真に対しての知識も皆無です。映像メディアという選択授業をとっていたものの、興味があった位で、出来ることは何一つありませんでした。
そんな私がなぜ就職することが出来たのか…
もうこれは運が良かったとしか言いようがないです。就職を希望していたものの、高卒で入れる会社はそうそうありません。フリーターになるんだろうなと、思っていました。そこに突然高校にかかってきたのが、撮影スタジオの社長からの電話でした。
担任の先生は血相を変えて
「美術を勉強した子を探してるそうだぞ!」
そして就職出来たのですが、会社が私に与えてくれたのは
"勉強しながら働ける" 環境でした。
そして、会社の方々は大変親切に接してくれました。高卒の子を雇うというのは、会社としても初めての試みだったようで、最初は物珍しそうにされていました。
社会人として大人と一緒に過ごす時間は、最初は苦労しました。同い年の同期の子はコミュニケーションに長けていて、バイト経験もあり大人と話すことに抵抗がない様子でした。私はてんで駄目。絵ばかり描いてきたので、会話をすることが本当に苦手でした。歓迎会の飲み会では一人黙々と箸の袋で折り紙を折ってしまうほど…。
しかし、このコミュニケーション上手の出来た同期と、歓迎会の一人折り紙が功を奏したのか
「ちょっと変わった子」という印象を持ってもらえました。
たどたどしく話しても
お昼休みにお絵描きに夢中になってても
職場の方々は優しく見守ってくれているようでした。次第に絵を見て感想を言ってくれるようになり、職場の方のタンブラーに絵を描かせてもらったこともありました。
高卒…という右も左もわからない年齢というのも大きかったかも知れません。
何か失敗をしても怒鳴られることはありませんでした。注意を受けることはあっても、上司は否定しません。むしろ、守ってくれました。
フォトレタッチ…とりわけ色を補正する仕事には「感性」が重要視されました。
そして上司は私の感性を否定することなく、指導してくれます。
絵を学んでいたことから、撮影小道具に大きな世界地図を描かせてもらったことがありました。スタジオに流れる音楽の中で、紙いっぱいに絵を描かせてもらったことは、今でも忘れられない経験の一つです。その撮影では、モデルの子供達が楽しそうに、私の描いた地図に色を塗ってくれました。
私は今の会社で若年者向けのセミナーに参加しました。そこで講師の方が話してくれたのは…
会社から
"必要とされている"
"大事にされている"
そう思えると、働く人の心に生まれるのは職場に対しての「安心感」だということ。
しかし撮影スタジオの職場で私が受け取ったのは、職場に対する安心感それだけではなく、それまでの辛かった体験で失いかけていた「生きたい」という気持ち…
「自分は生きていていいんだ」
という、もっと大きなものでした。