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子供の質問

アダルトチルドレンと教えてもらい、それからの日々の事など。

その完璧主義は本当に自分のものか?


アダルトチルドレンの特徴としてよく書かれる

「完璧主義」

…この記事では完璧主義について、私の考えを書いていきたいと思います。



私は完璧主義です。
そして私の父もまた、完璧主義です。


しかし私と父の完璧主義には、どうにも異なる「色み」を感じます。

…分かりにくいですね。説明すると、その完璧主義を「実現」出来るかの違いがあります。

もちろん「完璧」なものというのは、存在しません。ここで書く「完璧」は、「納得できる結果」と訳してもらって構いません。


私は完璧主義を実現するのが非常に難しいです。
父は完璧主義を実現してしまいます。

これから同じ完璧主義を持っている私と父でなぜ違いが出るのか、私の考えをお話していきましょう。

まず私について…
私は完璧主義であるが故に困ってしまうことが多々あります。簡単に言うと完璧主義を捨てたい時があります。完璧主義を止めたいと思うのです。

完璧主義というのは、会社などの組織では重宝されるものの、一方で煙たがられることがあります。人から距離を置かれるのです。完璧主義であること、それは「こだわりが強い」と受け取られることがあります。私はいつもその場の空気を読みたいと思っています。我が我がと仕事をしていては、チームの輪を乱すことになりますから、私は意識的に注意しています。

しかし完璧主義を捨てることは非常に難しく、なかなか止められません。
私は不完全なものに美しさを感じる美意識も持っていますが、「完璧にする必要はない」…心でそう思っていても止められないのです。結果、身体に指令を出すはずの脳みそで迷っているうちに完璧主義を実現出来ない、あるいは身体は勝手に動くけれども、脳みそではその身体の動きを止めようとするため、ただ悩み苦しんだだけの後味の悪いことが結構あります。


一方で父は、完璧主義を実現してしまいます。
完璧にこなしてしまうのです。

先の私の問題点で言えば、会社などの組織で重宝されるものの、人から距離を置かれやすいでしょう。
チームの輪を乱す言動もします。しかし結果的に完璧にこなしてしまうため、会社としては父の完璧主義というのは大きな武器になります。

父の特徴は、自分の完璧主義に自信を持っている点です。迷いがなく、どんどん前に進みます。

しかし父の完璧主義には大きな犠牲が伴います。
犠牲者は父の周りの人間です。父は周囲の人間に対しても「完璧であること」を求めてしまうのです。
そして完璧でない人に対し、否定したり罵声を浴びせたりします。

完璧な人は居ません。もちろん人を傷付ける父もまた完璧ではないのですが、本人は全く気が付いていません。これもまた父にとっては "幸い" なのでしょうが…傷付けられた人間は嫌な思いをします。


さて、私の完璧主義に話を戻すと、私はある事に気が付きました。

自分の中にある完璧主義というのは、本当に自分のものなのかということ。

簡単に言うと「やりたくてやっているのか」ということ。
…自分が望み完璧主義の旗を自ら掲げているのか?ということです。

そうして考えたところ、自分でやりたくてやっている時もあれば、やりたくないのにやってしまう時があることに気が付きました。

やりたくて完璧主義をやっている時の私は、おそらくいい表情をしているでしょう。
しかしやりたくなくて完璧主義をやっている…
つまり完璧主義を "やらされて" いる時は、かなり表情が曇っていると思います。


なぜ完璧主義を "やらされて" やってしまうのか。
やりたくないのにやってしまうのか。

それは子供時代に父から完璧であることを求められたからだと考えています。完璧であるように努めないと、頑張らないと、叱られたり怒鳴られたり、母が責められましたから。


アダルトチルドレンの中には、親の望む考え方や立ち居振る舞いを強く求められたという方は多いのではないでしょうか。

完璧主義が捨てられないという方は、その完璧主義が本当に自分のものなのか?一度考えてみてはいかがでしょう。

長年にわたり刷り込まれた完璧主義を捨てることは難しいです。

しかしその完璧主義が自分の望まないことだと理解することが出来れば、以前とは違った目線で対処出来ると私は思います。