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子供の質問

アダルトチルドレンと教えてもらい、それからの日々の事など。

うまくやれる

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2015.1.29

 

要領がいい人というのがいますね。

世渡り上手なんて言葉もあります。

 

そんな人を見ると、そんな人の言動を目の当たりにして、凹んでしまうことがあります。

 

"自分には到底できない"

"きっと自分に自信があるんだろう"

"迷いが無いのだろう"

"幸せな家庭で育ったんだろう"

 

そんな「妄想」を、私はついついしてしまいます。

 

要領がいい人というのは、自分を大事にでき、自分のために頑張れる人なのだと、勝手に解釈してしまっています。

 

しかし、そうじゃない。

そう思いました。

 

ある3つの出来事を思い出したからです。

自分のために頑張れた3つの出来事です。

 

まず最初にお話するのは、私が小学生の頃。

当時私の家には柴犬の "ケン" がいました。

私は小さかったのでよく覚えていませんが、おそらく父が飼いたくてケンを連れて来たのでしょう。

父の実家にも犬がいて、名前はタロウ。

母も私も猫が好きでしたが、父は猫嫌いでした。

 

私が小学校低学年のある日、2匹の子猫が家に迷い込んで来ました。キジ猫と黒猫。どちらもとても可愛く、母はついつい2匹に餌を与えるようになります。こっそりと。

2匹の貰い手が見つかるまで、こっそり面倒を見ていました。寒い冬でしたが、ホッカイロと布を入れ用意した段ボールで、2匹は命をつないでくれました。

私は教室の黒板に、飼い主募集中の文字とイラストを描きました。

 

黒板の効果があり、キジ猫はすぐに貰い手が見つかりましたが、黒猫は見つからず、そのままお正月を迎えました。

私は何としてでも、この黒猫を飼いたいと願いました。キジ猫…仮の名で「茶々」と呼んでいたのですが、茶々が貰われて行った日、寂しくて泣きました。

そして何よりも…猫を可愛がる母はとても幸せそうで、猫といる時はいつも笑顔でした。

 

黒猫のことは、「クー」と呼ぶようになりました。

茶々もクーも、女の子でした。女の子…メスは避妊手術をしなければいけない、 "誰がその金を出すんだよ" と父は言います。そこで当時の私が提案したのは

「お年玉でクーの手術出来るかな?」

 

実際いくらかかったのか分かりませんが、私は貰ったばかりのお年玉を両親に渡し、クーは家族になりました。

 

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クーは私が二十歳になる数日前まで生きてくれました。子供時代、私は何度も彼女に救われましたね。

 

 

 

中学3年生の時です。

高校受験、受験校を決めなくてはいけませんでした。学校では山のように高校のパンフレットが配られました。それらに目を通した結果、私の頭の中にあったのは一校だけ。そこに行けないなら、働いて家を出ようと決めていました。

それが、県内唯一の芸術科のある県立高校。

私が美術…芸術の世界に触れ、【ペインター】が過ごした学校でした。

 

しかしその高校というのは、田舎にある私の家からはとても遠く、母を通して聞いた父の意見は

「ダメ。絶対駄目。無理。」

 

その後体験入学に参加した私は、高校の教諭の質問コーナーに、ある賭けをしました。質問は事前に用紙に記入したものを教諭が選んで読むというもの。

私は教諭が答えたくなるような質問を1つ考え、用紙に書きました。それが

"漫画家になれますか?"

というもの。

そして教諭は私の思惑通り、これに答えました。その答えの "予想" も当たりました。要は、"漫画を描ける時間は無い" という教諭のその答えを、私は待っていたのです。

 

体験入学にはかなりの人数の中学生が参加していました。目立つのはいかにも大人しそうで漫画家志望の子…芸術科の美術で学ぶことはデッサン、漫画を描くにあたり必要なデッサン力を求めている子が多いことに気付きました。

私はその子達を蹴散らしたかったのです。

何を隠そう、自分が受験に合格することを望んでいたのです。

教諭の答えに、参加した子たちがどのような反応を示すのか、私は観察していました。

 

そしてその後、転機が訪れます。

 

父がアキレス腱を切り、入院することになりました。お見舞いはもちろん、私は母の携帯電話を借りて父にメールを送るようになりました。

励ましの文の後には、自分がどれだけ志望校に行きたいのか、その想いを綴りました。

粘り強く説得した結果、私は父から許しを得たのです。

 

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( 合格発表を見に行った日)

 

高校に行かせてくれたことは、両親に対して感謝してもしきれません。芸術科には別個で教材費が必要だったり、何かとお金がかかりました。しかし

【ペインター】が生まれ、私は自信を持つことができ、自分を表現する技術を身に付けることが出来ました。

 

 

 

最後にお話するのは、上京を決めた時のこと。

会社の経営が危なくなり、リストラが始まりました。大好きな先輩達が辞めていく中、私は憧れていた学校を思い出します。そして私は文化服装学院への、夜間への進学を決めました。

しかし、自分の中で決めただけ。父から許しを得るためにどのような手を使えばいいのか、悩んでいました。

 

東京、そして一人暮らしというのは、両親が経験したことのない未知のものです。とりわけネガティヴ思考の父の頭の中には危ない場所、娘が一人暮らし出来るはずがないという考えがあったのでしょう。

 

嫌なこともたくさん言われました。

「またヤられるぞ!(またレイプされるぞ)」

「俺から逃げるためか?ああ?!」

 

しかし私はいちいち傷付いてはいられませんでした。願書の〆切が迫っていますから。

 

そのうちに、文化服装学院から招待状が届きました。文化祭のお知らせでした。そこである策を、思い付いたのです。東京に何度も出張に行っている父にだからこそ、可能性が高い、ある提案を思い付きました。

 

その晩も説得していましたが、父は聞こうとしません。父が寝室に行ってしまう、その時

 

「…だからさ、一緒に文化祭に行こうよ。東京のこと色々教えてくれん?」

 

突然の娘からの誘いに、父は困惑した様子でしたが、確かに嬉しそうな表情が見てとれました。

その瞬間、"うまくやれる"

私はそう確信しました。

 

文化祭のファッションショーは素晴らしく、私は感極まって客席で涙を流していました。

日本でトップのファッションの学校…その大きさを感じたのは父も同じだったでしょう。

 

 

 

私はその後、受験に合格し、上京することが出来ました。転職した今の会社では、学校で学んだことに助けられることがしばしば。何より、東京では世界を知り、日本を感じ、ファッションを学び、かけがえのない友人達に出会うことが出来ました。

 

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2013.9.6 (東京へ1人旅行)

 

 

私はアダルトチルドレンです。

生きづらさを抱えて、毎日過ごしています。

自分のために頑張れる人を羨ましく感じることがあります。

 

しかし、今回お話したかったことは、

自分のために頑張ってきた自分がいたということ。

 

本当に自分のために頑張っている時というのは、

自分が欲しいものに手を伸ばしている時というのは、

誰かの言葉のナイフや、世間からの目なんて、気にならないのだということです。

 

私を含めアダルトチルドレンの人というのは、

自分のために頑張ってきた体験が、ACで無い人よりも少ないだけなんだと思います。

人のために頑張ってきた事がとても多いからです。

 

本当にやりたいことが無い限り、周りの人に合わせてしまう癖が身に付いているのかも知れません。

 

いえ…本当にやりたいことがあった分、私は幸せでしょう。人のために尽くしすぎると、自分の欲求さえ感じれなくなってしまうこともありますから。

 

私は3つの体験を思い出して、嬉しくなりました。

今後本当にやりたいことが見つかった時、私は

「うまくやれる」

 

そんな気さえしています。