子供の質問

アダルトチルドレンと教えてもらい、それからの日々の事など。

ACに向いてる職業とは?

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2011(文化祭にて、夜間部展示のために描いたもの)

 

生きづらさを抱えるアダルトチルドレン(AC)に向いている職業とは、何なんでしょう?

 

私は物作りが好きで学校で洋裁を学び、今、縫製工場で働いています。

 

しかし、向いてないな…と感じることがよくあります。縫製それ自体は好きだけれど、人と協力してやるとなると、いつも空回ってしまうのです。

子供の頃から頭にある

「みんなと同じように出来なければいけない」

これがフル回転します。みんなと言っても、人は一人一人違いますね。しかし私の場合は、ある人の良いところを見つけると、"同じように出来なければいけない" と必死になってしまうのです。

 

さらに、人の動向・言動を予測しすぎたり気を遣いすぎたりしてしまい、そうなると本来の自分の仕事である縫製に集中出来ない。もしくは手一杯になり気が付いた時にはもう体も心もヘトヘトになってしまっています。

 

会社としては縫製の仕事が出来ていれば問題ないでしょう。人のことをあれこれ気にせず仕事が出来ればどんなに良いだろう…私だってそうしたいです。

ですが出来ないのです。なぜなら

人目を気にしないと、生きられなかったからです。

両親、とりわけ父の状態に気を配らなければ、家で【安全】に過ごせなかったからです。

 

ACに向いている仕事は、介護などの人を援助する仕事だと言われます。

ネットでAC関連のページを開くと書いてありますし、先日私も主治医から言われました。

 

しかし、物作りが好きで物を作ることを学んで来た私には、介護職というのは未知の世界。

これから介護の仕事に飛び込むというのは、勇気のいることです。

 

人を援助する…という部分は、自分でもやってみたい意欲がありますし、欲求もあります。

「ありがとう」と人から言ってもらうと、大変なこともスッ…と消えて無くなる気さえします。

感謝の言葉であり、それは同時に自分の存在を認めてもらえたような嬉しさがあるのです。

無価値感が常にある私にとっては、魔法の言葉のように感じます。

 

高校はアルバイト禁止、高校卒業後は正社員として働いていたので、私のアルバイト経験というのは東京で昼間勤務していた2つのアルバイト先くらいです。失業保険が割と長く続き、その後1年働いた喫茶店と、その次に1年半働いた子供服のお店の販売員です。先の画像にあるお店ですね。

 

この子供服の販売員は、楽しく働くことが出来ました。悩むことがあったとすれば、一緒に働くスタッフさんとの何気無いやりとりに関してなど。

仕事自体はとても楽しく取り組めました。

 

以前の記事でも触れましたが、私が働いた子供服のお店というのは、婦人服のお店とは違い、商品を売り込む接客はしません。会社から「やらないで」と指示があったくらい。

お店を訪れるお客さんというのは、購入することを決めて来店される方がほとんどなのです。

販売員がすることと言えば、お客さんの「相談」にのること。

 

サイズや色はあるか、

サイズはどれを選べば良いのか、

どのようなデザインが喜ばれるのか、

肌に優しい生地のお洋服はあるか、

etc…

 

外国人のお客さんは特にサイズについて尋ねてこられました。日本人の子供は小さいというイメージがあるのでしょう。

 

ホテルや水族館、アミューズメントパークなども入る複合施設内でしたので、旅行に来られたお客さんの道案内をすることもしばしば。

しかしそれらは、私にとってとてもやりがいのあるものでした。

"お気を付けて行ってらっしゃいませ"

そう声をかけると、

「あなたのお陰で助かったよ!ありがとう!」

と明るい足取りで去って行かれるお客さん達。

 

外国人の方であれば、私は下手くそな英語で

"Have a nice day!(よい1日を!)"

と言いました。すると笑顔で

「you too!(あなたもね!)」

と声をかけてくれました。

 

困っている人とのコミュニケーションというのは、

話すのが苦手という私のコンプレックスを忘れさせてくれる程、やりがいがあり自分でも生き生きしてるな!と感じるものなのです。

 

好きな縫製を仕事にしている今、

自分でやりたいと思い転職した職場。

優しい方も多く、勉強になる職場でもあり、恵まれているとは感じます。

しかしやはり生きづらさを感じてしまうのです。

 

毎日家に帰ると、しばらく動けません。

絶望感でいっぱいの日さえあります。

私がこれまでの職場で感じた「楽しい」とは、一体何だったのだろう?と考える日々です。

 

働くACにとって、生きづらさというものをどれだけ軽く出来る環境で働くか…

それはACで無い人や日常的に生きづらさを抱えない人にとっては理解することが難しいことでしょう。

しかしACにとっては非常に大切なことだと、私は今考えています。

 

辛かった、痛かった、苦しかった、怖かった…

そんな環境から "生き延びた" のですから、これからはACの短所ではなく長所を活かせる環境で働きたいものです。

 

私も…本当はずっとそうしたいと思っていました。

ですが、自分が学んだことは無駄にしては「いけない」気がして、何か1つでも自分が好きなことが含まれる職場であれば、頑張れる「はず」だと思い込んでいたんです。

 

どんなに縫製が好きでも、人の顔色をうかがい、自分の仕事に集中出来ず、集中しようと躍起になり、だけど焦りが強く頭の中でパニックになる…

 

もう何度繰り返したことでしょう。

何度も自分でストップをかけたいと思いましたが、出来ません。

誰かストップをかけてくれないだろうか…仕事中いつだって、半べそかいて願っていました。

 

先日母が言ってくれた言葉…

「精神科で病名を聞いたら」の記事でも書いた

"他の道を選んでもいい"

 

母のこの言葉に、本当に救われたような気持ちになりました。おそらく、言って欲しかった相手、親からの言葉だったからです。

母はこれまでも度々応援してくれてはいました。

しかし私が母から受け取るものというのは、

「頑張って!」

…何度も何度も受け取りました。私はこの言葉はとても好きですし、どちらかというと言ってもらいたい人間です。ですが

"今の環境で頑張って!"

 

いつもそう…聞こえていたのです。

生きづらさを抱えてしまう環境で、あとどれだけ頑張ればいいんだろう。頑張れば生きづらさは無くなるのかな…

そのような疑問がずっとありました。

 

 

今の私というのは、以前のような明るさでは職場で過ごせないでいます。笑顔がつくれない申し訳なさは大変大きいですが、それよりも強いのは

"正直でいたい"

自分に正直でいたいという想いです。

申し訳なさもありますが、自分を守るために振舞っている部分も大きいと感じます。

 

これからどのような環境で、何を仕事に生きていくのか…

毎日考えています。

 

もう周りに合わせて自分の身をあずけて生きるのは、止めたいと考えています。

 

もし自分がACだと教えてもらわなければ、苦しくとも過去を振り返り、自分のインナーチャイルド達と向き合わなければ、

私はこのまま生きづらさを抱えて仕事を続けていた…あるいは自分の命さえ、どのように扱ってしまっていたかわかりません。

 

人のために生きたい

人を手助けしたい

 

そう思いイメージする未来というのは、とてもキラキラしています。

それを実現するためには、間違いなく強い「自分の」意思が必要でしょう。

 

一歩踏み出す勇気が欲しいです。