子供の質問

アダルトチルドレンと教えてもらい、それからの日々の事など。

ACの将来の夢

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2016.1.26

 

将来の夢…というと、子供は大人から尋ねられること、多いですよね。

"大人になったら何になりたい?"

 

私には夢がたくさんありました。将来の夢というよりも、やりたいことがたくさんありました。

 

中学生の頃、仲の良い友達に言われたのは

「飛鳥はいいな〜やりたいことが一杯あって。」

 

美術部の顧問でもあった担任の先生は彼女の言葉を受けて、

「ははは、飛鳥も大変なんだよ。」

 

そう答えたそうです。…先生が何を考えていたのか分かりませんが、これには自分でも頷けましたね。

 

子供時代の私は、夢を描くことが得意でした。

好きなものややりたいこと、なりたい自分を頭の中でイメージすることは簡単。

しかし、それは大人が子供に尋ねる「将来の」夢ではありません。

 

私には将来の夢なんて無かったのです。

いえ、描いたところで自分には手の届かないものだと、諦めていました。

頭の中にイメージするキラキラとした夢というのは、諦めることを前提に描く夢なのです。

 

もっと大切なことが、私にはありました。

もっと欲しいものが、私にはあったんです。

 

それがあれば、それが手に入るなら、

私はそれで十分だったんです。

 

何よりも「温かい家庭」を夢見ていました。

欲しくて欲しくてたまりませんでした。

嘘でもいいから、温かい家庭の子供になりたいと必死に生きてきました。

 

これが、未だに将来の夢を描けない私の原因でしょう。根深くあります。

 

精神が過敏に揺れ動く父を見ていると、

自分の言動で父の精神を壊してはいけない気がしました。

 

父の攻撃に耐えながらも、家族をバラバラにしないように努める母を見ていると、

母に負担をかけないようにしなければと思いました。

 

どこにいても分からない。

何をしていても分からない。

自分が何を欲しているのか、どのように生きたいのか、

それを真剣に考えていいのかも分からない。

 

のらりくらりと流れるように過ごした結果、時間ばかりが過ぎ、最初から諦めて描いた夢を思い出しては、実現出来なかったこと、今後も実現しないであろうと感じ、無かったことのように始末する。

 

自分で自分の将来を「どうでもいい」と放ったらかしてきたからです。

家庭が平和であればどうでもいい。

家庭が平和であることが最優先事項であると、信じ疑いませんでした。

 

家を離れて半年経ち、ますます訳がわからなくなりました。

父の顔色を伺うことも、父の機嫌をとることも、父の自慢話に付き合うことも、父が母を攻撃するそれを止めることも無くなりました。

 

一体自分は何をして生きてきたのか、分からなくなりました。

長らく両親の「お世話」をしてしまっていたのです。争いが起こった時に自分が止めるんだと、そこに力を注いで生活してしまっていたんです。

 

"両親ありき" の人生を、知らず知らずに送っていたんです。自分の人生のはずなのに、どこか他人事、脇役のように生きているのが、今の私でしょう。

 

心理士さんが何度か私に強く言ったことは、

「親が居なくなったらどうするの?順番からいけば親の方があなたより早く死ぬ。その後どうするの?」

 

親が死ねば、「自由」を感じるかも知れません。親が死ぬまでは自分は自由になれないと、これまで私は信じてきました。

しかしおそらく自由よりももっと大きなものは、「絶望」でしょう。

 

東京から福岡に戻り、古着屋を辞めた後の無職の1ヶ月間、私は暗闇の中に居ました。

頑張りたいのに頑張れなかった、挫折によるショックと「絶望」です。社会から必要とされていない、いや社会のお荷物でありゴミであると、毎日私は聴こえないはずの罵声を浴びていました。

 

このままだと、おそらく両親を亡くして私が感じるのは「絶望」でしょう。

 

共依存が続いている証拠です。

 

しかし分かりません。

夢というのは、自分が持っていいものなのか。

 

"夢ばかり見るな"

"夢みたいなこと言うな"

"現実的な話をしろ"

 

子供の頃から聴いてきましたし、父から言われた言葉です。

 

私は、夢を描くことは得意なんです。

すぐにでも浮かびます。

幸せそうな自分の姿が浮かびます。

 

しかしそれは夢であって現実ではない。

想い描くだけでストップした方がいいのか、

父から馬鹿にされ、失敗でもすれば

 

"ほうら、お父さんの言う通りになった"

"お父さんの言う通りにしておけば良かったのに"

"だからお前はお母さんの子なんだよ"

"なんで普通に生きられないんだ"

"お願いだから普通にしろ"

"恥をかかせるな"

 

 

 

父のこのような言葉を思い出す度、

私はどうでもよくなってしまうんです。

"なぜ父にそんなことを言われてまで"

というよりも…

 

そんな言葉を言う父を見たくないんです。

父の口から言わせたくない。

父を「嫌味な人間」にしたくない。

 

 

…こう考えてしまっては、到底自分のことを一番には、考えられないでしょうね。

 

どうしたら良いんでしょう。

父が自分の父で無ければ、その辺にいるおじさんの言葉であればどんなに楽だろうと思います。

他人のおじさんであれば、そんなおじさんの言葉こそ「どうでもいい」と受け流せるのに。

 

 

昨日、母からとても嬉しいメッセージを受け取りました。母にはよく自分の話をするのですが、私は話すのが得意ではありません。母の前だと感情的になり、会話を途中で止めることも、これまで何度もありました。

 

このブログは、実は母も見てくれています。

自分でも予想もしなかったことですが、私はこのブログを通して、母とコミュニケーションが取れているように感じます。文章にした私の言葉というのは、普段感情的になる私の姿しか見たことがない母にとって、確かな娘の知らない一面だったでしょう。

 

そんな母が送ってくれたメッセージ…

正直、とても驚きました。

嬉しいももちろんありましたが、驚いたというのが正直なところ。母からそのような言葉や考えが出るとは、思ってもいなかったからです。

 

夢を応援してくれるメッセージでした。

失敗してもいずれ実になるという温かい言葉。

私にしか出来ないことがあるという優しい言葉。

人と違った生き方をしてもいいという、そんな生き方を認める言葉。

 

 

私は長らく母のことを誤解していたのでしょう。

ずっと、父の教える「しつけ」や「道徳」とやらに重きを置いていました。自分では "間違ってる" 、"そうしたくない" と思っていても。

1つ気付いたことは、母が父から言葉の暴力を受ける…そのような事の前には、母は好きにやっていたということ。

母は自分の思うままにやった、その言動に対し父が勝手にキレて感情的になり暴走する。キレるようなことでもない些細なことで。

 

私はどこかで、

"父から怒鳴られないようにすればいい"

"父の機嫌を見て判断すればいい"

 

そう思っていたんです。だから母が不思議でした。

どうして怒鳴られないようにうまくやらないのか、

どうして機嫌を見て判断しないのか、

 

違うんですよね。

そんなことしてたら、自分なんてものは無くなってしまいます。それが妻だとすれば、本当に家政婦さんになってしまう。

 

母は「いつも通り」だったんです。

いつも自分で考え感じ、自分の思う通りに動く。

確かに父のことを考えて動いてしまう部分もあるかも知れません。モラハラ夫を持った妻として。

しかし私とは随分違います。

 

母は自分のやりたいを知っていますし、何が欲しいのかも言えます。父を尊重する部分を持ちつつも、自分全てを父に差し出している訳では無いのです。

しっかりと自分の生きたいよう生きる努力をしています。

 

 

子供の話す将来の夢…

現実的なものもあれば、本当に叶うかな?そんなぶっ飛んだものもありますよね。

でも、そのぶっ飛んだ夢を話すのが子供であれば、学校の先生は頭ごなしに否定は出来ないでしょう。

否定出来ないのは、言葉の通り否定出来ないからです。叶わないかも知れないし叶うかもしれない、それは誰にも分かりません。

 

 

私はおそらく、否定された相手が父だから立ち止まってしまうのでしょう。

否定した相手が、先にも話したその辺にいる他所のおじさんであれば、どうってことありません。

これまで…靴下を左右別々のものを履いたり、つけまつ毛1本1本を下まつげに付けて出歩いたり、髪を金髪や真っ赤に染めたり、サングラスをかけて怪しげに歩いたり…私は両親の居ない所ではぶっ飛んだことが平気で出来ました。他人からの目なんて気にならず、見られれば見られるほど感じていたのは「気持ち良さ」でした。

 

私にとって父というのは…

恐怖のイメージが強すぎるのです。

 

家庭が壊される恐怖、それを自分の夢に重ねるならば、夢を壊される恐怖です。

 

それに打ち勝つためには…

父を他所のおじさんだと思い込むことでしょうか?

 

違いますね。

たとえ否定する存在が父…恐怖の前兆であれ

気にせず前を向いて進む姿勢でしょう。

 

むつかしい。苦笑

アダルトチルドレンと知り、立ち止まって振り返りインナーチャイルド達と向き合ってきた日々…

今度は前を向かなくては、前に進めないんですね。

 

まだまだ彼らと向き合う時間が足りないように思います。

ゆっくりと進めば、彼らが叫んだ時に立ち止まれるでしょうか…?