自立的自尊心・社会的自尊心
もう何年か前のことですが、テレビで "尾木ママ" こと、尾木直樹さんが子供の自尊心について話されていたことを思い出しました。
尾木さんによると、自尊心には「自立的自尊心」と「社会的自尊心」の2種類があり、子供の自立的自尊心を育むことが大切なのだと話されていました。
この2つの自尊心を、私の言葉で表現するなら
「土」と「水たまり」でしょうか。
まず社会的自尊心について…
これは周囲の人から自分の成果を褒められたりした時に生まれるものだそう。褒められたり認められればそれだけ大きなものになります。
最近雨が続いていますが、私は社会的自尊心とは雨によって生まれた「水たまり」のような印象を持っています。
社会的自尊心の欠点…とは、時間が経てば消えてしまうことでしょうか。雨が止み、空が晴れると、水たまりというものはいつの間にか消えてしまいますよね?
人から褒められた時は誰でも嬉しい気持ちになり、自分のことがいくらか好きになれるのではないでしょうか。…しかし、人から褒められたり認められたりしない限り生まれない自尊心というのは、限定的であり、一時のもの。時間が経てば褒められたことすら、忘れてしまうかもしれません。
一方で自立的自尊心というのは…
私はこれについて「土」のような印象を持っています。天気が晴れようが曇っていようが、雨や台風が来たとしても、土はいつもあります。どんな天気であれ、土が消えて無くなることはなく、雨が上がり天気が良くなった時でも、変わらず存在しています。
人から褒められたり認められる…その有無に関係なく、いつでも自分に対し持っている自尊心が、自立的自尊心です。何か失敗をしたり、人から怒鳴られることがあっても「大丈夫!」そう自分に声をかけられる心が、自立的自尊心でしょう。
アダルトチルドレン(AC)は、自立的自尊心が育まれることなく、社会的自尊心で成り立っている人が多いような気がします。私もその1人です。
社会的自尊心だけで生きるのは、…無理なことでしょう。褒められたり認められたりといったことは、子供であればあるかも知れません。頑張れば頑張った分もらえることもあるかも知れません。親からはもらえなくとも、学校の先生やお友達からもらえるかも知れません。
しかし社会で大人として生きていく上で、社会的自尊心を保つ…いつでも、人から賞賛される生活を送るというのは、無理なことです。人は完璧ではありませんから、失敗もしますし、人から反対や否定されることももちろんあります。
仕事となれば "出来て当たり前" …それは年齢と共に重く乗しかかってくるでしょう。
なぜ自立的自尊心が育まれなかったのか…
それはACの人であれば、思い当たるのではないでしょうか。自立的自尊心を育む環境が、無かったのです。失敗をしても「大丈夫だよ!」と、自分に言える安心出来る環境です。
あくまで私の考えです。
大人ではない子供にとって親というのは、絶対的な存在です。子供時代、失敗しても「大丈夫だよ!」…親からそう言われて育った子というのは、大人になって失敗をしたとしても、自分で自分にそれを言える気がします。親がいつも言ってくれた "大丈夫だよ!" 、それをごく自然に思い出せると思うんです。
とても安心でき、前を向けるような気がします。
私は今、自分や誰かが失敗をすると父の怒鳴り声が聞こえるんです。
失敗をしてしまった時に怒鳴り声でなく、父が自分を励ましてくれるような優しいものであったなら、どんなに嬉しいだろう…そう思います。
ACといってよく書かれる特徴
完璧主義、生真面目、素直、従順、模範的…
これらはどちらかと言うと長所です。
学校では優等生と呼ばれたりするでしょう。
しかしこの長所、優等生というのは、ACがやりたくてやっていることでは無いと私は考えています。
生きるためにそうあった方が楽だった、もしくは生きるために必要なことだったのだと思います。
なぜなら、そうすると褒められるからです。
認められるからです。
ほとんど土がない場所に雨が降り、水たまり…心に泉が生まれるのです。しかしその泉は一時のもの。
時間が経てば消えてしまいます。なぜ消えてしまうのか?
それは、もう褒められてしまったからです。
もう出来てしまったんです。
次からは "出来て当たり前" になってしまったんです。
また心に泉が生まれるためには、また人から褒められるために頑張らなければいけません。
大人になれば "誰も褒めてくれない" …よく表現されるものですが、実にその通りなのです。
私は「〇〇なければいけない」に悩まれる時、
"自分はあとどれだけやったらいいんだろう?"
途方の無い道のりに感じます。
全く手が届かないような気がしてしまいます。
自分がとても出来の悪い人間に思えてしまいます。
「今日、自分はここまで出来た!」
「失敗もあったけど、次やらないように頑張ろう!」
このような言葉…ACの私からすると、とてつもなくポジティブな考えに思えてならないのですが、これらの言葉を自分で自分に声かけ出来る人というのが、まさに自立的自尊心を持てている人でしょう。
さて、
自立的自尊心がほとんど無い人間というのは、どうすればいいのでしょう?
ACの私が思うことは、まずは自分がACであることを認めることです。自分で。
主治医や心理士さんから、いくら「育った環境」の影響を受けていると言われても、自分で納得出来ない間はとてもモヤモヤした気持ちがありました。
しかし、自分で自分がACであることを認めると、ほんの少しですが楽になれました。インナーチャイルド=子供時代の自分を認めることも、同じく。
そして、自立的自尊心はこれから育むことが「出来る」と考えることです。
先の前向きな言葉をかけてくれる、あるいは口にしている人が、自分の周りに居るはずです。
羨ましいと感じてしまう対象が、その人かも知れません。
その人のことを、よく観察するのです。
"呑気だな"
"楽観的だな"
そう思ってしまうかも知れませんが、とにかく観察するのです。観察していると、羨ましいではなく "アイデア" を感じる瞬間が必ず来ます。
その人が失敗した時のその人の対処法であったり、
普段のその人の振る舞いで
"これだったら自分でも真似できるかも知れない"
そのように感じる時が来ます。
どんな小さな事でも、自分にも「出来る」と思い、真似をすることが必要だと私は考えています。
ACは大人です。もう子供ではありません。
自立的自尊心を親からではなく自分の力で育むためには、自立的自尊心を持っている人から学ぶことが最初の一歩であると、私は思うのです。
私はまだまだ出来ていません。
自立的自尊心を「土」と表現したのには、憧れがあるからです。自立的自尊心を持った人間になりたいという想いです。
土は草木や花が育つための、大切な土台ですよね。
私の大好きな絵の具の色、イエローオーカーは黄土色、人類最古の顔料とされています。
自立的自尊心を持っていれば、どんなに辛い状況でも自分を自分で励まし、前を向ける気がします。
楽しい、明るい未来を描くことも出来るでしょう。
穏やかな心持ちでいれる気がします。