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子供の質問

アダルトチルドレンと教えてもらい、それからの日々の事など。

やらされ感

アダルトチルドレン記録 夫のモラハラは子供の目にどう映るのか

 

自分が何かを "やらされている" と感じると、途端にやる気が無くなってしまう…

誰でもあると思います。

 

学校では先生が、職場では上司が

「やらされ感でやってるようじゃ駄目」

そう口にすることもあるでしょう。

 

私は学校や職場で "やらされ感" を持ったことはあまりありません。なぜなら言われた通りにやり、認められたい褒められたいという想いが強いからです。

 

一方で家では、子供時代やらされ感を持つことが多かったです。…と言うと、親の手伝いを "やらされた" とイメージされるかも知れません。しかし違います。

親の手伝いと言って浮かぶのは家事、ですが…

私は子供の頃からあまり家事を手伝うことはありませんでした。父から言われれば、やったでしょう。

しかし私の母というのは、「手伝いなさい」とは言いません。自分から手伝おうとする…それを待っていたようです。しかしそうなると、私は甘えて自分のことばかりでした。大人になっても身の回りのことが上手に出来ないため、今では恥ずかしいと感じることが多々あります。

 

さて…では親の手伝いをしない私が家で "やらされ感" を持ったのはどんな事かと言うと、今スッと頭に浮かんだものは

 

「投げんか・掛けんか・歌わんか」

 

方言なので分かりにくいですね。直訳すると

"投げなさい"

"掛けなさい"

"歌いなさい"

 

でしょうか。どれも父からの言葉です。

最初にお話すると、私が家でやらされていると感じる事というのは、普通の家庭であれば「楽しい」や「嬉しい」かも知れません。

 

・投げんか…とは?

日本には節分がありますね。私が小学生の時は、授業で鬼のお面を作り、鬼の格好をし、みんなで豆まきをしました。とても楽しかったです。

家庭でも豆まきをするところはあるでしょう。私の家でも、節分には母が豆を準備してくれました。そして父が言うのは「投げんか」です。投げなさいと私と兄に言います。これが…私にはやらされ感でした。

学校での豆まきを思い出して「福は内〜鬼は外〜」と言うのですが、自分の声と豆が落ちる音だけが聴こえます。不思議でした。学校で聴いた楽しい声は聴こえないのです。いつの間にか、父の視線に緊張してしまっていました。

父はというと、座椅子の背もたれにもたれ、ビールを飲んで居ました。豆を投げ終わると「食べんか」=食べなさいと言います。私は自分の歳の数だけ、豆を食べました。

 

・掛けんか…とは?

掛けんか=掛けなさいとは、電話を掛けなさいということです。祖父母に会い家に戻ると決まって父から言われました。帰り着いた報告をしなさいということです。祖父母から何か贈り物やお祝いを貰った時、受験に合格した日なども、言われました。

これくらいなら、やらされ感はそんなにありません。祖父母と話すことは照れはしますが、嫌なことではありません。

しかし、私は一度とても怖い思いをしました。

 

中学時代、私は友人関係に悩むことがありました。食卓に暗い顔をして出てしまったのです。「自分には本当の友達が居ない…」そんなことを口走っていたと思います。その時、父は母に

「電話掛けんか。電話掛けろ。友達ですかって聞け。」

 

グラスをテーブルに叩きつけ、淡々と言いました。

 

…ゾッとしました。この人は何を言ってるんだと、信じられませんでした。

中学時代というのは、思春期。友人関係がデリケートな時期です。ただでさえデリケートな問題に悩んでいるというのに、それに親が突っ込んだらどうなることか。何より父は自分ではなく母にそれを指示するのです。私は必死で訴えました。

「なんでそうなるの?やめてよ!」

泣きながら訴えました。

 

・歌わんか…とは?

家で、歌わんか=歌いなさいと言われるのは、家族の誕生日の日の食卓。誕生日プレゼントはありませんでしたが、毎年ケーキを食べることが出来ました。父は…みんなの誕生日をいつも忘れていましたが、それでも誕生日は楽しみでした。学校ではお友達からプレゼントを貰い、祝福されました。

食卓で母がケーキを準備し、ロウソクに火をつけると、父が「歌わんか」と言います。ハッピーバースデーの歌です。この時も私は、不思議でした。

母が誕生日の時は兄と二人で歌いました。

「ハッピーバースデートゥーお母さーん…」

母は嬉しそうに "ありがとう" と言います。

父はというと、歌うことはありません。私や兄の誕生日の日も。ただ座椅子の背もたれにもたれ、ビールを飲んでいます。母が誕生日で、お祝いしたいという想いはありましたが、バースデーソングに対しては、やらされ感を持ってしまっていました。

 

 

私の三つのエピソード、やらされ感に共通しているのは、父の態度…座椅子の背もたれにもたれお酒を飲んでいることではありません。

 

父はやらないのです。やらないけれど、やらせます。

口だけ…言うだけ、指示するだけです。

 

…職場で仕事を覚える時、教えてくれる人には大きく2種類います。口頭だけで説明する人と、やって見せて説明する人。

 

私は後者の人の方が、好感が持てます。

やって見せてくれるだけでなく、私が覚えるまで見守ってくれる人というのもいます。そんな人との時間、私が感じることは、

「やらせてもらってる」あるいは「教えてくれている」という感謝の想いです。

 

口頭だけの説明だと、伝わり難いですよね。言葉は万能ではありませんから。

聞いて覚えるより見て覚える私にとっては、なかなか一回聞いて覚えることは難しく、不安になってしまいます。「そうじゃない」と後から言われることもあります。それが度重なると感じるのは、 "やらされ感" です。

 

私がやらされ感を持った時、それをやらせた父に感じることは、口だけの人…という不信感ともう一つ。

 

違和感です。

父親とは?家族とは?…そんなことを考えてしまいます。節分も誕生日も、本来なら楽しい行事でしょう。家で家族とやるならば、学校でお友達とやる時とは違った楽しさがあるはずです。

 

"お父さんが鬼の真似したけん豆ばぶつけてやった"

(お父さんが鬼の真似をしたから、豆を投げてやった)

 

"家族で豆まきしたっちゃけどぎゃんウケた!"

(家族で豆まきしたんだけど、とても笑えた!)

 

"パパに誕生日プレゼントもらったっちゃーん"

(お父さんに誕生日プレゼントもらったんだ)

 

"歌の途中で弟がロウソク消すけんね!"

(歌の途中で弟がロウソクの火消しちゃったんだよ!)

 

 

お友達からは、家族の楽しい後日談を聞きます。

聞く度に、私は羨ましいな…と思いました。

 

家で豆まきが無い家庭もあるでしょう。

お誕生日にケーキを食べれなかった人もいるでしょう。

 

私の父は父なりに家族の行事をやろうと思ったのかも知れません。しかし、父はやらないのです。

一緒に豆を投げることも、バースデーソングを歌うことも。

 

どこかお出かけに行っても、父はいつも1人で別行動してしまいます。運転して連れて行ってくれることは有り難いと思うのですが、帰りは決まって父の愚痴です。"戦争"になることもあります。

どこかに行こうと言ったのは父なのに、帰りの車の中では母を攻撃します。

「なんでもっと早く準備出来ないんだ」

「お前はいつもそうだ」

「どれだけ待たせたと思ってるんだ」

「俺は疲れてるんだ」

 

終いには

「離婚するか?ああ"?!」

「別れたいんだろ?」

「どうするか決めろ」

「黙ってないで答えんか!」

 

父には、見えていなかったのでしょう。

後部座席の私と兄の表情が。

父は感じることが出来なかったのでしょう。

子供の前で罵倒される母の気持ちが。

 

家庭での行事が、私は嫌になってしまいました。

気持ちが萎えてしまいました。

 

"やらなきゃいいのに"

 

そればかりです。

やらなきゃよかった、行かなきゃよかった…

そんな後悔だけが、残っています。

 

家族との楽しい思い出がある友達とは、

越えられない壁を感じてしまいます。

どんなに仲の良い、信頼している友達に対しても。

 

家族と過ごす行事に対し、

「楽しい」があれば、「やりたい」になるでしょう。

 

しかし私はというと、やらされ感です。

父なりの家族サービスとやらに付き合わされているという思いが、拭いきれないのです。

 

数年前ですが、旅行に行こうと言った父に本音を言いました。

「行きたくない。だってまた帰りに怒るでしょ?」

 

ずっと言いたかったことでした。

父は拗ねていましたね。 "だって" と。

母のせいにしていました。

まるで子供のように。

 

家族って何なんでしょう。

無理に仲良しの家族を演じるなんてこと、私にはとても馬鹿らしく思えます。