罪悪感との戦い
2016.3.13
罪悪感というものを、私は容易に持ってしまいます。毎日感じますし、罪悪感を持っているために自分の思うままに動けないことが多々あります。
なぜ私は罪悪感を抱くのか…
考えてみました。いえ、考えたいと思いました。
長らく私の頭の中にある "〇〇なければいけない"
…これらが出来なかった時に生まれるものもまた、罪悪感なのです。一体誰に対しての罪悪感なのかさえ、私は自分でもわかっていません。
まず罪悪感がどんな時に生まれるのか。
私の場合は、おそらく少し変わっています。
そして生まれる時というのが、多いんです。
罪悪感といえば、自分が何か悪いことを人にしてしまった時に持ちますよね。
"悪いことをしちゃったな…"
これも罪悪感です。故意に人を傷付けたり困らせたりしていなくても、結果的に自分の言動で人がそのような状況になってしまった時、多くの人が感じるのは罪の意識…罪悪感でしょう。
後悔とも似ていますが、別物ですね。
後悔はもう "出来ない" ことですから、とりあえずは終わっているのです。しかし罪悪感は、もがくことが "出来ます" 。悪いことをしてしまった相手との関係をどうにか修復しようとしたり、取り繕おうと必死になることが出来ます。それが、罪悪感の厄介なところかなと、私は考えています。
私が罪悪感を持つ時…先に書いたように相手がいる状況はもちろん、私の場合は罪悪感が生まれる沸点のようなものが、おそらく低いんです。
一体何が罪なのか、一体何が悪いことなのかという判断は、人それぞれですよね。
私は罪を感じやすい人間なのだと思います。
人の期待に応えられなかった時
人に優しく出来なかった時
人を驚かせてしまった時
(楽しいハプニングでは無い時)
etc…
これらは少しばかりは、私以外の方も経験があるかも知れません。問題はここからです。
人が悲しんでいる時
人が困っている時
人が怒っている時
人が失敗をした時
etc…
おかしいですよね。
私もそう思います。人が悲しんでいる、困っている、怒っている、失敗をした…
直接自分が関わっていることなら分かりますが、そうではありません。
私は、直接関わっていない案件でも、誰かがそのような状態であると確認した瞬間に罪の意識を持ってしまうのです。被害妄想の対である、「加害妄想」かも知れません。
生まれ持ったものなのか、家庭環境が影響しているものなのかは分かりません。
しかし確実に子供の頃から家で感じていたものは、自分ではどうしようも出来ないことに関しての "罪悪感" でした。
"自分がいい子でないから、親を悲しませている"
"自分がいい子でないから、親を困らせている"
"自分がいい子でないから、親を怒らせている"
"自分がしっかりしないから、親を失敗させている"
両親が言い争う度に、
父が母を責める度に、
感じていました。
原因が自分でないことに関してまで、自分のせいだと言い聞かせていました。自分自身に。
子供の私には、理解出来ませんでした。
なぜ二人が言い争うのか、なぜ父は母を責めるのか。理解出来ないけれど、分からない状態はモヤモヤする。自分のせいだとイメージすれば、心当たりがあり、きっとそうなんだと疑いませんでした。
職場で苦しい時は、この罪悪感に悩まされる時は、
人がミスをした時です。私がミスをした訳ではないので、本来なら私が気にする必要はないのでしょう。しかし人がミスをすると父の怒鳴り声が聴こえます。
"あの時自分が気付いていれば…"
つい、そう考えてしまうのです。
そしてミスをした人に対し、罪悪感の先にあるのは
"申し訳ない"
"どうにか取り繕わなくては"
"どうにかして相手を励まさなくては"
"どうにかして自分がフォローしなくては"
…まるで自分がミスをした時と同じになります。
いえ、もがこうとする分、パワーを使ってしまっているでしょう。しかし自分の仕事もありますから、そちらの手を緩める訳にもいきません。
仕事を終えた頃に私の頭の中にあるのは
"ミスを引きずっていないだろうか…"
"もっと声をかけてあげれたはず…"
"自分がもっと出来が良ければ…"
なんとも後味の悪い1日になってしまうのです。
自分がミスをすれば、落ち込みますが、立ち直ることが出来ます。
しかし人がミスをしたことに対し、無いはずの罪の意識を持ち自分を責める…どうにか出来ないかともがくことは、自分でも冷静になった時に「なんて無駄な時間と力を使っていたんだ」と考えます。
そしてまた自分を責めてしまうんです。
毎日が罪悪感との戦い…です。
私の生きずらさの大きなものは自分を責めてしまうことですが、罪悪感を持てば必ず自分を責めることになってしまいます。
まずは何が罪なのか、何が悪いことなのか、もう一度冷静に考える必要がありますね。
人が罪でも悪いことでもないと判断するものだと自分で気付くことができれば、理解し納得することが出来れば、私が罪悪感を感じる回数は少なくなるような気がします。