子供の質問

アダルトチルドレンと教えてもらい、それからの日々の事など。

雑談が出来ないAC

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2016.7.10

(習字の先生の家の前に咲いていた向日葵。一匹狼のようにスッと立って咲いている姿に目を奪われました。)

 

 

私は人から何か話しかけられる時…何か自分にして欲しいことがある、もしくは怒られる時だと信じ込んでしまっています。

 

「雑談」というものが苦手です。

 

友人達と集まって何かする、話をする時、私は1人別のことをしていたり、話を聞いていなかったりします。

(私の友人達というのは私がそのように過ごすことを了解してくれる・知っている人達なのです。知った上で付き合ってくれるので、私としてはそんな友人達と過ごす時間はかけがえの無いものです。)

 

しかし、会社…職場ではそうはいきません。

 

自分がアダルトチルドレンだと知り、インナーチャイルド達と向き合い、分かったことは "無理をしている" ということ。人の言動を予想しすぎてから回ったり、気を遣いすぎて自分の意見を言えなかったり、愚痴も言えませんから気付いた時にはパワーが切れて突然仕事を休んでしまうこともありました。

 

自分と向き合うにつれ、

色んなことを止めました。

 

食堂でのお昼ご飯。

無理やり笑うこと。

無理にテンションを合わせること。

etc…

 

始めたことは、

"No!" を言ってみる。(無理の無い程度に)

作り笑いをしない。

帰宅して何をするか考える。

etc…

 

 

結果どうなったかと言うと…

誰かに嫌われてしまったような気がします。

誰かは不信感を抱いてると思います。

 

職場では、よき理解者の先輩1人としか、ほとんど話さなくなりました。

「挨拶」は、自分がされて嬉しいので誰にでもしています。

 

転職して数ヶ月は、食堂でお昼ご飯を食べていました。席も決められており、ちょっとしたルールもあります。(珈琲を飲む人は交代で購入するとか、掃除はいつどれくらいの時間でやるとか。)

 

ルールに関しては何も感じなかったのですが、…苦手だったのは食堂での「雑談」です。

 

1つのテーブルに何人も肩を並べて座ります。

自分の席は決められていました。

誰からとも無く始まるのが雑談です。雑談が始まると、どうしていいのか分からず緊張してしまっていましたね。話に参加するべきなのか、食事に集中して良いものか、何か質問をされたら…聞いていなかったら困るかな?とか…

 

そして雑談というのは、…先に書いた私の友人達ではない職場の人の雑談というのは、…

私にとって何の興味もない話なんです。

誰々が何と言ったとか、何をしたとか、噂話は多いですし、人を決めつけるような言葉も耳に入ります。

私にとって心底 "どうでもいい" と感じてしまうものでした。

 

 

みんなで囲って食事をすること自体、私には避けたいものでした。

「食事を楽しむ」の記事でふれましたが、食事をとる場所というのは、私にとって恐怖のイメージを抱いてしまうものなのです。

誰かが口を開けば、父のように怒鳴ったり言葉の暴力を受けるかも知れないという不安が生まれてしまいます。

 

コミュニケーションが必須なところも1つ。

珈琲にお湯を入れるポットは、私の席からは遠く、かといって席を立って入れに行くと

「言えば入れてあげるのに〜」

と言われます。

 

珈琲を飲みたくない日もありましたが、珈琲を勧められたり「飲まないの?」と言われると断れない気の弱さもありました。

 

それは人の優しさや気遣いだと分かっていても、声をかけられる度にビクついてしまう自分が露わになる嫌なものでした。

 

それまでは…

食堂に限らず自分から何か話さないといけないような気がしていました。ですが、【ピエロ】のように調子が悪くてもとぼけたり、人の笑顔を見ることに一生懸命になることは、今の私には出来ません。

 

最近は仕事の事以外で自分から口を開くことはほとんどありません。理解者の先輩はよく話しかけてくれ、それに対してはスッ…と言葉が出てくるのですが…先輩はいつも私と接する時は笑顔を見せてくれる…私はそれを知っているからかも知れません。

 

雑談というのは、自分が信頼を置いている人以外では、難しいなぁと感じます。

お昼休みに会社の方々が雑談中…キャッキャうふふと、楽しい笑い声が聞こえますが、聞き耳立てていると自分には何の面白みもない話だったりします。

 

父の言葉をつい…思い出してしまいますね。

 

"つまらん話をするな"

 

自分の話は聞かないと不機嫌になるのに、人の話には父は耳を傾けないのです。

つまらない話だと言い、つまらない話を俺にするなと言います。

 

よく言われていたのは、やはり母でした。

 

母の話というのは…

「お花が咲いたんだよ」とか、職場で「独学で学んだ韓国語が通じた!」とか、「猫が喧嘩して仲裁に入ったの!」とか…

つまらない話かも知れませんが、嬉しそうに話す母を見るのは好きですし、微笑ましいエピソードだなと私は思うんです。

 

しかし父にはつまらない話なのでしょう。

一喝され残念そうに顔を下す母を見ると、私は悔しい気持ちになりました。

 

悔しい気持ちになりましたし、自分も…私も自分が話したい話をしてはいけないような気がしました。

嬉しいことがあっても父に受け入れられなければ、一喝され落ち込むことになるんだと思いました。

 

雑談の輪に入ると、その場を楽しめない自分を父と重ねて見てしまい、自己嫌悪にもなります。

 

しかし、無理に雑談の輪に入る必要も無いと思うのです。

 

私にも人に話したい事というのはあります。

「今朝空がとても綺麗だった」とか、

「水たまりに太陽の光が反射してキラキラしててとても可愛かった」とか、

「扉が少し開いてて、その隙間が暗黒で怖かった」とか…

 

私の友人達は聞いてくれる話でも、つまらないと感じる人はたくさんいると思います。

私の会社では本の感想を述べ合う会が月に一回あるのですが、その感想に上記のようなことを書いて発表すると…なんだか人との距離を感じてしまいました。一線を引かれたような…そんな寂しさを感じてしまいました。

 

以前好きだった男性…私の言葉や絵をじっくりと見てくれ、楽しそうに感想を話してくれた人が、こんなことを言っていたんです。

 

"話す時は、話す相手をよく選んだ方がいい。そうしないと自分が辛い思いをするよ。"

 

その人は昔、恋人とフランス映画「アメリ」を観に行ったそう。

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とても美しい作品で、私も大好きなのですが、映画を観終わった後、恋人に "全然意味が分からなかった" と言われてしまったそう。ガックリと残念に感じた彼の様子が目に浮かびました。

 

 

言われたその時は、…なんだか寂しい想いでしたね。自分が話したいことを誰に話すか…それを選ぶ必要があるなんて、なんだかなぁ。。と。

 

しかし、今は同意できます。

話の話題というのは、人によって興味を湧くものが違いますから。

 

楽しんで聞いてくれる人に話すのが、自分も楽しんで話せるような気がします。

 

大人数の中で雑談に入らない日々を送っていると、自分は一匹狼だと感じるかもしれません。

 

"別に良くない?人に媚び売ってまで仲間に入りたいの?"

 

【ペインター】からの声が聴こえてきます。笑

 

一匹狼…でも良いと思います。

例え一匹狼だと誰かに言われたとしても、何も変わりませんから。自分が自分であることが壊されることもありません。

 

自分が心から信頼出来る人、話を楽しんで聴いてくれる人にこそ、話す価値があるというもの。

無理に人が喜ぶような話をする必要もありません。