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子供の質問

アダルトチルドレンと教えてもらい、それからの日々の事など。

【ドリーマー】ドリーマーの苦悩

インナーチャイルドストーリー アダルトチルドレン記録 夫のモラハラは子供の目にどう映るのか

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文化服装学院夜間部、最後の課題の高級素材を使ったフォーマルウエア。(当時の汚い部屋で申し訳ないです。苦笑)左は仕付糸があるので、おそらく完成間際、右は完成品です。

 

 

【ドリーマー】は、東京で過ごした私。

最初に向き合うことになったインナーチャイルドも、彼女でした。

 

文化服装学院の夜間部…そこには色んな人が居ました。大学と掛け持ちしている、いわゆる "Wスクール" の子。学費を貯めて田舎から出てきた子、家族を持っているお父さん…

 

特に年齢は、かなりのバラつきがありました。

高校卒業したばかりの18歳の子も居れば、30代、それより上の方も居ます。私が入学した時も、私は2年の会社勤めを終えた20歳でした。

 

東京での友達は、色んな呼び名で私を呼んでくれたのですが、一番多かったのは「ねぇさん(姉さん)」。

私よりも年上の友達も、そう呼んでいました。

 

サングラスをかけ、煙草を吸い、

【フラワー】で身に付けたコミュニケーション能力、誰とでも気兼ねなく話します。

お酒は強い方で、飲み会ではもっぱらビール。

 

振る舞いが「ねぇさん」だったのでしょう。

 

よく付き合う友達は友達のような、妹のような、弟のような…姉のような兄のような…

クラスで出会った友人達は苦労をしている人も多く、私はそんな彼らが頼もしかったし、誇りでもあったし、家族を持った気持ちでもいました。

 

【ドリーマー】というインナーチャイルドは、

他のインナーチャイルドの中でもお姉さんのような立ち位置にいます。いつも、中立的な立場で、【ペインター】と【フラワー】が衝突する際も、間に立ってなだめてくれるような存在です。

 

私が、一番弱音を吐きやすい存在でもあります。

 

ただ…彼女の欠点は、流されやすい所。

今回お話するエピソードも、そんな彼女の欠点…いえ、長所でもある部分が、彼女自身…私自身を苦しめたエピソードです。

 

 

 

私の父は、私が上京してからというもの、出張で東京に来ることが多くなりました。

 

父が来れば、決まって2人で食事に行きました。

父は取引先のお店に連れて行ってくれ、自分の仕事っぷりをアピールしたり、見栄を張ってか、お寿司をご馳走してくれることもありました。

 

父と2人で食事を取ることは、私は怖くありません。

家での食卓とは違い、父と一対一で過ごす時間というのは、誰も傷付かない…母が攻撃されないという確信がありました。

そして決まって話題になるのは、仕事の話でした。

父と仕事の話をするのは、私は好きでしたから。

 

完璧主義なので、部下に頼めないのでしょう。

父は管理職でもありながら、製造や営業の仕事にも入るのです。そんな父を、私は理解もしていたし、尊敬もしていました。

 

 

いつだったでしょう。

 

その日は授業は無く、私は夕方までバイトでした。

バイト先は池袋のサンシャインシティ

私の住む学生会館からも近く、授業が無い日は、私はだいたいここで過ごしていました。

 

出張に来ていた父とは、サンシャインシティの中のレストランで食事をすることにしました。

 

イタリアン…だったと思います。

壁に埋め込まれる形で、びっしりと詰まった可愛い形のパスタが飾られていました。

 

"勘違いしないでね?娘だから。笑"

 

店員さんにいつものように話しかける父。

その日はなぜか、父は仕事と関係ない話をし始めました。親戚の話からはじまり、私は段々と、つまらなく感じていました。

そんな中、忘れられない言葉が、

父の口から出ました。

 

 

"こないだお母さんと喧嘩してさ、下駄箱…

壊しちゃったんだよね〜"

 

 

(……………?)

 

 

一瞬、頭の中が真っ白になったのを、今でも覚えています。真っ白になったあとは、騒々しくなりました。

 

(…は?何言ってんのコイツ。)

(…下駄箱って、どうやったら壊れるの?)

(…なにが原因だったの…?)

(お母さんは無事なの?!!)

 

 

 

 

 

 

 

「…へぇー…。そうなんだ。」

 

 

息苦しさの中で、ビールを一口飲んで私の口から出た精一杯の反応は、それだけでした。

 

その後、母に尋ねたものの、言葉を濁されてしまいました。

 

しかし、福岡に戻って母が打ち明けた "喧嘩" の原因…それは、私だったんです。

 

東京に居た頃の私は、よく母と長電話をしていました。その日も、遅くまで話し込んでしまったのでしょう。父の怒りが、爆発したのです。

壊れたのは下駄箱ではなく、押入れの壁でした。

白いペンキが、雑に塗り重ねてありました。

 

一番悔しかったのは…【ドリーマー】だったでしょう。

 

3年生の頃、友人の死と東日本大震災を経験した私は、何とも無気力な状態が続いていました。

 

父から「帰ってきなさい」

そう言われ…真っ先に頭に浮かんだのは、自分のやりたい事ではなく、将来ではなく、母の姿でした。

 

そして、父の口走ったあの日の台詞が、頭から離れません。

 

(父は、どれだけ私を縛り付けたいのだろうか。

あんな事を話してまで、私に心配をかけてまで、私を側に置いて置きたいのだろう…

私はあとどれだけ、母を守らなければいけないんだろうか。)

 

それに追い打ちをかけたのは、他のインナーチャイルド達でした。

とりわけ【child】は、泣き叫び、訴えます。

 

"お母さんを助けに行こうよ!!"

 

 

 

 

 

結局

 

私は先の事が何も決まっていない状態で、

またあの家に戻って来てしまったのです。

 

心療内科に行き、精神科に駆け込み、

家の中でも自分が手に負えない日々が続き、

 

父が一階から放った、不機嫌にも、呆れたようにも聴こえた、投げやりな言葉。

 

「飛鳥が東京に居た頃がよっぽど良かった!」

 

 

大好きな友人達、都会に別れを告げて戻って来た【ドリーマー】は、友人を亡くした時と同じ【ロスト】になりました。

 

そんな彼女を庇うように、【ペインター】は

 

(ふっっざけんな!おめーがあんな事言わなきゃ戻って来なかったよ!誰だよ?壁壊したの?いつものようにご乱心しちゃったの?お前だろーが!!)

 

 

父をぶん殴りたい気持ちを必死に抑えて、

私は気がつくと手首を掻きむしっていました。