他者満足、ではなく自己満足。
前回病院に行った際、
診察室に入るなり私は
"クリスマスツリーから拍手が聴こえます!"
と主治医に話したんです。
「あ、そうですか。」
と、いつもの調子で応えてくれたのですが、笑
何でしょう…すごく嬉しかったです。
同時に、完全に "ヤバい人" だな…と自分で思ったものです。。
しかしそれよりもずっと、自分の気持ちを口に出せた事が嬉しかったです。
"クリスマスツリーから拍手…????"
クエスチョンが浮かぶ方が多いでしょう。。
私がお世話になっている病院の待合室にですね、
クリスマスツリーが飾ってあるんです。
キラキラと電飾付きの。
その電飾は段階的に光るもので、
最初はチラチラと光っていたものが、段々と増えて、最後にはチラチラからキラキラになるんです。
それを繰り返すわけですが、その最後のクライマックスの段階に入ると、盛大な拍手が聴こえるんです。私には。
まるでフィナーレを迎えた舞台へ拍手が送られているような、
誕生日を迎えた子供が大人達から祝福されているような…
色んな映像が浮かんで、待合室で待っている間、
私はとても嬉しく楽しい時間を過ごせたんです。
その自分の気持ちを、一見ヤバめに聞こえるに違いない感想を、素直に口に出せたこともまた、
嬉しかったんです。
これは紛れもなく、自己満足です。
アダルトチルドレン(AC)は、
他人が介入した途端に、自分を無くしてしまう…
いえ、他者を優先してしまう方が多いように思います。
私自身、1人ならやりたい放題やれる事でも、
誰かと一緒、みんなと一緒となると一変します。
「自分」という存在を置いておいて、
先ずは他者が喜ぶこと、楽しむこと、満足することに重点を当てて動いてしまうんです。
もちろん…これは悪いことではないです。
悪いことではない…というのは、
他者の笑顔を見ると不思議とホッとする自分が居るからです。
一方で、自分という存在を置いてきぼりにしたから、
「自己満足」が分かりません。
自分が喜んでいるのか
楽しんでいるのか
満足しているのか
なかなか素直に感じる事が出来ないんです。
スッ…と自然に感じることが出来ないんです。
長年、他者の動向をうかがってきたばかりに。
「自己満足」というと、ネガティヴな意味合いで使われる事も多いと思いますが、
ACはどんどん自己満足を増やしていく必要があると私は考えています。
練習としては、
1人きりの時間を設けることが大切ですね。
何かを作ったり、体を鍛えてみたり、
何でも良いのですが、大切なのは自分を置いてけぼりにしないことです。
そこに友人や家族、他者が介入しては、
ACの癖が存分に発揮されますから。苦笑
私は主治医と、心理士さんにクリスマスツリーの話をしました。
話せた嬉しさもさる事ながら、話を聞いてくれる存在がいる喜びもありました◎