子供の質問

アダルトチルドレンと教えてもらい、それからの日々の事など。

2つの正義

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2014.12.8

これを読んでくださっている方は、自分の「正義」をお持ちですか?…私にはありません。分からない、と言った方がいいのかも知れません。

学校の道徳の授業では、
"いじめはダメ"
"みんなでいじめを無くしましょう"

そんな言葉が出ます。それはヒーローアニメにありそうな、ごく一般的な「正義感」かも知れませんね。

前の記事で書いた
"いじめる方が悪いに決まってる"

この風潮に、私は大きな戸惑いを覚えました。
なぜなら、いじめる方が悪い=いじめっ子が悪い…それは、家の中のいじめっ子、父が悪いということになりますから、なんともいえない気持ちになったのです。

父も母も、私にとって大切な存在でした。いじめっ子の父は、私に対して優しい姿も見せていましたから。そんな父が悪いに決まってる、…と一言では片付けられないような気がしたのです。

そして、学校で教えられる正義感とは別に、家では正反対の正義を教えられました。正反対と言うのは…いじめっ子である父が私と兄に教える正義でしたから。「お母さんが悪い」…それは、「いじめられる方が悪い」子供の私にはそう聞こえました。

優しい父…いじめっ子の優しい姿も知っている私は、その正義を否定出来ませんでした。頭の中には二つの教えられた正義が存在していました。

先に載せた絵は、自分がアダルトチルドレンと知ってから描いたものです。この日も、私は正義とは何か?…それについて考えていたのでしょう。

ある出来事を思い出します。
19歳の頃でしょうか。「フラワー」が生まれた期間です。当時は行動力に溢れていました。福岡のある教会で、無料で英会話を教えてくれると知り、通っていた時期がありました。その時、教会のシスターから

「神様がサタンをやっつけてくれた!」

そう、話を聞きます。そしてとっさに私の口から出たのは

「じゃあサタンは誰が助けてくれるの?サタンは悪いことをしたのかも知れないけれど、誰も助けてくれないなんて、可哀想じゃない?」

シスター達はとても驚いた様子で
「あなたは優しい子ね」
私にそう言いました。

私は19歳という年齢になっても未だ、一つだけの正義…その存在に違和感を感じていたのかも知れません。

それから、教会へは行かなくなりました。