好奇心を取り戻す
2014.12.7
好奇心とは不思議なものです。
私の場合「なんだろう?」から始まるのですが、学校と家庭とのギャップ、両親に対して抱くそれとは違い、ワクワクするものです。
私の顎…一見見えないその奥の場所には、傷があります。何針か縫ったので、くっきりと縫合した跡があります。この傷というのは、私が保育園生の時に作った傷です。
遊具の中にゾウさんの滑り台がありました。
幼い私はゾウさんの鼻…傾斜になっている部分をよじ登っていました。
不意に横を向いた時に、ゾウさんの鼻の縁…手すりの部分に顎を打ち付けてしまったのです。
タラタラと血を流しながら母の元へ行ったそう。
保育園の向かいにある病院で、縫合処置を受けました。
まるで宇宙人に捕まってしまったような光景を、今でも覚えています。目の前に冷たい白い光と、私を覗き込む宇宙人…お医者さんと看護士さんです。
私はこの顎の傷が大好きです。
見えない場所というのもあるでしょうが、私は気に入っています。好奇心の勲章だと思っています。
なぜゾウさんを鼻から上ろうとしたのか、
…覚えていません。
しかし、普通は鼻は滑る部分ですよね。本来ならばゾウさんの頭から滑り下りるのが、ゾウさんの滑り台の正しい使い方です。
その使い方を知らなかった訳ではないでしょう。
保育園児といえど、もう読み書きできる年齢です。
私は、ゾウさんの鼻を "のぼりたい" …そう思ったのだと思います。
そして思うままに上り、怪我をしました。
しかしその傷は命に関わるものではなく、お気に入りの傷となっています。
幼い私はこの日、自分のやりたいと思ったことをやれたのです。誰にも邪魔されずに。
上っている最中、
どんな景色を見ていたのでしょうか。
どんな気持ちだったのでしょうか。
今の私に分かることは、前を向いていたことです。
顔が?いえいえ、心です。
後ろ向きな心では、ゾウさんの鼻、上り坂をよじ登ることは出来ないでしょう。
"のぼりたい、のぼるんだ!"
その強い好奇心と意思がなければ、難しいでしょうね。
その日は怪我をしたことで上りきること、ゾウさんの頭に辿り着くことは出来ませんでした。
しかし、分かりました。
なぜ滑り台はみんな上から滑るのか。
危ないからです。
笑
大人になると…大人の私には、
知っていることが子供の頃より多いです。
子供に比べたら色んなことを知っています。
しかし、よく考えてみると、それは
「知っているだけ」
のものも多い気がします。
"知っている" と "出来る" には、かなりの違いがあると私は考えています。
言葉を例にすると、言葉の意味って理解しているつもりでも、実際自分が体験してみないと、本質的な意味って理解出来ないような気がします。
例えば「後悔」という言葉。
私は亡くなった友達に生前 "ごめんね"、と一言謝るつもりでいました。しかし、亡くなっていまったので今はもう出来ません。いくら謝りたいと思っていても、彼女の目を見て言うこと…それはもう不可能なのです。
私は友達を亡くしてようやく「後悔」という言葉の意味を実感することが出来ました。
子供の頃の好奇心…
これってすごく大切なことだと私は思います。
大人には持てないものでしょうか?
…そんなことはないと思います。
持てないようにしてしまっているのは、
「知っているから」
ではないでしょうか。それが邪魔になっているような気がします。
どうなるか分かっているから、知っているから、
想像がつくから…
しかし想像がつくけどやってみたいこと、興味が生まれることも、あると思います。
大人の好奇心はそれなんじゃないかと思います。
私は何をするにも父親の顔が浮かんでしまいます。
なんとなくどうなるか想像もつくけれど、それよりも父から言われるであろうことが頭に浮かびます。
やりたいのにやれない…
やりたいのにやっちゃいけない気がする…
それって勿体無いな、、と最近思うようになりました。
怪我をするかも知れない、
罵声を浴びせられるかも知れない、
だけどそれって命に関わることかな?
死ぬようなことかな?
知らないことを知れた喜びは、
好奇心のままにワクワクして動いた気持ちは、
その何倍もあるように感じます。