子供の質問

アダルトチルドレンと教えてもらい、それからの日々の事など。

なぜ心理的 "虐待" なのか。

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私は自分がアダルトチルドレンと知るまで、自分が虐待に遭ってるなんて、家の中に虐待があったなんて考えたことがありませんでした。

 

今でこそ子供の虐待が発覚すると、ニュースになりますよね。

残念ながらその数はなかなか減りません。

しかし、ニュースになるものは "身体的" 虐待がほとんどです。児童虐待と聞けば誰もが身体を痛めつけられた…そのようなイメージが浮かぶのではないでしょうか。

 

アダルトチルドレン

最近では検索すると色んな記事を見ることが出来ます。おそらく、アダルトチルドレンが多いのだと思います。生きづらさを抱えている大人が多いのだと思います。

 

アダルトチルドレンといっても抱えている悩み、どんな家で育ったのか、それは一人一人違いますね。

虐待がなかった方もいると思います。

毎日ご飯を食べることが出来た人もいると思います。

親に身体に傷をつけられただなんて…!

児童虐待のニュースを見て信じられないと思う方も多いと思います。

 

私もその一人です。

親が子を殴る、蹴る、食事を与えない、放置する…

そのようなことはあってはならないと思いますし、どうして自分の子をそのように扱ってしまうのか…悲しい気持ちになります。

 

しかし私は、

自分の育った家で、

虐待を受けてきました。

ようやく認めることが出来ました。

 

殴られたことはありません。

蹴られたこともありません。

食事は与えてもらいました。

着る物もあります。

自分の部屋もあります。

 

 

しかし、虐待を受けていたのです。

"心理的" 虐待です。

 

最初は母が虐待されていたのを目撃した…それが始まりでしょう。言葉の暴力です。

自分に向けられたものではありませんでした。

ですが、いつも痛かったです。

 

大切な母が言葉の暴力を受ける姿を見ることも、

その暴力を振るう人が自分の実の父親だという現実も、

ましてやその言葉ひとつひとつが、自分の胸にナイフのように突き刺さることも、

 

信じたくないことでした。

 

学校から家に帰ると、穏やかな時間が流れます。

小学生、中学生、高校生の時までは、

母と兄と3人で他愛のない話をする。笑い合う。それはとても穏やかな時間でした。

兄が家を出ても、母と2人お菓子を食べながらコーヒーを飲む、だらだらと過ごす時間というのはとても落ち着きました。

どこの家庭にもある "我が家" の光景でしょう。

 

それは

 

父が帰宅すると一変するのです。

父の車の音を聞くと、「おしまい」を感じました。

楽しい時間はおしまい。

まったりした時間はおしまい。

だらだらした時間はおしまい。

リラックスした時間はおしまい。

穏やかな時間はおしまいになりました。

 

「おかえりなさい」

 

母は父が帰ると必ず言います。

何もない日も、言葉の暴力を振るわれた次の日も、父が無視してくる日も、どんな時も、母は必ず言っていました。

 

母のその言葉が、

唯一、父がこの家の一員であること、

私の家族なのだということを、繋ぎとめていてくれるものでした。

 

私は、…というか、母と兄も

父の前では「普通」でいなくてはいけませんでした。その普通とは、普通ではありません。

機械のようでした。もしくは、

日陰のコンクリートのようでした。

 

落ち込んだ顔

困った顔

泣きそうな顔

悲しい顔

 

そのような顔をしていると父の表情が変わります。

怒鳴ります。テーブルにコップを叩きつけます。

食卓から追い出されます。

 

母は何度追い出されたことでしょう。

兄もそれを受けました。

私はというと…

 

追い出されないことが多かったです。

父と2人食事を続けることが多かったです。

でも本当は、私も大好きな母や兄の元へ行きたくてたまりませんでした。食事は何も味がしませんでした。

 

ある休日の朝、お餅を食べていました。

突然父から怒鳴られました。

"もたもた食べるな!"と。

 

その時は自分から出て行きました。

泣きながら台所にいる母の元へ行きました。

母は困った顔だけしていました。

 

 

なぜ追い出されなかったかと言うと、

私は機械のように、日陰のコンクリートのように振る舞うことが得意でした。

いえ…

表情を出すことが苦手だったのです。

幼い頃から周りに「大人しい子」と言われてきました。

 

笑うことも喜ぶことも

悲しむことも怒ることも

 

それを顔に出すことは、表現することは、

私には難しかったのです。

生まれ持ったものだと思いますが、それが食卓では父の精神に影響を与えないものだったのでしょう。

 

父の前では、嘘をつかなくてはいけなくなりました。

 

学校でどんなに楽しいことがあっても、嬉しいことがあっても思うままに振る舞ってはいけません。

嫌な事や悲しいこと、悩みがあったとしてもそれを顔に出してはいけません。コソコソと話してはいけません。

 

そのような事は、3人…

母と兄と3人で居る時であれば許されました。

 

大変だったのは母でしょう。

息子と娘の楽しい話は一緒になって楽しんでくれました。

しかし私は悲しみや怒りも、母にぶつけてしまっていました。父に言えないこと、友達に言えないこと、兄に言えないこと、なにもかもを母に話していました。

 

家計のためにとパートに働きに出て…肉体労働の仕事です。家に帰れば家事もしなければいけない。父は言葉の暴力、モラハラをしてきます。。

 

そんな母の苦労を感じたことは何度もありました。

しかし私には母しか居なかったのです。

父の前で嘘をつくようになると、家の外でも平気で嘘をつくようになりました。

嘘をつかなければ、飾らなければ、バカっぽく、優等生…それらを演じていなければ、嫌われてしまうと思っていました。

 

明るくて優しい前向きな母だけは、私を受け止めてくれるような気がしていました。

 

だから、私は今でも母に依存してしまっているのでしょう。

 

大人になり、職場に行きます。

職場には色んな人が居ますが、転職した私の今の会社というのは、優しい方ばかりです。

言葉を柔らかくするのが上手な人もたくさんいます。

 

しかし私は、未だに周りに嘘をついてしまいます。

仕事ではなく、人間関係において。

多少の嘘は必要でしょう。大人の対応として言動を柔らかくすることもまた、嘘の一つかも知れませんね。嫌われないように?いいえ…

 

そうしないと、

 

何かとても、生命の危機を感じてしまうのです。

身の危険を感じてしまうのです。

とても恐ろしい気持ちが生まれるのです。

 

 

子供にとって、

大切な人が大切な人を攻撃する、

家族の中で対立がある、

自分に嘘をつかないと大変なことになる、

恐怖を感じる、

etc

 

これらはとても苦しく痛いものです。

身体は傷付けられていませんが、心の方は頭の方はというと…

ボロボロになってしまいます。

ありのままの自分でいれない?…それよりももっと重大な問題です。

 

家庭という場所は子供にとってかけがえのないものです。家に居られないとなれば、子供は一体どこへ行ったらいいのでしょう?

家で生活するために、生き延びるために、何としててでも耐えなくては…見たくないものを見ても聴きたくないものを聴いても、耐えなければ

 

「捨てられてしまう」

 

そう思います。

 

今でこそ児童相談所という場所は知られるようになりましたが、私の子供の頃というのは聞いたことがありませんでした。

知ったところで、子供1人で助けを求めることは、とても難しいでしょう。

 

 

最近母と話して感じることは、

やはり母と私は違う人間なんだと言うこと。

当たり前だと思われるかも知れませんが、私にとって母というのは、戦場を一緒に生き延びた仲間のような、そんな印象も抱いているのです。

ですから母の元気な姿というのは、私にとって希望でした。

 

しかし、最近思います。

 

やはり母と私は違う人間で、

生き抜いた戦場…戦争では、

母は「大人」で私は「子供」だったということ。

 

感じ方の違いなのです。

確かに私は感受性が強く傷付きやすい面があるのかも知れません。しかし、それ以前に大人と子供とでは、感じ方が違うのだと。ダメージの受け方が違うのだと思います。

 

私は毎日のように家の中で起こったことを思い出してしまいます。

 

大人であれば忘れることが出来ることもあるかも知れません。仕事の失敗をいつまでも引きずっていては、次の仕事にも悪い影響が出ますから。

 

しかし子供…なんでも吸収してしまうスポンジのような心は、新しいことも覚えますが忘れられない強烈な体験、それが恐怖であればなおさら…

忘れることは難しいように思います。

子供は想像力豊か…なんて言いますが、それは人生経験が浅いからというのもあるでしょう。

自分の中のイメージが、壮大なマイワールドなのです。

 

人が何を思い何を感じるのか…

職場で接する人みんなに対しそれらを考え、

自分の言動に注意する。

 

それはとても大切なことかも知れません。

良好な人間関係を築く上で必要なことです。

 

しかし、行き過ぎてしまいます。

やり過ぎてしまいます。

自分を犠牲にしてしまいます。

自分を責め、自分自身に言葉のナイフを突き付けてしまいます。

 

なぜそのようなことになってしまうのか…

毎度毎度頭を抱えます。

 

ですがそれは、

私が心理的虐待を受け続けて来た、

心理的虐待を見続けてきた結果です。

 

そうしなければ自分の大切な人の身が、

自分の身が危ないと感じてしまうのです。

 

身体の傷はカサブタになり剥がれ落ち、傷跡になるでしょう。

しかし心理的な攻撃を受けた心というのは、目に見えないものです。

せっかく生き抜いた、今を生きているはずなのに、

心は未だ戦場の中に取り残されてしまっています。

 

その戦場から心を連れ出す、穏やかな時間や場所に連れて来ることが、必要なのだと思います。

 

なかなか難しいですね。難問です。

答えがあればこっそり覗き見たいです。

 

安心安全な場所を手に入れたというのに、

心が置いてけぼりでは、生きづらさは無くなりませんから。

 

しかし自分のせいでは無いということ、

心理的虐待があってのことだと納得すると、

不思議とホッとしたような、そのような心持ちにもなれました。

 

久しぶりに過去をじっくり振り返ると、

やはり辛いですね。

 

ですがモヤモヤした気持ちがまた一つ、

消えたような気がしています。