子供の質問

アダルトチルドレンと教えてもらい、それからの日々の事など。

自信がない時、自分が無力に感じる時。

f:id:akkachan:20160612141450j:image

2016.6.12

お習字教室で清書をしてきました◎

 

 

 

自分に自信が無い時があります。

自分が無力に感じる時があります。

自分には何も無いと感じる時があります。

 

おそらく、そんな時というのは

誰かと自分を比べて見てしまっているのでしょう。

 

最近とても嬉しい「お願い」が続きました。

 

"服を作って欲しい"

"絵を連載して欲しい"

 

とても嬉しかったです。

 

私は飽きっぽい性格で、興味があるとすぐに飛びつくけれど、熱が冷めると止めてしまう癖があります。一度好きになったことは嫌いにはならず、何年か経って再び再開することもしばしば。中途半端なモノがたくさん溢れています。

 

人を嫌いになれないことも、これが影響してますね。一度好きになった人は、お別れしても大好きだし、一度好意を持った相手に対しては、嫌いになることが出来ません。

いえ…もしかするとそれは、私の長所なのかも知れませんね。

 

〈自分に自信が無い時〉は、自信が無い事に対して誰かと比べてしまっている気がします。

 

〈自分が無力に感じる時〉は、自分ではどうしようも出来ないことについて考えてしまっている気がします。

 

〈自分には何も無い〉と感じてしまう時は、無い物ねだりや誰かを羨ましく思っている気がします。

 

好きな事をして生きていく

好きな事をして収入を得る

 

 

学生の頃、それは "一握りの人間" にしか手に入らないものだと教えられました。

 

本当にそうでしょうか?

 

最近そんな風に思います。

 

視覚優位の人が聴き取りだけで物事を理解することが出来るでしょうか?

話す事より書く事の方が得意な人が、会話の必要な場所で活躍出来るでしょうか?

静かな場所で集中力が最高潮になる人が、騒がしい場所で集中出来るでしょうか?

 

…これらはおそらく、「出来る」でしょう。

しかし、毎日ストレスを抱えてしまうと思います。

 

私は、自分のストレスについて長らく考えないようにしてきました。

ストレスなんて生きてれば働いていれば必ず生まれるものだと、そう信じていました。

 

"好きな事をして生きていけばいい"

"得意な事で勝負していけばいい"

 

最近はそんな生き方を勧める書籍も並びますが、私には信じることが出来ませんでした。

 

学生の頃に教えられた

「一握りの人間」

その人間とやらに、自分がなれるわけが無いと、信じていました。

 

インナーチャイルド=子供時代の私

彼らと向き合うにつれ、私は自分の「好き」や「嫌い」を再確認するようになりました。

小さなことでも自分がどんな気持ちになるのか、…それを明確にするよう心掛けました。

 

生まれたのは自分の今の生き方への不満でした。

 

視覚優位の私は、目で視たことはすぐに覚えるのですが、口頭での説明などは理解するのに時間がかかります。

社内の勉強会での感想文や、このブログでは自分の考えを書くことが出来ますが、それが会話になるとてんで駄目です。会話が苦手なのです。

音楽は好きですが、大きな雑音は身体が敏感に反応してしまい、なかなか目の前のことに集中できません。

 

そんな再確認があり、

先日お昼休みに自宅に戻った際、そのまま会社に戻ることが出来ませんでした。

足が震え、ドアの前で立ち止まってしまったのです。

 

その時頭に浮かんでいた事は、

「みんなと同じように出来なくてはいけない」

 

しかし、感じていた私の思いは、

"みんなと同じように出来ない"

 

 

知らず知らずのうちに、周りと比べてしまっていたんです。

まるで自分には何も無いような、何も出来ないような、そんな絶望感でした。

 

この絶望感というのは、

初めて抱いたものではありません。

 

集団の中で過ごす度に、感じていたことです。

 

インナーチャイルド達の中でも、【ペインター】は特に感じていました。

自分に自信があった高校時代ですが、みんなと同じ部屋で同じことをすると、いつも緊張感に襲われました。

 

人と自分は違うと理解していても、

どんなに自分に自信があっても、

集団の中で感じる、集団の中で伸び伸び出来ない…

「生きづらさ」や「孤独感」、その延長にある「絶望感」というものは、拭いきれないものでした。

 

家庭では父親に合わせるように生きてきましたから、外の世界でも何となくそうしなければいけないような気がして、でもそれは自分の本意ではないことなので、もどかしい気持ちでした。

 

私がアダルトサバイバーとして、ペインターの生きづらさを解消するためには、

"生き方を変える必要があるかも知れない"

という考えを持つことです。なぜなら

 

ペインター…高校時代の私の生きづらさというものは、今の私の生きづらさでもあるからです。

 

 

(どうすればいいのか…)

 

最初はそのように考えていました。

しかし今は

 

(どうしたいのか…)

 

そう考えるようになりました。

自分の生き方に "いい" も "悪い" もありません。

これから歩む未来なのですから、結果が今分かるわけが無いのです。

 

頭の中にあるのは、

自分が好きなことをして生きていきたいというもの。

 

身に付けたものは、

洋服の縫製と、

写真を加工する技術、

筆で字を書く技術、

…これらはどれも好きなことです。

 

そして出来ることは、

アダルトチルドレンの体験を話すことです。

 

 

上記に書いたこと全てが出来る人というのは、私の周りにはいません。

私が自分と比べて時には自信を無くし、無力を感じていた、その誰か…周囲の人には無いものなのです。

 

確かに私の好きなことであり、得意なことなのです。

 

これに気付けただけでも、最近の私は収穫が出来たな…と感じます。

 

頼まれた服を作り上げ、

お願いされた絵を描くと、

 

また新しい生き方の道が開けるような

そんな気がします。

 

 

どうしても人と比べてしまいますね。

アダルトチルドレンであれば、それは自然なことかも知れません。

 

しかしだからこそ、自分が今どんな環境で生活をしているのか、ストレスを抱えすぎていないか、自分は本当に何も無い人間なのか、

じっくり考えてみる必要があると思います。

 

子供時代にどんな体験をしようと、

生き残ったのだから、今後は素晴らしい人生にしたいと思うのです。

生きづらさを抱えたまま何もしないで死んでしまうのは、なんだかとても悔しいのです。

 

せっかく生まれたんです。

本当は生まれて来たくなかった…たとえそう思っていても、私は自分で死ぬ勇気がありません。

なぜなら私は、死にたくないからです。

死にたいなんて思って無いからです。

なぜ私が死ななきゃいけないんだよ!…と、自分のネガティヴに突っ込みを入れることもあります。笑

 

もっと美しいものを見たいし、面白いことをしたい。

楽しんで笑いたいし、自分を表現したい。

 

それらは誰かに与えられるものではなく、

自分で取りにいくものなのかも知れませんね。

 

美しい場所へ行き、人に出会い、

リラックスして笑い、自分を表現してそれを誰かに見せたい。

大人という責任はありますが、それらは自由に得ることが出来るはずです。

 

そう、思います。