子供の質問

アダルトチルドレンと教えてもらい、それからの日々の事など。

マイノリティ

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2016.4.17
(従姉妹の結婚式の日)
 
テレビでも聞くことが増えた
「マイノリティ」という言葉。
ご存知ですか?
 
日本語訳で社会的少数者のことです。
 
日本のメディアで最近取り上げられるマイノリティというのは、セクシャルマイノリティ性的少数者が多いでしょう。主に同性愛の人々のことを指すことが多いです。
 
しかし、多くのアダルトチルドレンが育った環境、
「機能不全家庭」もまた、マイノリティの1つとされています。
 
障がいを抱えた人もまた、マイノリティの1つ。
 
私は子供の頃から、マイノリティへの特別な想いを抱いています。
大人になった今でも、変わりません。
 
特別な想いというのは…私はマイノリティの彼らに対して親近感を抱いています。
失礼な表現に聞こえるかも知れませんが、彼らの持っている力を面白いと思うし、彼らに対し好意を持っていて、興味があるのです。
彼らに対して、希望のようなものも抱いています。
 
私が嫌いなことの1つに、「差別」があります。
父はよく差別をしました。
男女差別はもちろん、見た目で人を判断します。
同性愛の人がテレビに映っていれば、
「気持ち悪い」と言います。
 
父のこの言葉を耳にする度に、私は自分の身体の中に熱を感じていました。怒り…というのもありますが、同じくらいあるのは、父がなんてつまらない人間なんだという冷めたもの。
 
人を性別や見た目、性的対象の違い、それらに対して差別し、決めつける。
体に障がいを抱えた人がテレビに映っていれば「あの人は〇〇なんだよ」と勝手な解釈をする。
 
おそらく、私自身、決めつけられることが大嫌いなんです。まるで不自由。
 
しかし、私も差別をしていると思います。
多くは世間一般と呼ばれる人達、考え方…それらに対し差別していると思います。
 
なぜ差別してしまうのか、考えてみたんです。
おそらく私自身が、世間一般と呼ばれる人ではなく、マイノリティとしての考え方や感じ方が強いからかなと思います。機能不全家庭で育ったことも理由の1つですが、マイノリティという存在を身近に感じていたからかも知れません。
 
自分が男性なのか女性なのか、悩んだことはありますか?
私は中学生の時でしょうか、悩んでいました。
その理由は、同じ性別の女の子に対して好意を抱いていたからです。それが恋愛感情なのかは分かりませんでした。しかし、魅力を感じ、もっと話したい、もっと触れたい、自分を好きになって欲しいという想いがありました。当時、友達と集まり話題になるのは恋バナ。好きな人の話です。私は一生懸命、好きな男の子を探そうとしました。
 
マイノリティについて遡ると小学生の頃でしょうか…身体障がい者の方と触れ合う機会があったと思います。目が見えない、耳が聞こえない、歩けない、…様々な障がいを抱えている彼らに対し、私は親近感を抱いていました。私は目も見えるし耳も聞こえる、歩くことも出来るけれど、私が持っていない力を彼らは持っていて、それはとても魅力的に感じました。とても美しいものだと感じたのです。
彼らを可哀想だと思ったことはありません。
羨ましいと感じることはあっても。
 
フォトレタッチの仕事をしていた頃、会社に綺麗な男性が入社してきました。彼は確かに性別は男性なのですが、振る舞いや言葉遣いはとても女性らしく、可愛らしい笑顔をよく見せてくれました。年齢は当時の私よりもずっと年上のようでしたが、彼からは性別や年齢を感じさせない不思議な魅力がありました。会社の中には「"オネエ"なのかな?」そんな憶測が飛んでいました。しかし、私にとって彼はただしなやかな動きをする可愛らしい人でした。
 
ある日私は仕事がうまくいかず、デスクの前で泣いてしまったんです。同じ部屋にはその男性も居ました。彼は私のデスクに来て、チョコレートをそっと置き、
「飛鳥ちゃん、元気出してね。」
そう声をかけてくれたんです。彼はすぐに立ち去ってしまいましたが、私はとても嬉しくて感激しました。
 
東京でファッションを学び、「ユニセックス」という言葉を知りました。ファッションの歴史の中で、男性と女性の服装というのは長年、その違いを示すものがほとんど。男性の服装は強さを表わすもの、女性の服装は美しさを表わすもの。男女に共通していたものは「地位」くらいでしょうか。布を多く使ったものはそれだけ富があることを示し、貴金属を身に付けます。位によって身に付ける布の色さえ、制限されていました。
男性らしく、女性らしく…その考えがナンセンスだと言われ、性別における服装の制限が緩和されたのは最近のことです。
 
近年、原宿では女装とは違う、美しい男の子達の存在が話題になっています。彼らはメイクをし、カラコンを入れ、格好でこそ男性と分かりますが、とても美しい。華奢な身体つきにあどけない表情…そこには男性らしさというものはあまり感じられませんが、男性でありながら美しくありたいというポリシーや強い想いを感じますし、何より努力家です。魅力的だなと思います。
 
東京から福岡に戻ると、男性の友達が同性愛者であることをカミングアウトしたことを知りました。
今彼は、様々な問題や悩みを抱えた人達の救済者として活躍しています。私も思い切って性犯罪に遭ったことや悩みを聞いてもらったのですが、彼はとても優しく、愛を持って相談に乗ってくれました。
 
心理士さんにブログを紹介した日、私は自分の似顔絵のスタンプを押し、ブログのURLを書いた和紙のカードを渡したのですが、そのカードというのは障がい者施設の人が作ったカードです。
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いびつな形に厚さもバラバラ、しかしとても丈夫で、暖かい色味のこのカードを私は気に入っています。
鹿児島県にある「しょうぶ学園」
 
私は数年前にしょうぶ学園で芸術作品を作る人達の展示を観るために福岡のギャラリーに足を運びました。このカードはその時ギャラリーで売ってあったもの。学園の工房で作られたものだそう。気に入って数十枚の束で購入しました。
 
展示はとても素晴らしかったです。
1人1人個性的な作品が並び、表現方法も様々。
素敵な芸術家達の存在を知ることができ、その作品の魅力を味わうことが出来た貴重な1日になりました。
 
 
 
なぜ今回マイノリティについて書こうと思ったのか。それは、私自身がマイノリティであり、マイノリティに対し理解したいという想いが強いということ…それらはとても良いものだということを、私の体験を通して伝えたかったからです。
 
機能不全家庭で育たなければ、今悩んでいることはなかったかも知れません。
親に対し憎しみや殺意を抱くことはなかったのかも知れません。
色んな「たられば」が浮かぶことも無かったでしょう。
 
しかし私の主治医が話してくれたように、アダルトチルドレンは優しい人。人を理解しようと思える人だと私も思います。
 
統合失調症と言われなければ、精神病を抱える人を全く理解出来なかったと思うんです。
 
マイノリティの方と触れ合うことが無ければ、感じることが出来なかった体験がたくさんあります。
 
 
差別のない世界があれば、良いですよね。
しかし人は完璧ではありませんから、知らない事があり知らない世界があります。
自分の身を守る為に知らないままでいたいと思うこともあるでしょう。
知らない世界に近付きたくないと思うこともあるでしょう。
多数派の中にいれば安心感を感じることもあるでしょう。
 
人を理解したいという想いは…自分の長所は、
自分が幸せになるために使いたいと最近思えるようになりました。
理解したい相手がマイノリティであっても無くても、境界をつけずに接したいと今考えています。
 
まだまだ、世間一般や常識というものに対し、眉間にシワを寄せてしまう時がありますが、苦笑。
そんな時は、自分がこれまで受け取った優しさを思い出してみようと思います。
優しさを与えてくれた存在…それには多数派も少数派もありません。
性別はもちろん、育った環境も、人間だとか動物だとか自然だとか、そんな境界はないですから。