子供の質問

アダルトチルドレンと教えてもらい、それからの日々の事など。

主人公であり続ける母

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2016.2.7

 

私の父が母に言うことがあります。

「悲劇のヒロインぶって!」

 

…正直なところ、私も母に言ったことがあります。

 

なかなかシュールというか、会話の中でこれが出てくるというのは、変な話おもしろいですよね。

 

私の母について、これまでブログに書いてきたのはモラハラ夫を持つ妻そして母。

母について書く際に「優しい」という表現を私はよくしますが、母は優しいだけではありません。

 

自分がアダルトチルドレンと知り、それまで父親の言動ばかり気にしていた私は、母の背中を追うようになりました。これまで大きな誤解や蔑ろにしてしまった罪悪感もありますが、今同じくらいあるのは、母という人物に対する好感と興味です。

 

母はどんな時も、主人公であり続けています。

 

それは…常に自分を主人公として見れることというのは、ACの私が見習うべき点でしょう。

 

母はどんな人か…娘の私が言うのも何ですが、

ディズニー映画「美女と野獣」のベルのような女性です。母はこの作品が大好きですが、それを知っていることもあり、子供時代の私は母が嫌いでした。

私の頭にあったのは、まさしく "悲劇のヒロイン" を演じている母です。母はおとぎ話のプリンセスに自分を重ねて現実を見ていない…

私はそう思っていました。

 

しかし、違いました。

母はおとぎ話の世界ではなく、紛れもなく現実を、主人公として生きている人なのだと感じます。

 

母はよく自分のことを話します。

声は…とても綺麗な声をしていますね。

身振り手振りが多く、声の表現も上手いです。

その時の情景が浮かぶよう、誰かの真似もします。

 

そして母の言葉遣いというのは、標準語に近いもの。母は私と兄が子供の頃から、なるべく方言を遣わないよう気をつけていました。福岡でもかなり田舎の地域で特徴的な方言が飛び交う中で、母の綺麗な言葉遣いというのは子供の頃から不思議でしたね。

(何でも、母は若い頃にNHKのアナウンサーの美しい話しぶりに感動したんだとか。)

 

会話の中で感嘆が多いのも母の特徴です。

"わぁ〜!"

"うっそー!"

"ショック…"

"ウフフ"

"あらやだ!"

 

…漫画の吹き出しにありそうなものですよね。

 

顔の表情も豊かです。

 

話すスピードが遅い訳ではないのですが、結論までじっくり時間をかけるので、私と父はイライラしてしまうこともあります。

 

"それでね!それでね!"

"それからね!"

とても楽しそうに話すので、こちらが照れてしまうこともあります。母の話を聞くのが上手なのは、私の兄です。兄もまた自分のことをよく話すのですが、人の話は穏やかに聞いてくれる長所があります。

 

母は肝心なことを…話しません。

子供には話せないと思っているのかも知れませんが、辛い体験や本当に苦しい心持ちというのは、母は話さないのです。子供には…というより、おそらく誰にも話していないと私は考えています。

 

しかし、私は自分がアダルトチルドレンと知り、これまで以上に母に相談するようになりました。

母がこれまで辛い場面をどう乗り越えて来たのか、

苦しい心とどのように向き合って来たのか知りたかったのです。

 

普段話さない込み入った話になると、母の表情は変わりました。

母は楽しいことが好きなのでしょう。楽しめていないとすぐ顔に出るのは、私が母に似たところ。

 

母が辛い過去を話す時も、そうでした。

私が相談する度に色んな話を聞かせてくれたのですが、本当なら母の話したくないことだったでしょう。話し始めは声のトーンも表情も暗いんです。

 

しかし、必ずエンドします。

起承転結…物語の終わりのように、締めくくります。

話は…長いんですけどね。苦笑

 

印象深いのは、きちんと自分と向き合っているような、そんなエピソードです。

 

"私ならやれる!って言い聞かせたの!"

"ネガティヴな自分は嫌だなって思ったの。"

"負けないぞ!って。"

 

私はインナーチャイルド=子供時代の自分が5人いて、頭の中にいくつも感情があって混乱してしまいますが、おそらく母はネガティヴとポジティブ…天使と悪魔の時もあるでしょう。しかし、母はきちんと自分として認識出来ているように私は感じました。

 

母は困難な直面の度に、自分と向き合い自分を奮い立たせることが出来る人なのだと…そう思いました。

 

母を見ていると、最近は羨ましいと感じます。

表情豊かで、喜怒哀楽が存在し、自分を励ましたり労ったり出来て、自分という人間を愛することが出来ること…私が持っていないものを持っています。

 

花や猫に話しかけたりするちょっと変わった女性ですが、外の世界で私も同じように過ごすことが出来た【フラワー】の時期を思い出します。

 

母は歌うことが好きです。

恥ずかしいと言う割には、若い頃は町内のカラオケ大会に飛び入りで参加したり、歌声を録音したテープを送ったりと、歌うことに関しては積極的です。

 

私が歌っていると、被せてくるんですよね。苦笑

"邪魔しないでよ〜"

と私はよく怒っていましたが、母は

"ごめんごめ〜ん"

と言いながら、数分経つとまた歌ってしまいます。

 

歌が好きなのでしょう。

楽しくて仕方ないのでしょう。

 

母と過ごす時間というのは、私は伸び伸び出来ます。

緊張感もなく、父が出張で居ない時は、2人でよくだらけていました。

そんな時間というのは、将来の不安だとか、自分には何も無いとか、それまで1人で悩んでいたことをすっかり忘れさせてくれるものなんです。と

つい、最近気付きました。

 

 

母のことだけを信じて生きてこれたら…

 

そんなことを考えてしまいます。

母が弱い人なのだと決めつけ、父から母を守らなくてはと躍起になり、自分のことを放り投げて来た日々….。

 

私がそのようなことを口にする度、心理士さんはストップをかけてくれます。

"守られるべき人は子供のあなただった。"

"あなたがお母さんを守る必要はない"

"自分を全て差し出す必要もない"

 

これからは、親とか子供とかじゃなく、

ただ人として、魅力的な女性である母との時間を大切にしていけたら…

 

そんな風にも思います。

 

 

ps

冒頭の写真は、画家であるクリムトの作品の一部。

母が職場から貰って来てくれました。

作品自体は何人か女性が描かれているものなのですが、トリミングして切り取ってあると、この女性が主人公のように思えますね。毎日癒されています◎