父と娘
父は悩んでいるそうです。
…いえ、父も、悩んでいるそうです。
父としては、今、娘の私がなぜ自分を批難し拒絶するのか理解出来ないのでしょう。
私もなぜ、父がまた妖怪に、バケモノに視えてしまったのか…最初は理解出来ませんでした。
大人になっても無くならない縛り付けられるような束縛感、過保護とも過干渉とも言えない父から管理されているような生きづらさというのには、確かに困っていました。それさえなければ…と、東京でもよく考えていましたね。
しかし紐解いていくと…臨床心理士さん、精神科医、私の中の記憶から出現したインナーチャイルド達に出会うと、何もかもが、納得いったんです。
娘の私は家族の中でもとりわけ、父からの愛情を受けていたと自分でも思います。
確かに性犯罪に遭った時、そしてその後父から言われた言葉というのには…
"犬に噛まれたと思え"
"またヤられるぞ(レイプされるぞ)"
この2つというのは未だ心にへばり付いています。
取れない…水垢のようです。
でもそれ以外は、それほど残っていないのです。
父から言われた言葉というのは、子供として私にとって重要なものでした。父から言われて気付かされたことも沢山ありますし、言い分に納得出来ること、自分を想っての言動なんだと…しばらく経てば素直に受け取ることが出来たからです。
だからこそ…不思議でしょうがなかった。許せなかったんです。
なぜ娘の私に接するように、母や兄に接しないのか。些細なことで攻撃をし、食卓を戦争に変えてしまうのか。
その疑問というのは、解かれることなく山積みに。
そして、傷付いてもいたのです。
私に向けられた攻撃では無かったとしても、母が責められる度に恐怖を感じ、酷く傷付いていたんです。
人から言われて…
過去を散々振り返って…
ようやく自分で気付けたんです。
人としてみれば、確かに父は嫌なやつなんです。
偏見、差別…相手を見下すことなんて眼に余るものがあります。
しかし、私と2人で居る時の父は…
そんなこと無いんですよ。
小さい頃から兄に比べあまり喋らず、大人しい私に対し、父はとても気遣ってくれました。
性格も…私は父に似ている部分がとても多いと感じます。
子供の頃は父が怖くて話せませんでした。
食卓の戦争が怖かったからです。
いつからだったでしょう。
父がバケモノではなく人間に見えたのは…。
不思議なんですよね。
食卓では、自分を大きく話す父なのに、私と2人で居る時はそんなこと無いんです。
1番違うのは、「声」でしょうか。
私は人の声にとても興味があって、声フェチなんて自分で言ったりするんですが、声が違うんですよ。
特にお酒を飲んでいない時は違います。
とても穏やかに話すし、食卓の父には感じられない "謙虚さ" があるんです。食卓ではナイフのように尖ったり、叩かれているように感じる声が、テレビドラマで見るような "お父さん" の声になるんです。
わたしの勝手な妄想なんですが…
父は静かな人と居ると本音が出るのかな?なんて考えています。
私の母はとても話し好きで、だけど母が父に1日の出来事を話す時…父の精神が揺れ動いているように感じる時があるんです。母は楽しかったことを楽しく話しているだけなんですが、父は責められていると感じているような…そんな風に見える時があります。元々心が不安定な状況の時であればなおさら…。
私が父と2人で居る時…高校生くらいからでしょうか。
そこには話す必要がない、という安心感が私にはありました。沈黙が多いのです。でも珍しいことではありません。私が父と2人で居る時というのは、大体そうなんです。でも会話が全くない訳じゃない。
私から何か話すこともあるし、父から話すこともあります。
私はよく質問しますね。ほとんど質問かもしれません。社会人になってからは、仕事の話がほとんど。
人間関係ではなく仕事のことにスポットを当てるなら、相談相手は私は母ではなく父を選びます。
仕事人間の父に仕事の相談をすると、父は嬉しそうに話すんですよ。そしてその話には、誰かを傷つけたり馬鹿にする言葉は使わないんです。
父もまた、よく相談をしてきます。
これも、仕事の話が多いです。社会人として父に比べ明らかに経験が浅い私に相談をしてくれることが、私もまた嬉しかったりします。
何気ない会話も出来ます。
出張が多い父、福岡市内によく足を運ぶ私は、どこどこに新しいビルが出来たとか、電車の時刻表が変わったとか、私が東京に行ってからは東京のこと。
嬉しかったのは…
シャネルについて父が調べていたことでしょうか。
ファッションに全く興味が無い父が、シャネルの人生を調べ、NHKで放送された小篠綾子さんの人生ドラマについて話してきました。
ちょうど友達とシャネルの映画を観ていましたし、ドラマは観ていなかったものの、小篠綾子さんには私は高校生の時にお逢いしたことがあったんです。
絵画で賞をもらい、母と祖母と京都へ表彰式に行きました。審査員としていらっしゃったのが、小篠綾子さんだったんです。当時は文化服装学院に自分が通える日が来るなんて思ってもいなかったし、生まれて初めて目にするファッションデザイナーに対して全く知識が無く、可愛いお婆ちゃんという印象でしたね。笑
父の思いつきで家族で映画館に行くことが割とあったんですが、私はこれが嫌いじゃありませんでした。帰りの車中、戦争が始まったとしても、映画のことで私の頭の中はいっぱいでしたから。
父と2人で映画を観に行ったことも何度かあります。
「300(スリーハンドレット)」という映画を父が観たいと言い、確か戦争モノだったと思います。
母は過激な戦闘、とりわけ血が出る描写は苦手でしたから、父と私の2人で観に行くことにしたんです。
映画館に着くと、映画館には上映中のポスターがたくさん飾ってありますよね。
その中に「舞妓Haaaan!!!」という作品のポスターがありました。阿部サダヲさん主演の映画です。
私はポスターのキャッチコピーやデザインが目に止まり、じっくりと見ていたんです。コラージュのようなポスターのデザインが面白いなぁと、細部まで見ていました。
すると、父が
「こっちの方が面白そうやな…」
と言い、急遽「舞妓Haaaan!!!」を観ることに。
映画はとても面白く、会場は笑いがいっぱいでした。私は小学生の頃観たサーカスの観客を思い出し、人を魅了する作品が観れたことを嬉しく思いました。隣に座る父も、たくさん笑っていました。
大人になれば、父のこれまでの言動を許す自分もいました。今だって、父を許したいという想いはあるんです。
いつだったでしょう。
あんなに怖かった父が、父の背中が、とても小さく感じたんです。
自分がアダルトチルドレンだと知り、憎しみが生まれ、仕返しをしてやりたい…復讐してやりたい…同じ苦しみを与えてやりたいという想いの先にあるのは、小さい父の背中なんです。
とても小さく、弱く、親はいつか死ぬんだなという実感…
それを思い出すと、じゃあ自分はこのドロドロとした感情を、今にも爆発しそうな感情を…
一体どうしたら、どこに向けたらいいのだろうか?
そう、思うんです。
それが分からないから、私は今、父と距離を置いているんです。
時間が経てばまた許せるのか。
また以前のように会話が出来るのか。
お互いに相談し合える関係に戻れるのか。
分かりません。
ずっと考えています。
父も苦しいだろうけど、私も、苦しいんです。