家族の「理想像」は、曖昧がちょうど良い。
今日、腰を痛めたという母の、病院への送り迎えをしました。少しは娘らしいことが出来たのかな…という気持ちでいます。
さて、
今回お話したいのは、私がイメージしている理想の家族…
ではなく、それが自分を苦しめることにもなり得るということです。
私が子供の頃から、何度も思ったのは
"なぜ私の家はこうなんだろう…"
他所の家庭と比べて、
その違いに対する疑問でした。
そして、何度も感じました。
"これさえなければ…"
父の乱暴な言動、差別、偏見、
母と兄の苦しい顔、etc…
自分の家の中に対して、自分の家族に対しての
望みであり願いであり、理想でした。
過去の出来事がフラッシュバックする毎日を送っていると、段々と想いが強くなり、いつしかそれらが執着心になっていることに気付くことがあります。
その度に、
虚しさというか…
切なさというか…
様々な「たられば」が浮かぶこともありますし、
当時の環境や家族に対して、憎しみを抱いてしまいます。
憎しみを抱くこと…それ自体は否定しない方がいいとは思っているものの(否定してしまえば、辛くなりますから)
モヤモヤとしたものが、心の中に残っていきます。
これまで私は
自分の家庭、家族の理想は…
ずっと他所の家庭、家族だと思っていたんです。
比べることが当たり前になっていたんですよね。
そして、他所の家庭、家族のようでなければ
"いけない"
そうも感じていました。
この時点で…自分で自分の首を絞めているんです。
"〇〇なければいけない" シリーズの中でも、だいぶ最初の一文かも知れません。苦笑
私は何か作品を作っている時、…
それに限らず何かを"やりたい" =欲求
から始まったものが、いつの間にか
"やらなければいけない" =義務
…ごくごく自然と変わってしまうことがよくあります。自然と…つまり、無意識に変わってしまうんです。
子供の頃からの癖なのか、気質なのかは分かりません。
しかし、家族に対するイメージも同じです。
私は確かにお友達や他所の家庭、家族に憧れを感じ、羨ましいと感じ、自分の家もそうであって欲しいと思うんです。
ですが…
おそらく私はお友達や、他所の家庭、家族の一部分だけしか見ていないという真実…
それに気付けなかったんです。
一日中他所の御宅の風景を観察した事もなければ、
その観察を長期間やった実績も無い訳です。
何の根拠も無い、純粋な理想だったんです。
社会人になり、働き出すと、色んな人と接するようになりますね。苦手な人も嫌だな…と感じる人も出てくると思います。
働くことが楽しくて仕方がない!…そんな期間もあれば、働くことってこんなに大変だったっけ?…
そんな想いを抱くこともあるでしょう。
理想があまりにも高く、具体的であればあるほど、
人は完全、完璧を目指そうとします。
私も完璧主義を持っていますので、自信を持って言えます。笑
しかし、苦しい。
理想に届かないと、悔しい気持ちにもなりますし、他人からあれこれと、(そこまでやらなくてもいいのに、…だとか)言われることもあります。
自分がアダルトチルドレンだと知り、
過去を振り返り、自分が育った環境…受けた痛みを知ることは大切です。
どうにかしてインナーチャイルド達のために取り戻してあげたいとも、思います。
ですが、過去には戻れません。
これは、真実です。
今生きているのは、過去ではなく「今」なんです。
この先両親と、どのような関係を持てばいいのか…
悩みますね。先ずは、自分がどのような関係で "在りたい" か。それが一番大切でしょう。私のように自分が分からない、そんなACの方は特に。
しかし、その周り…
少し逸れますが、
退職の際に頂いた花束ですが、まだ咲き続けているお花達が居るんです。
もう頂いて13日経過しているんですが…残ったお花達を自分で生けてみました。
(生け花については全く無知なので、お恥ずかしいんですが…)
例えるなら、
真ん中の大きな薔薇=「自分」だとしましょうか。
私がコレで家族を例えるなら、葉っぱ=「家族」。
……………分かりにくいですね。苦笑
えー…何が言いたいかというと、
実はまだ生けれそうな葉っぱは、数種類残ってたんです。ですが、私は上の写真にある形の葉っぱを最終的に選んだんです。
その時ですかね、
色んな種類の葉っぱ…
お花には茎があり葉っぱがありますよね。
まるで親の先に、育てた子供が咲いているように。
そんな想いの中、私は上の写真にある葉っぱを選びました。なんとなく…合うかな?と思った程度の選び方。
この感覚って、すごく大切だなと思ったんです。
先の話に繋げるならば、自分がこれから生きる周りの環境ですね。薔薇の周りに咲くお花達は、自分がこれから大切にしたいもので埋め尽くしたいという想いが私にはあります。
ですが、葉っぱ…
葉っぱは、何となく合うかな?っていう曖昧なもの。多少形が違っても、緑色であればいいかな?
そんな具合。自分が育った家庭や家族は、そんな具合でいいと思うんです。
血の繋がりというのは、無くなりませんから。
ACの方の中には両親と縁を切りたい、切ったという方も居られるでしょう。
私も正直、何度も思いました。
ですが、今は育ててくれた「感謝」、現に職を失い生活を支えてもらっている現実があります。
大切なのは、
葉っぱが無くても咲ける…
葉っぱが有っても咲ける…
親が居なくとも自分らしくいれる
親が居ても自分らしくいれる
これが、私の理想のイメージです。
まだまだ曖昧さが足りない気もしますが、苦笑。
PS
冒頭の今日の感想ですがね、
私は前日までモヤモヤしてたんですよ。
母への意地悪な気持ちも浮かんだし、
(「タクればいいじゃん=タクシーで行けばいいじゃん」)だの、
私を利用しているのか?という被害妄想。
かと言えば母が心配で気が狂いそうになる程の不安にも襲われ、
なんだかひっちゃかめっちゃかな夜でしたね。
しかし朝になって、いつものように珈琲を飲み煙草を吸う。(…身体には悪いですが、アダルトサバイバーのスイッチが入るルーティーンなんです。。)
そうすると、昨夜には無かったポジティブな考えが浮かんで
"あんなに私の車の運転を心配してたのに。。
タクシーじゃなくて、私に頼むの?
なんだよそれ…(←結構嬉しかったり)
ってか、病院嫌いの母が病院に行ってくれることは…良かった。ホント、いつも無理しすぎるから。。
待ってるよね。私を…
頼ってくれてるんだよね、私を。"