子供の質問

アダルトチルドレンと教えてもらい、それからの日々の事など。

過度な心配が招くものとは?

 

私の父は、物事を大袈裟に話したがります。

おそらく、話すだけでなく大袈裟に物事を受け止めていると、私は感じています。

 

よく父が話していたことは

"いつも最悪の結果を想定しているから、俺は失敗しない"

 

これが、大嘘だと私が気付いたのは、つい最近でしょうか。

 

いえ、父にとってはそうなんでしょう。

最悪の結果を想定しているからこそ、それを防ぐために努力をする…

おそらくそのように伝えたかったのかもしれません。

 

しかし、子供の私は違った受け止め方をしました。

 

"失敗しないためには、いつも最悪の結果を想定しなければいけない"

 

そう受け止めた子供の頃の私は、出来る限り最悪の結果をイメージします。

その後には…

いつも大きな不安に襲われました。

父の真似をしているのだから、これがネガティヴ思考だなんて思いもしなかった。

 

私は長らく、ネガティヴ思考をする訓練をしてきたようなものです。

父の言うことは、仕事であれば理に適ったことかも知れません。トラブルを未然に防ぐために、あらゆる悪い結果も想定して動くことは大切なことでもあるでしょう。

 

しかし、まだ小学校、中学校…自分という人間を作り上げる子供時代には早過ぎました。

 

いつの日か…

失敗しないように、

父に怒鳴られないように、

母が怒鳴られないように、

 

そうするためにはどうしたらいいのか

最悪の結果を防ぐためにはどうするべきなのか

 

…確かに仕事においては、この姿勢が助けになることもありました。些細な事でも気付ける、見逃せません。

しかし、助けになったことよりも困らされたことの方がずっと多く、この姿勢は日常生活にまで首を突っ込んで来ます。

 

自分でも止めたいのに止められない…

 

よく言う強迫概念の1つでしょう。

私が毎日のように家庭内でのトラウマをフラッシュバックしてしまうのも、長らく "最悪の結果" をイメージする訓練をしてきたからだと今は考えています。

 

"失敗したらどうしよう…"

 

これは誰もが持つものだと思います。

大事な試験、人生においての大きな決断、行動に踏み切る際には、誰でも多かれ少なかれ抱く不安ではないでしょうか。

 

しかし、大切なのはその後。

勇気を出して乗り越えるために、不安を抱えてでもそれを突破する力です。

 

その力というのは、体力もそうですがやはり精神面の強さだと私は思うんです。

想像する=イメージする力です。

 

"失敗したらどうしょう" そう考えた後に、

それでも成功する自分をイメージするのか、或いは

"まぁなんとかなるだろう" とイメージするのか、

はたまた、

"絶対に失敗するに違いない"とイメージするのか。

 

いつも最悪の結果をイメージする私は…

お分かりでしょう。最悪の結果をイメージしているのですから、失敗すれば思った通りになったと感じます。

その後に "思ったほどの失敗では無かった!" とプラスに働けば幸い、しかし大抵の場合はその後の更なる悪い不幸を思い描いてしまうのです。

 

 

父は非常に心配性な人であるとも私は考えています。心配性であるからこそ、失敗に対しての恐怖が大きいのでしょう。

仕事が上手くいかない時などは、不機嫌になり怒鳴り散らすという特徴と同じ位、「どうせ俺なんか…」と落ち込み、普段自分が攻撃している対象=母に対し、慰めや同情を求めることが非常に多かったです。

…これもまた、モラハラ夫の典型ともいえるでしょう。

 

父自身のことなら、さほど影響は無かったと思います。しかし父の心配性な部分というのは、他人にも向けられるものでした。とりわけ家族の中でも娘の私に対しての心配な部分というのは大きかったのでしょう。それは私が中学時代、性犯罪に遭ってから、とてつもなく大きなものに変化したと感じています。

 

"父が怒鳴るようなことをしてはいけない"

 

その私の禁止事項には、ごく自然と

 

"父に心配をかけてはいけない"

"父を悲しませてはいけない"

 

これらが加わりました。

 

 

父はこれまで、私が失敗をしないように、あれやこれやと世話をしてくれました。

共依存の記事でも話しましたが、それらは私にとって "余計なお世話" でした。

 

失敗をしない人はいません。

私は失敗を恐れ、更には失敗を "し損ねて"、大人になっても失敗することに対してとてつもない恐怖を抱いているのだと思います。

 

まだシャツ縫製の仕事をしていた頃です。

仕事を辞めることにしたと父に話しました。

 

父は私がニートになると思ったのでしょうか…

 

「もう家を売るしかない!おい、家を売るぞ!」

 

母をまくし立てました。

 

私は耐えきれず、辞めることを止めたんです。

 

当時一緒に働いていた喫煙仲間のお姉さんは、

「え?おかしくない?だって別に飛鳥ちゃんが一家を支えている訳じゃないよね?お父さんもお母さんも仕事してるんだよね?…おかしい…」

 

不思議そうな顔をしていましたね。

私も不思議でした。

不思議でしたが、父のイメージした "最悪の結果" は、ごく自然とイメージ出来ました。

 

おそらく、父は自分が働けなくなった後の事を考えていたのでしょう。単純に。

 

私は何も、一生働かないとは言っていません。

すぐに次の職場を探す気でした。

 

私自身、何を言っているんだと父に対して思っていました。しかし父を悲しませては "いけない" と信じ込んでいたので、こういったやり取りで自分の決めたことを断念した事は沢山あります。

 

過度な心配を受け続けると、

子供は何も出来なくなります。何も出来ない…それは自分が無力だという思い込みよりも

 

"身動きが取れない"

 

それに似ているものだと私は考えています。

 

やりたいことがあろうがなかろうが、

いつも親からの禁止事項で包囲されていまっている状態です。

 

アダルトチルドレンの中には、身体的虐待とは無縁のような方もいらっしゃるでしょう。

私もそうです。

 

心理的虐待とも言い難い、親から大きな世話を受けて育った人間というのは、社会で苦労します。

失敗をし損ねた分、それは年齢と共にプレッシャーのような形で襲いかかることもあるでしょう。

自分はなんでこんなことも出来ないんだ…と落ち込み、気を病む事もあるかも知れません。

 

私は、少しずつ出来ることを増やすよう意識しています。

出来ないのは "当たり前" だと信じる事も必要でしょう。信じた後は、出来るようになるために少しずつ練習を重ねることです。

 

落ち込むのではなく、気を病むのではなく、

まだまだ伸び代があるのだと前向きに考えることです。

 

以前の職場に転職した際、入社当初私はよく言われました。

「もう、落ち着きがないわね!」と。

 

新しい事を前にすると、ワクワクしてしまうんです。いつもに増して多動になります。

感嘆詞が多く、動きも落ち着きがなく…苦笑。

 

26歳という年齢、見た目とのギャップが大きかったのでしょう。

 

少し落ち込んだのを覚えています。笑

しかし、それだけでした。

 

相手の方とは、日が経つにつれ上手く話せるようにもなりましたし、新しい縫製を覚えるのに1人残って練習する姿を見て頂いていたんでしょうね。

 

 

少しずつでいいのです。

自分の決めた決断を成せなかったアダルトチルドレンは多いと思います。

 

少しずつ、階段を登るように生きていければと

私は今意識して生活しています。