共依存
2016.3.14
先日1年ぶりにお会いした心理士さんに、私は先の写真に写っている立体を見せました。そしてこう言いました。
"この二つの立体は、無理に外そうとすると壊れちゃう"
ある日、仕事から帰った私は、折り紙を折りたくなりました。最初は、大きなボールを作ろうとしていたんです。たくさんの折り紙のパーツを使って。
しかし、折り紙のパーツをはめ込みながら作っていると、なかなか上手くいきません。一箇所が緩くなると、途端に総崩れ、、
…ぴったりとくっ付いていないと崩れてしまう
…ボールとして成り立たない
なんだか、自分と親との関係のようでした。
思い出したのは「共依存」という言葉。
出来上がったのは、離れることが出来そうにない立体です。
アダルトチルドレンと教えてもらった当初、私は古本屋でアダルトチルドレンについて書かれてある本を手に入れました。その中に出てきた言葉が、「共依存」です。結構古い本のようでしたが、以前から自分と同じように苦しんでいる人が居たのだと、知ることが出来ました。
Wikipediaで見てみると、知らないことがたくさん書いてありました。
例えば、共依存と呼ばれる以前は
「アルコール依存症の家族=Co-alcoholic」
"行き過ぎて他人の世話をすることは、当人の能力を奪い、無力化し、その人の生殺与奪を自分次第とする支配になり得る。愛情という名に「完璧に支配しているという快感」を得たいという自己中心性が隠されている。"
高校時代…【ペインター】は、父と接する機会が増え、父を観察し、家族に対する父の言動は愛がある故のものだと理解しました。しかし、ペインターは共依存という言葉を知りません。考えに考え抜いたペインターの答えは、"愛憎" でした。
Wikipediaのページを見て、私は…
父は家族に依存しており、愛情という名の「支配」をしているのだと理解しました。
早くに就職して家を出た兄は、ここでは除きます。
私と母と父の共依存の関係というのは…
三角形のようなイメージがあります。
三角形といっても、矢印は「⇄」双方に向かってあるもの。その中でもそれぞれが強く思っていることは、次のようなものでしょう。
私→母を守らなければいけない
母→父を支えなければいけない
父→娘を世話しなければいけない
私と母については、これまでの記事を読んでいただければお分かり頂けると思います。
まず私が父に抱いている想いは
"父と1番性格が似ているのは私。
父に何か意見を言えるのも、理解出来るのも私。
どうにかして私が父を変えなければいけない。
どうにかして私は父に親孝行しなければいけない。"
一方で、
その想いに対し嫌気がさしているのも事実。
性格が似ているからこそ、父の言動に敏感に反応し、その度に感情が乱れてしまいます。過保護とも過干渉とも言えない父の私に対する束縛に、体は痒くなり、心は錆び付いた鎖に繋がれたイメージを拭いきれないでいます。これからもずっと父の様子を監視しなくてはいけないのかと思うと、気分が憂鬱になります。
まさに、「共依存」を止めたいと思っているのです。
私が心理士さんに尋ねたのは、
"この二つの立体を引き離し、自立させることは出来ますか?"
というもの。
父はというと…私に対してどのような想いがあるのかはわかりません。しかし、父の言動から私が感じることは
"私のことが心配でたまらないのだろう"
"私のことが信用出来ないのだろう"
"私は何も出来ないと思っているのだろう"
"私についていてあげないといけないと感じるのだろう"
父はこれまで、私が「失敗」しないように色んなことをしてくれたような気がします。失敗したら可哀想だから…そんな想いでしょうか。
私が歩く道の雑草を抜き、石を取り除き、地面を平らにし、コンクリートで塗り固め、適当に道端に芝生を植え、花を植え、雨に濡れないように屋根を付け、そんな道のすぐ側から見守っている…そのようなイメージが浮かびます。
その何もかもが、大人の私にとっては余計なお世話だったのだと…今感じています。
雑草は鉛筆でスケッチしたいし、私は石ころが大好きです。石ころを自分で拾うのが好きなんです。
地面はボコボコの方が楽しいし、芝生は要りません。
花は自分の好きな花がいいし、雨にずぶ濡れになりたい時だってある。
何より、父が側に居ると緊張して、やりたいことが出来ません。
社会で生きていく、仕事などでは「失敗」というものは付き物です。失敗しなければ成長は止まってしまいます。しかし、父は家族が何か失敗するとすぐに怒鳴ります。大したことでもないのに、大したことのように怒鳴るのです。何か大きな失敗をしてしまったのか…私は失敗すると、そのような罪悪感に襲われます。
心理士さんのくれた答えは
「出来るよ。一つは、お父さんも "大人" 、あなたも "大人" ということ。子供は誰かに守ってもらわないと生きていけない。だけど大人は違う。」
"私が離れていくことを父が許さなかったら?"
「関係ない。離れられる。」
心理士さんは強く断言してくれました。そして、
「それまでくっ付いていたのだから、この折り紙の立体のように最初は綻びが出るかも知れない。だけどそれは、それぞれ直してあげればいい。ちゃんと自立出来る。」
…と。
私は去年の11月から一人暮らしを始めたんです。
一人暮らしに至ったのは、ある意味限界を感じた数ヶ月があったからです。
しかし、念願の一人暮らし。やっと自由になれる!…と思っていた私は当初、そのような明るさはありませんでした。
母を残してしまった罪悪感
父に寂しい思いをさせている罪悪感
父に心配をかけている罪悪感
お金の管理に対する不安
自炊に対する不安
連れ戻される恐怖
…これらがあり、当初は仕事から帰宅しても、ぼーっとする時間がとても多かったです。壁や天井とにらめっこする日々でした。
しかし、一人暮らしをして半年経ちました。
苦手な自炊もなんとか。
掃除、洗濯もやっています。
お金の管理もなんとか。
お洋服はしばらく買えてないけど、毎日着るものはあります。
風邪を引くことはあるけれど、仕事には行けています。
一人暮らし、なんとかなっているのです。
誰も居ませんから、歌が歌えます。
音楽を聴いて踊ったりもします。
ビールが美味しいなぁと思います。
お絵描きをしたり、ギターを弾いたりします。
精神科に行って最初に主治医、心理士さんから言われたのは
「離れた方がいい」
心理士さんはこうも言ってくれました。
「離れることは逃げるようだけど、まずは安心出来る場所を作ることが大事。結婚したら自立出来るわけでもない。お父さんの前でやりたいことが出来た時が…あなたが本当の意味で自立出来た時。」
私は今回お話した「共依存」のため、一人暮らしをする決心が出来ずにいました。
一人暮らしをして私は、自分自身のありのままの姿を感じました。
"自分は歌うのが好きなんだな。
音楽を聴くと踊りたくなっちゃうんだな。
やっぱりビールは美味しい!
お絵描きをしたい日もあれば、ギターを弾きたくなる日もあるんだな。"
自分でも知り得なかった自分の姿でした。
親との心の距離…離れられない時は、物理的に離してみる…逃げるようだけれど、そこには確かな発見があり、新しい自分に出会えるような気がします。