子供の質問

アダルトチルドレンと教えてもらい、それからの日々の事など。

AC怒りMAXの時の対処法

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2016.10.14

 

子供時代を思い返した時…

トラウマがフラッシュバックした時…

 

困りますよね。

私の場合は最初に泣きじゃくり、(当時のインナーチャイルドでしょう)その後に訪れるのは、

 

怒り

憎しみ

論破したい

etc…

 

しかし、鮮明すぎる程覚えている当時の光景…

また同じ目に遭うことは、おそらく私の場合は無いでしょう。

 

父は確かに、 "丸くなった" し、

母はモラハラから脱却しました。

 

ですから、今の両親にどんなに暴言をぶつけようと、

当時の環境の最悪さを理解してもらおうとしても、

非常に難しい。そして、

それは現在の彼らに対してのものでは無いのです。

 

それが理解出来ているから、突然に生まれるやり場のない気持ち…

これらをどう対処したらいいのか困り果てます。

というか…収まらないんですよね。

 

そんな時にと、心理士さんがオススメしてくれた対処法があります。

 

今回はブログをご覧の皆さんにもお伝えできればと思います。

 

怒りや憎しみ…

自分から生まれたものです。

自分から生まれた大切な自分の感情です。

 

子供時代はそれを感じないように、

怒りや憎しみを持つことが "悪い事" だと信じ、

何度も何度も蓋をしてきたACの方もおられるでしょう。

私もその1人です。

 

ですが、持っちゃいけない感情なんて、

私は無いと思います。

自分から生まれた怒りや憎しみを認めながら、

それらがMAXになって攻撃的になってしまう時にどうしたらいいのか…。

 

心理士さんはある魔法の言葉を教えてくれました。

私にとっては画期的とも思えたものです。

 

「あの時さぁ…!」

 

これを冒頭に持って来るんですよ。

当時の親、或いは現在の親にぶつけてやりたい言葉は、怒りや憎しみを感じた時には幾らでも出てきます。

 

そんな時に "あの時さぁ…!" を最初につける。

 

私が、何て画期的なんだと思った点は、

完全に "過去" にしてしまうからです。

 

トラウマというのは、過去に起こったはずなのに、

感じている私は、まるで当時の環境に置かれた状態になってしまいます。

タイムスリップしたかのように。

 

過去だと肯定する "あの時" というフレーズは、

まさに現在を生きるAC=大人の自分には、魔法のような言葉なのだと感じました。

 

先日…

思い出してしまったんですよね。

 

食卓から母を追い出す父、

そして抵抗もせず言われた通りに食卓から離れていく母…

 

最初は泣きました。

おそらくインナーチャイルドの【child】でしょう。

自分を置いていかれた寂しさ、

悪くも無いのに "すいません" と言い、食卓から離れた場所で1人食事をする母の後ろ姿…

【child】の正義感…

大切な人を守りたいのに守れなかった悔しさです。

 

泣いた後は、激しい怒りを感じました。

大人の私です。

 

なぜ食卓で子供の前で、子供の大切な母親を罵倒するのか。

子供の前から母親を離すのか。

なぜそうも父の言いなりになり子供の側から離れていくのか。

 

父と母、両方への怒りでした。

しかし【child】も居ます。

 

私は泣きながら、

「あの時さぁ…!」

それを繰り返し、繰り返し言いました。1人で。

何処にもぶつけようがない怒り…

そして今にも壊れそうな悲しい寂しい、悔しい心。

 

それらを落ち着かせるために、

何度も何度も言いました。

 

お風呂場で。苦笑

 

ですが、誰も傷付けずに済みました。

自分1人で解決したんです。

 

家庭内でのトラウマを抱えるACの皆さん、

怒りだけでなく、悲しい気持ちが生まれた時でも構いません。

 

「あの時さぁ…!!!!」

 

そうして

言いたかったことを吐き出してやりましょう。

 

ACの方は優しい方が多いのです。

誰も傷付けたくない、

ましてや、親のような人間にもなりたくない。

 

大丈夫ですよ。

1人で、解決出来ます。

 

1人個展 "振り返る行為"

久しぶりにブログを見返してみると、

自分でも気付かされるものがありました。

 

"振り返る" こと。

 

始めたばかりの記事の中で、私は色んなものを取っておくように…保存しておくように勧めています。

過去を振り返るために、と。

 

私には、沢山の絵が残っていました。

写真はスマートフォンにあるものの、描いた絵はファイルに入れて保存しています。

 

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お馴染みのスケッチブックは、第1冊目。

このブログの最初の記事にある絵が主に入っています。

 

真ん中の黒いファイルには、転職するまでの期間。

転職が決まった前向きな絵で締めくくられていました。

 

ブルーのファイルには、転職してから1人暮らしが始まり、休職、転職、そして現在まで。

 

黒いファイルとブルーの間には、一年間の空白の時があります。絵は描いていたものの、カウンセリングを受けたり、主治医に会う事なく過ごした期間です。

 

1人個展…をした気分になりましたね。

私にとってこの3冊は、自分の治療の記録であり、自分と向き合った記録であり、カルテです。

 

1冊目のインパクト…

幻覚に苦しみ、自分がアダルトチルドレンだと知らされ、でもだからこそ、もう一度自分を取り戻したいという強い印象を受けました。

 

気付かされたことは、

きちんと…成長出来ているということ。

それを感じられました。

 

沢山の問題を抱える私は、

例えば幻覚と向き合う期間があったり、

インナーチャイルドと向き合う期間があったり、

自分のやりたい事について向き合う期間があったり、

 

1つ1つしか出来ません。

少しずつしか出来ません。

 

しかし、きちんと自分と向き合ってきた、

自分のために感じ、考える時間を過ごしてきたのだと、気付かされました。

 

私は絵が主ですが、

写真でも手帳でもメモでも、

 

たまに一息ついて振り返る…

そんな時間を大切にして頂きたいと思います。

 

新たな一歩を踏み出す、或いは

自分を褒めてあげる時間に変わるかも知れません。

 

モラハラを脱出した母への戸惑い

 

長年私の父…夫のモラハラに遭っていた私の母ですが、

今随分と回復しています。

 

以前書きましたが、母はモラハラカウンセラーの方のブログを日々チェックし、自身の体験と重ね合わせているようです。

その中で着実に、カウンセラーさんの考えやアイデアを取り入れ、確実に「回復」しています。

 

回復…というか、何でしょうね。

母は "マインドコントロールが解けた" 

そのように私に話してくれます。

 

母から聞く最近の両親の様子というのは、私が育った環境とは、随分と様変わりしたように感じます。

 

ここ最近、母に会う度に…

母はとても嬉しそうな顔を見せてくれるんですよ。

 

しかし正直な所、素直に喜べない自分の感情に気付かされます。明らかに…戸惑っているんです。

私は。

 

モラハラ加害者というのは、自己愛が強いと書かれますし、私の父もそうです。

自身を正当化するために、2つの顔を代わる代わる出して来ます。

 

私が考えるに…

"甘やかしてはいけない"

 

大の大人である人間には、少々おかしな表現かも知れませんが、私はそう考えています。

モラハラの被害に遭ってしまう人というのは、優しい人が多いそう。私の母もそうです。

 

優しく、思いやり、声かけが出来る人間です。

しかしその尽くす想いが強い上、自己愛が強い人間というのはそれに甘え、次第に我が物のように扱う…モラハラのターゲットにされてしまうんです。

 

そんな、モラハラのターゲットになっていた私の母がなぜここまで回復出来たのか…

本当に不思議なくらいです。

 

今ではすっかり、立場が逆転したかのように感じられます。母の話を聞く限りでは。

母の喜ぶ姿に、共感出来ないのは、

やはり私がアダルトチルドレンだから…。

 

母の話は、回復は喜ばしい事なのに、

私はとても複雑な感情が入り混じって、なんとも後味の悪い状態になってしまいます。

 

その理由は…

なんなのか、ずっと考えていました。

 

おそらく、母がモラハラを回復する事と、

私がアダルトチルドレンであるという事は、

全く別個の話なのだと、そう思うんです。

 

長年父のモラハラに耐えて来た母ではありますが、

完全に父に意識が集中し過ぎていました。

私や兄が子供時代、大切な時期に。

苦しい時でも、悲しい時でも、いつでも

我が家では父が最優先でした。

 

その事実があるから、

うまく飲み込めないんです。

はい、良かったね!…とは言えないんですよ。

 

そしてもう1つ。

 

やはり私は、理想の夫婦像を求め過ぎていたのだと気付かされました。

モラハラをする関係というのは、論外。

しかしモラハラから脱却し、回復したターゲット…

母はとても…

勝ち誇った様に見えてしまうんです。

もちろんそれは私の印象に過ぎません。

 

しかし今度は、私は父に対して、

"可哀想だ" と感じてしまう…

これじゃあ父と母の関係が入れ替わっただけじゃないか…

夫婦というのはお互い対等である "べき" だ…!

 

そういった価値観、理想像が、

おそらく私の中に長年あるのでしょう。

 

実際の所は私は知りえません。

モラハラをする人間というのは、人を一方的に攻撃する反面、人に甘え、情けを受けようと必死になる姿勢もまた崩しません。

 

それに対し、冷静に、客観的な目で父を見れるようになった母の回復というのは、本当に喜ばしいことでしょう。正直、ぜんぶ共感は出来ませんがかなり驚きました。

とても短期間で…

母のその強さが羨ましいとも思います。

 

しかしアダルトチルドレンの私はやはり、

こう思ってしまうんです。

 

 

 

"なぜあの時、

辛い時

悲しい時

苦しい時

寂しい時、

私が子供時代に、そう出来なかったのか…"

 

 

母を責める気はありませんが、

なんとも不甲斐ない気持ちでいっぱいになります。

 

どこにぶつけていいのやら…。

 

そして悔やんで責めてしまいます。

両親の仲を取り持つ為、

家庭の雰囲気を壊さない為、

必死になって我慢してきた自分自身を。

 

 

☆作品紹介 「!?」第4話

チイサイカイシャのウェブマガジン、

"モンスター" にて連載中の「!?」第4回が公開となりました。是非ご覧頂きたいです。

 

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http://www.chiisaikaisha.com/monster.html

 

今回は先日の病院を終え、薬局での出来事…。

主治医からかけてもらった言葉をふと思い出して、

ぱぁぁぁ…!っと元気が出た瞬間を描きました。

 

チイサイカイシャのツイッターでも素敵に紹介して頂き…嬉しいです◎

 

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Twitter/チイサイカイシャ

https://mobile.twitter.com/chiisaikaisha/status/791221175707807744

 

PS

友人達の勧めもあり、

広島の尾道市に旅に出ることにしました。

 

日程はまだ先ですが

今一度人の中に入っていけた自分を取り戻しに…

いえ、今の自分を見つめ直したいと思っています。

 

モラハラ夫のQ

家庭内で起こった出来事、

それを私は鮮明に記憶しています。

トラウマです。

 

"調子が良かった" 時期

=自分のために頑張れた日々の後に訪れた、家庭内でのトラウマのフラッシュバック。

 

一度思い出すと、出るは出るは、

全部思い出してしまうんですね。

非常に困ったものです。

 

今でも毎日のようにフラッシュバックに襲われながら過ごしてしまっているのですが、父のナイフのような言葉、けたたましい声、…

思い出すんですがね、お話したいことが見つかりました。

 

私の父は、まぁ嫌な奴なんですよ。

典型的なモラハラ人間です。

 

正直母をdisる(馬鹿にする)度に、父をdisり返したかった…いえ、子供の頃の私でなく、今の私は父をdisり返したい欲求が湧き上がるんです。

フラッシュバックが起こる度に。

 

所謂モラハラ夫の私の父には、家族を攻撃する度にいつも行うことがあったことに気付きました。

 

"質問責め" です。

モラハラの典型かも知れませんね。

自分が有利になるように持っていく作戦です。

 

モラハラ夫のQ(質問)

…略してモラQ!

 

私の家庭内で私が何度も耳にしたモラQは、

 

"別れるのか?!"

"俺が悪いのか?!"

"誰のせいだ?!"

 

「?!」と書いていますが、

一応質問なんですよ。

怒鳴り声で鬼のような顔だけれども、口にしているのは質問。問いかけなんです。

 

子供の耳に入らない目に入らない場所でやってくれれば、子供の私には影響が無かったかも知れません。

 

モラQの最大の問題…いえ作戦は、

相手に答えにくい質問を出していること。

 

あくまで言ってることは質問なんですが、

その怒鳴り声、顔に完全にビビってしまいますし、

露骨に「あなたが悪い」とでも答えれば、その後もっと酷い目に遭うかも知れないという不安に襲われます。

 

私も何度も父のモラQを受けました。

そして不安を感じ、どうにかその場が収まるような、そして父の感情を煽ってはいけない、傷付けないような答えを探したものです。

 

しかし、私がアダルトチルドレン(AC)になってしまった原因の1つとして私が考えているのは、

モラQに対する母の回答です。

 

明らかにどう考えても父が悪いだろうという場面でも、母は父を気遣い父が悪いとは言いませんし、

父が悪いと言わないということは、父にとっては

"しめしめ" …願ったり叶ったりなのです。

 

相手が自分のせいでは無いと答えたのだから、

ここぞとばかりに相手を攻撃します。

そして最後は諭すような言葉も投げかける…

 

これが私の家庭内であった、モラQ作戦です。

そしてこれは、子供の正義感を潰します。

何が正しいことで何が悪いことなのか、子供が抱く大切な自分の正義感、価値観をぶち壊します。

 

捻じ曲げられてしまうんです。

恐怖の中で身を守るために。

 

disり合い…いえ、通常の喧嘩であればまた違った受け止め方をしたでしょう。それでも両親が不仲という不安は子供について回りますし、気が気ではありません。

 

しかしモラQの作戦…

反撃したい、正直に答えたい、

でも恐ろしくて出来ない。。

 

この気持ち悪い、父がよく口にする「道徳」とやらの強制、植え付けは、他人にとって悪影響でしかありません。迷惑極まりない。

 

父を怒鳴れる大人が居れば、

家族がモラQに苦しむことは無かったのかも知れないと、つい考えてしまいます。

 

大人である母がその役割を果たすべきだったのかも知れませんが、1つ屋根の下、父の収入を頼りに生活している中では、そして恐怖の中であった事を考えると、

 

母を責める…気にはなれないんですよね。

同じ被害者であるという意識の方が、子供の私には強いんです。

 

"楽しみもしないし、期待もしなくなった"

アダルトチルドレン(AC)の私には、

ある "ストッパー" があります。

 

困ったことに、そのストッパーによって、私は折角自分で "やりたい" と感じた後に、ブレーキをかけてしまうんです。

 

しまうんです…と言ってみたものの、具体的にイメージ出来るようになったのは、ここ数日のこと。

 

やりたい=アクセル

私はアクセルを踏みつつも、同時にブレーキまで踏んでしまっている…

 

そんな風に感じることが非常に多いんです。。

まるで、 "楽しんではダメだ…!" そんな自分の声が聴こえます。

 

走り書きですが…

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私は上にあるような感情の矢印を、

子供の頃の家庭で繰り返し体験しました。

 

所謂モラハラ夫=父が居た私の家庭内で一番分かりやすいのは、テレビのチャンネルでしょうか。

 

チャンネル争いというのは、どこの家庭でもあると思います。笑

 

しかし、私の家では父が絶対的な権限を握っていました。

どの番組を観るのかも、チャンネルを変えるタイミングも、

父次第。

 

…1つの番組を見続けてくれれば、そこまで苦じゃありませんでした。が、全て父の気分次第。

 

CMが入る度にチャンネルを変えるんです。

最初に付けた番組が自分の観たい番組で無くとも、しばらく観続けていればテレビ世代の私は夢中になって観ます。

しかし突然チャンネルを変えられる…

 

父は…

1つの番組を観続けられない…いえ、

チャンネルを変えなきゃ死んじゃう病気か何かかと疑ったものです。

 

チャンネルを変えちゃ、テレビに向かって文句を言い、

テレビに映る人を差別し、機嫌が悪ければ家族に難癖をつける…。

 

テレビのチャンネルはまだ "可愛い" もの。

 

…嫌な記憶がたくさんありますね。

 

何度も話していますが、

家族でお出かけをするのを楽しみにしても、帰りの車内で突然に戦争が始まりました。

 

ピリピリとした雰囲気、

父は母を攻撃し、

母は悪くもないのに「すいません」と言い、

兄は下を向く…

 

そのせいで、1日が台無しになるんです。

楽しみにしていた1日が、まるで悪夢のような1日に突然に変わるんですよ。

 

でも子供の私は気付きました。

 

(楽しみにするから、

期待するから、

突然ひっくり返された時に悲しくなっちゃう。)

 

年子の兄がどうだったかは知りません。しかし、

私はもう耐えられなかったんです。

 

自分が生きていくには、心をなるべく乱さないように、心が壊れてしまわないように、

 

なるべく

 

楽しみにしない。

期待もしない。

 

楽しみにしてても、期待してても、

思いも寄らないタイミングで壊される。

 

…一種の防衛本能、かも知れませんね。

 

 

私はナタデココが大好きなんですがね、

たまにフルーツポンチなんかに透明の四角いものが入っていると、

(ん?もしや、ナタデココかな?)

とワクワクしちゃうんです。ですが…

それはナタデココでは無く、寒天だった。。という経験が割とあります。苦笑

 

しかしそれが何十回、何百回と続けば、

おそらく私は疑ってかかると思うんです。

 

そして寒天の場合が殆どだったならば、

もうナタデココでは無いだろうと考えるでしょう。

ナタデココだと楽しみにして口にすると、全く食感の違う寒天だった時のショックを味わいたく無いからです。

 

 

防衛本能という面で見れば、ある程度必要なものかも知れません。人間関係では特に、過度な期待は誤解を招く引き金になり得ることがありますから。

 

しかし、自分の "やりたい" ことにストッパーをかけてしまうのは如何なものかと思うのです。

先の防衛本能というのは、ACで無い人も持っているものです。ACの私が抱える問題は、まさに

 

楽しんでは "いけない"

期待しては "いけない"

 

なんです。

困ったものです…。

 

子供時代、自分の心を助けるはずだった、

家庭内で過ごすために必要だったスキルが、

 

折角生まれた自分の欲求にさえ、ストッパーをかける…足枷となっているんです。

 

 

ストッパーが現れた時には、

お気に入りのダンスミュージックでもかけて、

ブレーキを踏む足を緩めたいもの。

 

でなければ、

 

前に進みませんからね。

ACの生きづらさは気質の問題か?

こんな本を見つけました。

 

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「敏感すぎる自分を好きになれる本」

著者: 長沼睦雄

青春出版社

 

HSP気質…というのをご存知でしょうか?

H(High)

S(Sensitive)

P(Person)

 

直訳して "とても敏感な人" 

最近ネットでも記事になるようになった、HSPという言葉。記事を見た時、自分はHSPだな…と確信を持ったものです。

 

しかし、なかなか関連の書籍に出会うことはありませんでした。というのも、未だ日本ではHSPという言葉が認知されておらず、精神科医でも知らない人が多いそうなんです。

そんな中で冒頭の本を見つけた時は、とても嬉しかったですね。

 

一口に「敏感」と言っても、HSPの持つ敏感の対象は人によって様々です。

音や光、感触、電磁波、空気感、人が何を考えているのかが分かってしまう…etc

トータルに敏感な人も居れば、ある1つの感覚が抜きん出て強い人も居るそう。

 

更には、HSPの中には

HSS(HighSensationSeeking)

=刺激を大いに追い求める

 

相反するように見えるHSPとHSSを併せ持ったタイプの人が居るというのです。

そんな "HSS型HSP気質" の存在も、分かりやすく紹介されていました。

このページで印象に残ったのは、

"社会に適応するため、対外的にはHSSの外見で過ごし、1人になると本来のHSPに戻る" タイプの人も居るということ。

 

(あ〜…分かるー…涙)

思わずそう感じましたね。。

 

本を読んだ感想は…

とても読みやすく、HSP気質の方が抱える問題や生きづらさに対して具体的な解決策も書かれてあるので、非常に前向きになれました。何より、敏感であることは長所であり、そして

 

"HSPだから生きづらいのでは無い"

 

ということ。

 

アダルトチルドレン(AC)とは逆ですね。

ACの場合はよく、生きづらさの原因は自分がアダルトチルドレンだからだった!…なんて書かれ方をされます。

 

ACについてブログを書いている私が

今回HSP、HSS型HSPについて書こうと思ったのは、生きづらさを解消するためには自分の気質を知る必要があると思ったからです。

 

なぜ

"HSPだから生きづらいのでは無い" のか。

 

それは、著者の言う通り、HSPというのは「気質」であって生きづらさの原因では無いからです。

生まれ持った敏感すぎるという気質があるから

=生きづらい、…という訳では無いということ。

 

本を読んでとても好感を持ったのは、

最後の章でした。ぶっちゃけ…泣きました。

 

最後の章というのは、

"あなたの身近な人が「とても敏感な人」だったら"

…つまりは非HSPの人に向けてのもの。

 

その中でも多く出てきた言葉は

「子供」、「親」、「先生」など。

 

HSPの子供に対して悪影響を与えるのは、親や学校の先生の "支配欲" なのだと。

 

そうした支配欲を感じ続けたHSPの子供(非HSPの子供が感じない事まで感じ取ってしまう)というのは、自己肯定が出来ず自信もなく、自我も育たないというコース…をたどるのだと。

 

ACの問題に重なります。

 

変に納得がいったんですよね。

どうして自分はACなのか…

人の中でビクビクしてしまうのか、

人と過ごした後にとても疲れてしまうのか、

 

ACと言っても、人によって育った家庭環境は違うし、大変な苦労を強いられ育った人でもたくましく生きてらっしゃる人も居る現実…

なぜ兄のように生きられないのか…

 

それはやはり私にしかない気質があり、

気質自体は何も悪いものではないけれど、

敏感な気質故に家庭内で自分を守るためにやってきたこと…それらが知らず知らずの内にACに成るコースを辿ることになってしまったのだと。

 

 

よく思ったものです。

自分が、鈍感であればどんなに楽に生きられるだろうと。

 

しかし、鈍感であれば気付かなかったことというのは沢山あります。

 

父が母を攻撃する時、

よく理解出来ました。

 

父が帰宅した、玄関の扉を開ける…

まさにその時から感じていました。

 

父がどのような精神状態で、

ナイフのような言葉を放つ度に、

母が父から目を背ける度に、

 

糸がどんどん絡まるような

色が混ざり混ざって濁ってしまうような

 

居心地の悪さ

気持ち悪さ

これからどうなるのか

それを自分はどうすべきなのか

 

そして家庭内の問題を変えられなかった

父を変えられなかった

母を変えられなかった

両親の仲を取り持つことが出来なかった…

 

それらの後悔は大人になっても付いて回り、

全て自分のせいにしてしまいます。

 

ACの問題に加え、色んな事に敏感な故

体調を崩したり、周りが出来ることがすごく難しかったり…

本に書いてあったことは、

"先ずは自分がHSPであることを認めること"

 

私がAC問題について考えていたことと同じでした。

先ずは、認めること。

 

HSP気質であれ、他のどんな気質であれ、

自分の気質…

自分自身を知り認めることは、自分を生きていく上で非常に大切なのだと改めて感じましたね。