視線とサングラス
私はサングラスが好きです。
1番お気に入りは真っ黒いサングラス。
自分の目が透けないくらい黒の効いたデザインが好きです。
かけるようになったのは、【フラワー】の頃。
高校生の時も青文字系ファッションに夢中だったので、縁が原色のメガネをかけることはありましたが、レンズに色の付いたサングラスをかけるようになったのはこの頃です。
ロックンロールに夢中になり、サングラスとスーツを合わせるロックスターに憧れを抱いていました。
その頃から、写真を撮る際…今では自撮りする時にはサングラスは必ずかけます。
最初に購入した黒いサングラスは紛失してしまったのですが、先の写真の真ん中のサングラス。二代目の黒サングラスは1番のお気に入りです。
なぜ自分はサングラスが好きなのか…
深く考えたことがありませんでしたが、真っ黒いサングラスというのは、自分の目を周りから隠す効果があります。
私は "目" が怖いのだと思います。
このブログの最初の記事…殺意を感じその直後コンビニの駐車場で描いた絵には、"目" がいくつもありました。
先々月から精神を崩した期間がありましたが、私は心理士さんに
"人の目を見れなくなった。申し訳ない…"
心理士さんの方を向かず、顔を背け目を逸らし話しました。
すると心理士さんは
「人の目って、怖くない?ジッと見られると怖くない?」
私の口から出たのは
"だって…父と話す時は目を見て話さなきゃいけなかった。目をそらすと怒られた。"
そう言って涙ぐんでしまいました。
心理士さんはとても優しく穏やかな口調で、
「人の目をジッと見るのは、とても疲れるのよ。よく今まで我慢したね。怖かったね。」
そう言ってくれました。
私はこれまで、知らず知らずの内に、一所懸命人の目を見ようと自分にストレスをかけてきたのだと、気付かされました。
私は目が悪く、とりわけ左目は重度の乱視で物がハッキリ見えません。しかし、東京から福岡に戻るまで、子供の頃からずっと裸眼で生活してきました。
もちろんよく見えません。
東京で友達とご飯を食べ、お会計をしようと歩いた時に段差に躓き、ヒールで派手に転んでしまったこともあります。足首を大きく負傷してしまいました。
それでも、眼鏡をかけることは躊躇っていました。
眼鏡姿の自分が好きじゃないのと、もう1つ。
物がハッキリ見え過ぎるんです。
人の視線がハッキリ分かります。感じます。
乱視の効いた裸眼の状態というのは、私にとって印象派の絵画のように景色が柔らかく見える状態なんです。
…縫製の仕事を始めてからは、眼鏡をかけるようになりました。以前の職場ではコンタクトにも初挑戦し、しばらくコンタクトで過ごしていましたが、右目にも乱視があり、乱視のコンタクトというのは値が張ります。今の職場では眼鏡を新調して、それをかけていました。
新調した眼鏡というのは昔風のデザインで、お洒落なフレームです。最初は気に入ってかけていましたが、眼鏡のフレームに対し束縛感を抱いてからは、1つ前の眼鏡をかけるようになりました。
(1つ前の眼鏡というのは、ノーフレーム=縁なしなのです。)
視線…といって私がまず思い出してしまうのは、食卓の父の視線です。
父は人が食事をしている様子をジッと見る癖があります。
私は父の視線を感じ、何度も "何?" と尋ねたことがありましたが、
「何でもない。」と返してきます。
なぜ父は人の食事をジッと見るのか分かりません。
私は監視されているように感じてしまいます。
母が食べ物を落とすことがあれば、
「汚い」
「みっともない」
「何やってるんだ」
「だらしない」
そう、まくし立てます。
その光景を子供の頃から見てきたからか、私は器に何かをよそう場面でも、大きな緊張を感じてしまいます。コップに飲み物を注ぐ時も同じく。
手が震えてしまうのです。
食べている最中も、喉が詰まった様な、早く食事を済ませたい…そう考えてしまいます。
父は、とても食べ方が汚いです。
母にはあれこれ文句をつける一方で、父自身は食べ物を頻繁に落とすしこぼします。とても食事をするような姿勢ではありません。ペットボトルや瓶の蓋は嫌がらせかと思う程、毎回ゆるゆるなんです。
どうみても「だらしがない」のは父です。
しかし父は人をジッと見ては、人の失敗…母の失敗に対し文句をつけます。モラハラの典型的なものでしょう。
父と会話をする時も、とりわけ父が説教をする場面では父の目を見なければ文句を言われ怒鳴られることもありました。
涙を必死に我慢して父の目を見たところで、
「なんだその目は?!」
と、強く怒鳴られることもありました。
正直、怒鳴る父の顔、とりわけ目を見ることは、怖くて仕方がありませんでした。
しかし怖いとも思っては "いけない" 気がして、心理士さんに気付かされるまで私は、父の目を見て話すことは当たり前なことだと、信じ込んでいたのです。
確かに人と会話をする場面で、相手が目を見て一所懸命自分の話を聴いてくれるというのは、嬉しくも感じます。
しかし、ジッと見られ続けることは、辛くもあるのです。心理士さんが言うように、怖くもあります。
私はサングラスを好きになれて良かったなと思います。自分の感情が露わになった目を隠してくれますし、何よりファッションアイテムとして重宝します。格好いいです。
成人式でも私はサングラスをかけ、記念写真でもサングラスをかけて臨みました。
後日談で「記念写真に写っている、あのサングラスのおかっぱの子は誰か?」そんな話題が同級生やそのお母さん達の間であったらしく、ニヤリとしてしまいました。笑
瞳、というのは美しいです。
みんな違った雰囲気や色を持っています。
しかしそれが2つ、人の目となると、私は怖いと感じてしまいます。
自分に自信が無い時や、不安を感じている時…
そんな時というのは、そのような自分の弱い姿を見せたくない、見られたくないという想いが湧き上がってきます。
普段なら気にならない周囲の人の視線を、敏感に感じ取ってしまうかも知れません。
これまで私は父に接するように、周囲の人に対してもどんな状況であれ目を見るように気を付けていました。
しかし、人の目を見れない時は見なくていいのだと、今は思っています。
見たくないのに必死で見つめる自分の目というのは、おそらく相手にとっても違和感を与えてしまうでしょう。父が「なんだその目は?!」といったのは、…私の目はギラギラしていたんじゃないかと、考えています。
涙を必死に我慢している瞳というのは、とてもギラギラしています。
充血することもあるでしょう。涙を我慢し、瞳の輪郭が通常よりくっきり見えるかも知れません。
先月精神を崩した夜、半べそかきながら、
私は鏡で自分の顔を見ました。
とても怖かったです。自分の目が。
瞳なら、キラキラしていましたが、
2つの目として見ていると、ギラギラしていてとても怖く感じてしまいました。
人の目を見るのが辛い時は、無理に見る必要はないのだと感じました。
たとえその時の自分が弱り切った状態だとしても、ギラギラとした目を人に見せるのは嫌だからです。
ps
瞳が、私は好きです。
人間の持っているものの中でも、好きな部分です。
スマートフォンに装着出来るマクロ=接写レンズを手に入れた時、私は自分の瞳を撮影しました。
睫毛にピントが当たっていますが…苦笑
2015.9.20
私の瞳は想像より茶色く、赤みを感じました。
https://instagram.com/p/713P0gNf3z/
動画も作っていたので、よろしければご覧ください◎