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子供の質問

アダルトチルドレンと教えてもらい、それからの日々の事など。

"感情をすり替えない"

アダルトチルドレン記録

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2016.11.16

(旅でお世話になった友人と友人の彼女さん。

彼女さんは、何か拾ってきたようで

「あすさん!とっても良い匂いがする!」

と、可愛らしい笑顔を見せてくれてテーブルにそれを飾っていました。

…素敵な女性だ。。)

 

さて、

今回は先日のカウンセリングのことをお話したいと思います。毎回色んな発見をくれる心理士さんのカウンセリングですが、今回も大きな発見がありました。

 

"感情をすり替えない" こと。

 

アダルトチルドレン(AC)の多くは、

子供時代、その家庭環境を生き抜くために必死に生きてきました。親の指示、教示が大人になっても強く残っている人は多いでしょう。

私もその1人です。

 

しかし、親の指示や教示とは別に、

自分自身の感性や考え方というものは必ずあります。これは…ごく当たり前のことなんです。

なぜなら、別の人だから。

親と自分は、違う人間だから、それは当たり前なんです。

 

当時はそれを感じれなかったとしても、大人になってアダルトサバイバーとして自分の過去を振り返れば、自分が本当はどうしたかったのか、どうして欲しかったのか気付く瞬間があります。

 

しかしなかなか難しい。

私の中にも、未だに多くの "〇〇なければいけない" が存在します。

 

窮屈で…

何かとても不自由な心地がします。

 

ですがそれは、きちんと親の指示・教示とは別に自分の感性や考え方が働いている証拠でもあるのです。

 

私のこれまでの思考回路…

というよりも、

 

①感じる

②考える

③行動する

 

この流れの中で、私はあるミステイクをしていたことを心理士さんが教えてくれました。

 

例えば…

そうですね、父の振る舞いに対し、

(嫌だな…)と感じたとします。

 

ですが正直に「嫌だ」とは父に言えないわけです。

恐ろしいから。恐いから。

何をされるか分かったもんじゃない。

 

だから "すり替える" んです。

嫌だな…と自分自身で感じた、大切な自分の心に、

嘘をつくんです。

 

他の色で塗り潰すようなイメージでしょうか。。

 

嫌だな…と感じたことはダメだと言い聞かせるし、

嫌だな…と感じたことを感じなかった、無かったかのように自分に言い聞かせる。

 

嫌だな…という感情がなければ、

「嫌だ」と口にする=行動する必要もないはずだと、…自分を守る為でもあり、父の精神を崩さないようにと相手に合わせてしまっている行為でもあるでしょう。。

 

心理士さんが教えてくれたのは、

感じることは自由なのだと。

 

嫌だな…と感じたこと、それは他の誰でもない自分自身の感性であり紛れも無い大切な「自分」なんです。

 

そしてもう1つ、

感じることがそのまま行動…

一直線では "無い" ということ。

 

冒頭の素敵なお花。

お花には葉っぱがついてますね。幾つか。

 

お花が最初に "感じたこと" ならば、

周りにある幾つかの葉っぱは "行動" だとしましょうか。。

 

お花と葉っぱは、確かに1つの植物(個体)ではありますが、「お花」・「葉っぱ」と区別が出来ますよね。

 

お花=感じたことはすり替える必要が無いし、

そもそもすり替えるのは無理だと思うのです。

もう咲いてしまったお花の色や形を、どうやって替えられるというのでしょう?

 

しかし、葉っぱは幾つかあります。

葉っぱ=行動の "選択肢" は、幾つかあり、選べるのです。

 

ACの中には、

恐らく感情をすり替えるのが得意な人がいます。

 

いとも簡単にすり替える事が出来ます…

相手を傷付けないように、或いは

誰かを守る為に、

そしてそれが結果的に自分の為になるのだと信じ。

 

最初に感じた自分の心を、

"そうじゃない" と、

嘘の心にすり替える事が出来ます。

 

得意というよりも…

癖になっているのでしょう。。

 

心理士さんの言葉でホッとした部分は…

「選択肢は沢山ある」

「どれを選んでもいい」

 

先の話で言えば、

嫌だな…と感じたことは否定する必要が無く、

そこから先の行動です。

 

「嫌だ」と正直に言うこともOK。

嫌だからその場を立ち去るのもOK。

嫌だけど、でもその場を立ち去るまでもなければ居続けてもOK。

嫌だったと、他の人に話してもOK。

嫌だなーどうしようかなー…と、少し考えてみるのもOK。

 

etc…

 

選択肢は沢山あるのです。いえ、

沢山あったのです。

私は子供故に、長らくそれに気が付かなかったんです。

 

白か黒か、

離婚するか離婚しないか、

出て行くか言うことをきくか…

 

父が怒鳴りながら尋ねることは、

いつも二択でした。

両極端な二択…

 

しかし、余程のことでない限り、

二択だけという選択は無いでしょう。

 

行動の選択は幾らかあります。

行動までじっくり立ち止まって考えてみる、というのも、行動の1つです。

 

大切なのは、

自分が最初に感じたことを棄てないこと。

粗末にしないことです。

 

自分だけに留めておけば、

嫌だとか、

最悪だな、

ありえない!、とかも

全然問題ありません。

 

しょうがないんですよ。

そう感じちゃったんだから。笑

 

どんなにネガティヴで、

愚痴っぽいものだとしても、

自分から生まれた大切な心の鐘のようなものです。

 

これからはその鐘の周りにある

防音壁を少しずつ取り除き、

自分の心の声が聴けるようになりたいですね◎

 

感じることは自由ですから。