子供の質問

アダルトチルドレンと教えてもらい、それからの日々の事など。

見捨てられ不安

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アダルトチルドレンの心の中には、

子供時代、そして今でも多かれ少なかれ持っている不安の1つとして

 

「見捨てられ不安」

 

コレがあるんじゃないかと思います。

 

心理士さんのカウンセリングを受ける際、

私は父のことを悪く言うことはあっても、母に対してはほとんどありません。

最近では父のモラルハラスメントについての母の回復を話したりしています。

 

しかし、心理士さんは

 

"あなたはお母さんからも傷付けられた"

 

釘を指すように、私に話すんです。

 

私が母に依存してしまっていることは、これまでの記事でもお話してきましたね。

私はどうやら、今でも大きな「見捨てられ不安」を持っており、色んな物・事への依存に発展していると感じています。

ACの様々な依存症については、また後日書こうと思いますが、今回はアルコール依存症の夫、或いはモラハラ夫が居る家庭での、母と子の関係について私の体験をお話出来ればと思います。

 

 

「見捨てられ不安」…

親がアルコール依存症だの何だの、色んな機能不全を抱えた家庭の子供は、そんな環境でも生き延びようとします。しかしどこにも行く当てが無いと、大きな不安に襲われます。私がそうでした。

身体も小さく、出来ることも少なく、1人で生きていける訳がありません。子供なんですから。

 

私の父は毎晩お酒を飲み、お酒に頼るような日もありました。食卓で家族が気に入らない言動をすると…いえ、キッカケが何なのかも、こちらとしてはさっぱり理解出来ない状況で、突然不機嫌になり、怒り、怒鳴り、家族を攻撃しました。

 

一番攻撃を受けていたのは、私の母でした。

 

まずお話すると、"見捨てられ不安" …

私は父に対しては持っていません。

束縛、過保護とも過干渉とも表現出来ない、ねちっこい私への態度は、むしろ放っておいて欲しいという思いの方がずっと大きいです。

 

私が見捨てられ不安を抱いている相手というのは、

「母」なんです。

 

もう、小学生くらいの頃には、

私は気付いていました。外…学校や友達と過ごすことによって、自分の家庭がいささか「異常」であることに。父の振る舞いが身勝手であることに。

モラルハラスメントという言葉を当時知らなくとも、明らかに自分の家庭の違和感に気付いていました。

 

しかし母は違うようでした。

 

"昔はみんなこんな家庭だった"

 

繰り返し、私は言い聞かされました。そして、父から再三攻撃を受けているにも関わらず、母を心配する子供の私の話にも、父のその言動に対し

 

"許してあげて"

"お父さんは仕事が大変だから"

"私は大丈夫だから"

 

何度も、何度も、

そんなやりとりを母と交わしました。

 

明らかに、

母は父に構っていたんです。

振り回されていた、マインドコントロールされていた…色んな表現が出来ると思います。

しかし、その過度な私の父…夫への関心からか、恐らく見えていなかったのだと思います。

気付けなかったのだと思います。

私と兄の不安や違和感に。

 

男親…というのは娘に甘いと聞きます。

私の父もそうでしょう。そして

女親…というのは息子には甘いものです。

 

母は、年子の私と兄を平等に扱ってきたと話しますが、私から見るとやはり違って見えます。

 

兄も、私と同じように母が大好きです。

思春期に入っても、大人になっても、兄は子供のように母と話します。そんな息子に対し、母はとても嬉しそうな、幸せそうな顔をするんですよね。

 

兄が私に話したことは

「俺が家に居た頃は…一番父親を嫌っていたのは俺だった。」

 

兄にとっても、母の存在はとても大きく、色んな事を頑張れたのは、母の笑顔を求めて…という部分が大きかったのではないかと私は思うんです。

父は滅多に…人を褒めることはありませんから。

 

 

子供時代の私としては、

正直な所、胸の内を話した所で、母には

"構ってもらえない"

"真剣に聞いてもらえない"

"不安や涙を受け止めてくれない"

 

そのような思いが常にありました。

話した所で、先に話したようなやりとりに発展するからです。父の事を持ち出してくる時もあれば、兄と比較されることもありました。

 

高校時代、ひどい食欲不振が続き、早起きして作ってくれたお弁当に手を付けられず、母に返却すると

「なんで食べないの?お兄ちゃんは綺麗に食べて返してくれるのに!」

と、よく怒られたものです。

 

本当は…

そんなこと聞きたくなかったんです、私は。

なぜ食欲が出ないのか、ご飯が食べれないのか自分でも分かりませんでした。だけど食べれない日は、だいたい前日に父が母を攻撃した日でした。

 

枕元が煩くて寝不足で、5時起き、5時台の電車に乗って遠方の高校に向かう。授業中も居眠りをし、保健室や自分のアトリエ(油彩室の一角)にフラッとサボりに行く日もありました。

食べたり食べなかったりで、お腹の調子も悪く、胃薬や風邪薬をひどい時は毎日服用していました。

 

そんな学校生活も、もちろん母は知り得ません。

 

私は段々と、大丈夫なフリをするようになったんです。無理をするようになりました。

 

クラスメイトの中に、今でも会う友達が居ます。

彼女はよくじゃれ合ったりするんです。

抱き締めたり身体を触ったり…私は身体を触られるのが苦手ですから、最初は彼女のそれらから身を避けるようにしていました。

しかし心が不安定な時、

「あすちゃーん、どうしたの?」

 

悲しい顔でも私はしていたんでしょう。

彼女は正面から抱き締めてくれました。

 

泣きそうになったのを我慢した事を、今でも覚えています。

 

明らかに、私は愛情が足りなかったのだと今思います。私に注いで欲しい、独占したい母の愛情を、

いつも父や兄に取られてしまっていたんです。

 

いち早く、父に対するような思いを母にも抱ければ良かったのかも知れません。

しかし出来ませんでした。

 

インナーチャイルドストーリーでお話したように、

母と兄と3人で過ごす時間、母と2人で過ごす時間というのは、父が居る食卓…そこで感じる緊張感とは程遠い、穏やかな時間と環境と安心感でした。

 

母はモラハラの被害者ではありますが、精神的に強いというか、ある意味では鈍感というか、献身的というか…

明るく優しく、

ロマンチストで女性らしい人です。

 

そんな母に愛してもらいたい、構ってもらいたい、褒めてもらいたい、良い子だと思われたい…

そのインナーチャイルドの叫びは消えることなく、いつも私の中にあります。

 

一番強いのは

 

"母に見捨てられたくない"

 

というものかも知れません。

 

明るくポジティブ思考の母は、私のネガティヴな発言を聞くと明らかに嫌そうな顔をします。

つっけんとんな態度を取ることもあります。

 

その度に…

"ごめんなさい。お母さんごめんなさい"

"頑張るから、頑張るから、もっと頑張るから"

 

子供時代の私の感情が溢れ出してしまいます。

 

この記事を書く直前も、私は泣き出してしまいました。まだまだ、根深い「見捨てられ不安」を感じている証拠です。

 

 

私のブログのアクセス解析を見ていると、

 

モラハラ夫      子供への影響」

そんなキーワードでたどり着かれた方もいるようです。子供への影響を心配されているお気持ち、私は素晴らしく嬉しく思います。

 

モラハラといえば、離婚を勧める書籍が多い中、離婚をしないテーマで書かれてある書籍やブログもあります。今、私の母も、後者のブログを通して回復しています。

 

しかし、私がモラハラ夫を持つ、子供さんを抱えるお母さん方に伝えたいことは、

心身ともにご自身の状態を理解することと、子供さんの話に耳を傾けて頂きたいという事です。

 

ご自身が無理をされて、悲しい顔をしていれば、子供は気付きます。しかし、子供は気付かないフリをします。

離婚を勧める書籍が多いのは、子供の成長に悪影響を及ぼすリスクが高いからです。

 

離婚をしないのであれば、何が何でも子供を守って欲しいです。離婚をしないという強い決心があるのであれば、子供に悪影響を与えないという強さも、身に付ける必要があるということ。

 

後者の方が、難しいでしょう。

子供の成長は早いものです。

 

しかし早いからといって、"一時だけ" とお母さんが我慢し続ければ、モラハラに気付いた子供…

胸の内を隠した子供は自分が受けた傷を隠し続け、私のようにアダルトチルドレンになる…

あるいは夫のような感情のコントロールが効かない大人になり得ます。

 

結婚も子育てもしていない私があれこれ言えるものでも無く、失礼である事は承知ですが、

アダルトチルドレンは非常に生きづらい…

自分の感情、考え、行動が他者の言動によって簡単に揺れ動き崩壊する。。

 

そんな大人になって欲しくは無いと、

私は切に願うんです。

 

今は女性が強い家庭が多いとは聞きますが、

そんな家庭ばかりでは無いでしょう。

 

現にモラハラというキーワード、関連ページや書籍は沢山出回っています。

 

子供の小さな変化に気付いた時は、

是非寄り添って、抱き締めて、2人っきりでお話して頂きたいです。

 

言葉の力

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2016.9.9

 

休職し、退職し、自宅療養…

ショックだったのは、やはり子供時代のトラウマがフラッシュバックしてしまうということ。

音や色に敏感な私だから、職場から離れればきっと良くなるに違いないと、思っていたんですが。

 

 

 

私が休職することになったのは…いえ、抑うつ症状が出たのは職場での些細なキッカケでした。調子が良かった時期であれば、さほど気に止むことでもない他人の言動で…

プッツン、と張り詰めていた何かが切れてしまったのでしょう。

自分でも、気の弱さを情けないと感じます。

心理士さんは「ガソリンが無くなった」のだと言っていました。

 

 

"好き"

"嫌い"

etc…

 

自分の意見をはっきり言えたら、良いですよね。

良いけれど、それは分かっているけれど…

 

(言わないでおこう…)

そう考えるのが、アダルトチルドレンの私なんです。

 

言おうと思っても、言葉を選び過ぎて間に合わない…なんてこともあります。

 

世の中には、そんな私と真逆の人も居ます。

 

スピード感溢れる口調に、はっきりとした物言い…

耳で聴く限りでは、とても乱暴な人にも見えるかもしれません。

しかし、人には顔や体の表現がありますから、その言葉の真意というのは色んな部分を汲み取って判断すると思うんです。通常であれば。

 

サングラスの記事で触れましたが、私は他人の目が怖いです。食卓で家族をジッと観察する父の目や、感情のままに怒鳴り散らし目を合わせようとする父…

色んな嫌な光景を思い出します。

 

モラハラを受ける母…

決して私に対する攻撃、言葉では無いものの、

聴いている方はたまったもんじゃありません。

 

どこか出先で、見知らぬ誰かが怒鳴られている…

そんな光景は、大人でも不安に感じるものでは無いでしょうか?

 

私は何度も止めました。

色んな手も使いました。

 

「私(娘)は今調子が悪いから、お願いだから怒鳴らないで。」

優しく父に話しても、それは叶いません。

 

私は怒り心頭で、怒鳴って止めようとしたことがありました。すると

 

"お前に言ってんじゃねぇんだよ。嫌ならイヤホンでもしてろ!"

 

 

…今でも思います。あの後どうすべきだったのか。

当時も頭の中に、色んなものがぐるぐると浮かびました。

 

でも何も出来ない。お手上げ状態なんです。

そして自分の部屋に行き、一階から聴こえる父の言葉を受けては、色んな感情が溢れ出るんですよね。

 

喧嘩は、当事者の問題でしょう。

喧嘩であればとことんやってくれ、と思います。

 

ですが、私が子供の頃から見てきたのは喧嘩では無かった。一方が一方を攻撃する、タチの悪いモラハラだったんです。

 

その後日、父はいつものように「お詫びの品」を持ってくるんです。(モラハラ夫の典型です)

「言い過ぎました、だって!飛鳥に強く言ったこと、反省してるみたいだよ!」

 

母は嬉しそうな顔をするんですよ。

しかし、私には気持ち悪いとしか思えなかった。

 

攻撃していたのは父。

攻撃されていたのは母。

それを止めようとしたのは私(娘)。

 

なぜ父は母でなく私にお詫びの品なのか。

なぜ母は微笑んでいるのか。

なぜ何事も無かったかのように2人は同じ空間に居るのか。

 

 

もうしばらくやっていませんが、

父が攻撃をした後は、私は父によくメールを送りました。始めの頃は父も母も "責めない" 、誰も悪く無い、ただ行き違いがあっただけなんだと丁寧に言葉を選んで説明するメールを送っていました。

…まだ、モラハラという言葉を知らなかったからでしょう。

 

ですが繰り返す。

父は攻撃を繰り返す。

突然に、大きな声で、煩い声で、

ナイフのような言葉を飛ばすことを止めないんです。

 

それからは、正直に父の行き過ぎた部分について、キツい言葉を選んでメールを送るようになりました。

 

変わったことがあるとすれば、

私(娘)への態度でしょう。

 

私の不機嫌な様子に気付くと、

「そっとしといてやれ」

 

仕事から帰宅し、すぐに寝ようとすると、

「寝たかげなけん良かやんか。

(眠たいみたいだから、いいじゃないか。)

 

 

特に母が何か私に文句を言った訳でもないのに、

母にそう言うんですよ。父は。

 

それが私には物凄く気持ち悪かった…

ただ分かったのは、私(娘)に嫌われたくないと思っているのだろう、ということ。

そして、私に怯えているようでした。

 

私は別に父にワガママを言っているつもりではありませんでした。

しかしキツい言葉を選んでメールを送ったことで、明らかに父は恐怖を感じたんだと思います。

 

普段父が放つ言葉よりも優しい言葉を選んだつもりだったのに、父に反省して欲しいという想いは叶わず、ただ私に対し恐怖を植え付けるだけのメールになってしまったんです。

 

 

同じ苦しみを…

子供の頃受けた言葉のナイフの痛みを…

そう思うと途端に暴言を父にぶつけてやりたくなります。

しかし、何も変わらないんです。

 

母が楽になることも無いし、

父が母を攻撃することも無くならない。

 

私は自分がアダルトチルドレンだと知り、

自分が「被害者」であったのだと知らされました。

 

 

学校で起こるいじめの "傍観者" でもなく

2人を止める、叱れる "大人" でもなく

 

小さな被害者だったんです。

でもその被害者=子供時代の私は、ヒーローになりたくて、セーラームーンになりたくて、

自分が何とかするんだ!と長年…

一生懸命生きてしまったんです。

 

 

 

親が変わることはないです。

親のモラハラが無くなることも難しいです。

だから自分が変わるんだ…!

 

といっても、親のためではありません。

親のためにと動く自分を、変える必要があるんです。

 

心理士さんからよく言われるのは、

「線引きが出来てない」

 

母のために、父のためにと話す私に、ハッキリとした口調で話してくれます。

 

父はとりわけ私との間に、

母はとりわけ父との間に、

私はとりわけ母との間に、

 

 

共依存の記事にも書きましたが、お互いが

自立出来ていないんです。精神的な部分で。

 

冒頭に話したこと、人は人と対面する時、耳から、目から情報を得ますよね。相手が何を考えているのか、思っているのか。

 

私の不眠の原因の1つでもある、枕元の銃声…

一階から聞こえてくる父の怒鳴り声、攻撃的な言葉です。

 

まるで呪いのように私の中にへばり付いています。

父の束縛感に錆び付いた金属を感じ、痒みが出るように、それらはトラウマの引き金となってしまうものです。

 

ドラえもんに何度もお願いしました。

"何かいい道具は無い?枕が煩くて眠れないの。"

 

ドラえもんは…まだ私の前に現れてはくれません。

幻視でもいいからと願うものの、きっと居なくなった時は泣いちゃうだろうな…なんて思います。

 

PS

 

最近ですね、少し古いのかもしれませんが、

IKKOさんの「まぼろしぃぃ〜〜〜!」という言葉を思い出すようにしています。笑

 

IKKOさん、まだお会いしたことは無いのですが、文化服装学院の文化祭で講演を開かれた時に、入場券が無く、会場に入れない人達が沢山いたそうなんです。その時に彼女は扉を開けるように指示を出して、待っていた人達を入れてくれたんだとか。

友人から聞いたエピソードですが、素敵な方だなと思いましたね◎

 

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文化服装学院の文化祭ゲストによばれて~」

http://s.ameblo.jp/ikkostyle/entry-10379946618.html

(IKKOさんのブログより。)

白衣のお姉さん part2

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 2016.9.15

(記事と全然関係無いんですが…昨日玄関の電球を取り換えました!電球が切れて悲しくなるほどセンチメンタルな時は…ゆっくり休みましょう◎)

 

最近病院に行く度に、ある患者さんと話をするようになりました。たまたま今日も遭遇し、お話したのですが、その方は心理カウンセリングが続かなかったと言われていました。

 

私は、"そういう人もいるのかぁ…" という感想を持ったのですが、よくよく考えてみると色々と発見がありまして。

今回は心理カウンセリングについて、私の体験をお話しましょう。

 

 

元々「精神科」の「薬」に対し、私は抵抗があったんです。

以前通っていた心療内科のクリニック…

そこでは問診を受けて薬を処方してもらうだけ、というものでした。

お医者さんにもっと胸の内を話したいと思っても、待合室には診察待ちの患者さんが並んでおり、そんな時間は無いようでした。

 

今の病院では、初診の際かなりの時間をかけて問診を受けました。今の主治医です。

そして、私はその日から心理士さんによる心理カウンセリングを受けるようになりました。

 

私が病院に行く時は、必ずカウンセリングを受けます。私としては薬が必要な場合のみ、主治医の診察を受ける…というスタイルなんです。

 

ですから、カウンセリングだけを受けに病院に行くことも多いです。

 

しかし、よくよく考えてみると、私のようなスタイルの人はあまり多くはないのかも知れませんね。

 

医師の診察とカウンセリングを一度に受けるとなると、混んでいる時などは半日かかります。

また、対面した心理士さんに自分がどんな印象を持ったのか…信頼できると感じれるか…

それらが非常に重要なポイントだと思うんです。

 

病気の状態にもよるでしょう。

おそらく、重症な病であればある程…カウンセリングは難しくなる様に思います。

 

私が心理士さんにお会いして、約2年でしょうか。

このブログの始めの頃の記事のように、私が心理士さんに抱いている印象は変わりません。

"白衣のお姉さん" です。

 

これまでのカウンセリング、そして今日のカウンセリングを思い出して感じることは…

 

"自分は苦手なことをやってきたんだな"

ということ。

 

 

 

 

 

心理士さんは頼れる存在…ではあるのですが、

先生でもあり…お姉さん。

 

私には年子の兄がいます。

一応私は末っ子になるのですが…年子=1歳しか歳の離れていない兄弟では末っ子感をあまり感じれないんですよね。(と言うと、兄に何か言われそうですが。苦笑)

 

よく羨ましがってましたね。

お姉さんのいる友達を。それも、2つ以上歳の離れたお姉さん。

 

性犯罪に遭った当時を思い出しても、同性の姉が居れば幾らか変わったんじゃないかと…つい考えてしまいます。

 

アダルトチルドレンの方は、是非心理カウンセリングをお勧めしたいです。

なぜなら…ACの抱える問題というのは、薬で完治出来るものではないと、私は考えています。

症状が出て、病名がついたとしても、ACには病気になるずっと前からの根深い問題があるからです。

 

私を担当してくれる心理士さん、

彼女のカウンセリングの特徴は…

ちゃんと聴いてちゃんと意見を述べてくれる点でしょうか。

 

聴くだけ…なんてことはしません。

私が自責の念や自己嫌悪、禁止事項に縛られている際は間髪入れず物申してくれます。笑

 

私には、非常に有難いことです。

通常であればそのままネガティヴを突っ走ってしまい穴にでも落ちてしまいそうな所を、別の道に誘導してくれるんです。

 

その示してくれた道に不安を感じることもありますが、彼女はその不安さえ察知して、優しく歩き方を教えてくれるんですよね。

 

心理士さん、心理カウンセラーさん達の世界では、

患者さんは "クライアント" と呼ばれるそう。

心理カウンセリングを受けてすぐに病気や問題が完治する…そんなことはありません。

 

そんなことはないと私は初めから信じていたから、これまで続いているのだと思います。

私が以前、心理士さんの前で「死にたい」と口にした事がありました。

その時彼女は、

 

"私達は手助けをしているだけ"

"手助けをすることしか出来ない"

 

はっきり、いつもの穏やかな口調で話してくれました。ですが私は思ったんですよね。

やっぱり自分で何とかするしかない。だけど

 

(これからは手助けしてもらう手もあるんだ)

 

 

 

さて、少し戻ると…

 

"自分は苦手なことをしてきた"

 

頼もしい心理士さんを前にして、毎回と言っていい程涙を流す自分…

 

(あ…自分は苦手なことをやってきたんだな)

 

そう思います。

ざっくり言うと、

人の顔色を伺うこと…苦手なんです。苦手だし、やりたくないんです。

親(人)の顔色、言動をいちいち気にしたくないし、それに構ってもいられない。構いたくない。

 

そして、

"もっと頼りたかった"

"もっと甘えたかった"

"もっと教わりたかった"

 

子供の頃に上手く出来なかった私は、

心理士さんの前では子供のように…

いえ、まさにアダルトチルドレンの姿でしょう。

 

見た目はいい大人です。

受け答えも、まぁまぁ出来ます。

 

ですが心理士さんの口から

心に響く言葉や、言ってもらいたかった言葉、

代弁してくれるような言葉…

自分ではどうにも手に負えなかった、

表現出来なかった想いを聞かされると…

 

途端に涙が出て

涙が止まらなくなるんですよね。

自分でも不思議な位に、涙が出ます。

何かスイッチが戻ったように、

ピンと張った糸が緩むように、

 

一体何をそんなに我慢していたんだ…と思うと、

やはり苦手なことをしてきたんだなー…と感じるんです。そして、大人になり、それらをもう

 

"やりたくない"

 

と思っている。これはこれで、自分を持っている証拠だとも思うんです。

 

 

今日、心理士さんは

「私の顔を思い出して」

 

そう言ってくれました。

仕事を気にせず何時でも病院に行ける今、

すっかり忘れてしまっていましたね。

 

「死にたい」と話した後の私は、自分のやりたい仕事を考えることから始め、転職しました。

転職してからは、1年間カウンセリングを受けずに仕事に打ち込みました。

しかしその、心理士さんに会えなかった期間、何度も彼女の姿と言葉を思い出しましたね。

 

しっかりと自分を奮い立たせていた期間だったのだと、今となっては思えます。

 

これから心理カウンセリングを受けようと考えている方、

素敵な心理士さん、カウンセラーさんとの出会いを願っています◎

 

生きづらい

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最近のFacebookでは、過去に投稿した記事が表示されたりするんです。

上の画像は、…おそらく2〜3年前に投稿したものだったと思います。

コレ、何だか分かります?苦笑

 

 

格好つけて、得意でもない英語を駆使して…

というか、日本語だと、家族に見られた時にすぐに内容が読めてしまいますからね。。

 

自分で作った、自分のための行動シートです。

 

"朝ごはんは食べましたか?"

"安全に運転が出来ましたか?"

etc…

 

あまり続かなかったんですが、1日の出来事を質問形式にして、回答。よく出来たことに関しては、可愛いシールを貼っていましたね。

 

まだ、心理士さんと主治医に会う前の頃のものなんです。

 

これまで自分に元気が無いと感じる時…

様子がおかしいなと感じる時…

 

そんな時はいくらでもありました。

そんな時は、必死に自分を奮い立たせる…

自分自身というよりも、別の人になって元気のない自分を励ますような…

それは優しい先生のような、熱血コーチのような、保健室の先生のような…

 

確かに励ましているのは自分だけれど、

頭にイメージするのは自分じゃない、別の誰かだったんです。

 

自分で自分をマネジメントする…

それってすごく大切なことだと思います。

すごく大切なことだと理解していたから、私は必死になって自己啓発本を読み漁ったり、自分なりの解決策を探そうと…やってきました。

 

でも出来ない。

 

父が家族を攻撃して、

枕元から聴こえる怒鳴り声、

声を殺して涙を流して、

興奮する心臓を何度も叩いて、

いつの間にか血が出ている手首、

不安でいっぱいの中、

明日なんて来るのだろうかって、

明日が来たら来たで、

今日だって何が起こるか分からない、

 

毎日じゃなかったですよ。

 

毎日じゃなかったけれど、

だから余計に難しかった。

 

家族の精神状態に…いえ、

子供が、

大人の、

精神状態に、

 

必死に合わせて…

 

生きてきたから、

でも、だから子供ってすごいんだなっても

今思います。

 

 

大人になると、みんな楽をしたがりますよね。

何かにつけてご褒美を自分に与えたり…今の私もそうです。ものすごく怠け者。苦笑

 

子供の頃は真面目にやって褒められたことでも

 

"神経質" だとか

"真面目すぎる" だとか

"いい人すぎる" だとか

 

 

一生懸命生きてきたのに、

なんとも生きづらい世の中…

外国にでも行けば、何か変わるんでしょうか、、

 

 

 

PS

ただの愚痴の記事になってしまいましたね。苦笑

どこにも吐き出す場所が無くて…。

いつも読んでくださり、ありがとうございます◎

火を使うなと言われたAC

食欲不振が解消されつつあります。

先週のカウンセリングで、心理士さんが話してくれた言葉に、助けられているようです。

 

私は料理が苦手で…というか、

父親から言われ続けた言葉に未だ縛られているんですよね。

 

"火を使うな!"

"火事になるぞ!"

 

…確かに火を扱うのは危険が伴いますし、私自身父親から何度も言われ続けて、火に対して "怖いもの" という意識は十分にあるんです。

ですが、何というか…

先の言葉は子供の為になるんでしょうか?

 

"お前には料理も出来ない"

 

…毎度毎度、そのように言われているような気がしました。

 

自分で何か料理をしたい…学生時代、1人でインスタントのラーメンを作れる友達が羨ましかったですね。

 

衣食住とあるように、食は大切なものです。

自分で料理が出来れば、きっと生活が豊かになると思うんです。

 

さて、

 

小さい頃から火の側に近寄ることを禁止された、

火を扱うことを禁止された私ですが、

学校では調理実習がありますよね。

 

もちろん、自ら火の側に近寄ることは出来ませんでした。料理の得意なお友達の指示を受けて、恐る恐るそれをやる…

ですが、ある時から自分の役割を見つけてですね…

 

「洗い物」

 

です。調理中使わなくなった調理器具を洗うというポジションを見つけてからは、用済みのものが出れば率先して洗い、片付けるようになりました。

 

代わりに、

火を使う調理には一切ノータッチです。苦笑

 

高校生にもなれば、洗い場は自分のテリトリーのようなものになりました。

使わなくなった器具を集めて周り、テキパキとさっさと洗って片付けてしまう。

 

高校の家庭科の先生には、その様子をものすごく褒めて貰いましたね…

「あなた、良いわね!」

 

当時はよく分かりませんでしたがね。

自分は火には近寄れないから、洗い物くらいしか出来ることがない…

 

でも確かに、私がいる班の調理場は、試食の際には調理器具が片付けられていたんです。

"洗い奉行" の私が居たおかげか。苦笑

 

今は、先生の言葉の意味が少し分かるような気がします。まだまだ料理は下手くそで、鍋を作るにしてもパッケージとにらめっこ。そして声出し確認。

 

ですが調理が進むにつれて、1つずつ使わなくなった調理器具が出てきます。

洗い奉行だった私は、それを見逃せないんですよね。

 

つい先程も、眠剤が遅くに効いて昼起きしてしまい、料理をしたのですが、

お鍋が出来上がる頃には

 

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何も残っていません。

 

思い返すと、東京での一人暮らしでもそうでした。

洗い場に何か残っていると気持ちが悪い…

 

確かに火を使う料理には未だ抵抗がありますが、

私は学校の調理実習という時間で、確実に大切なことを身に付けたのだと思います。

 

調理と同時進行で洗い物を片していく…

個人の好みもあるかも知れません。

食べ終えた食器も出るから後からまとめて洗う、という方も多いでしょう。

 

"火は怖いもの"

"火の側を離れてはいけない"

それが頭にある私は、本当に一時足りとも動けないんです。苦笑

 

お鍋のグツグツをじー…と見つめる。

洗い場はすぐ隣ですから、火を見守りながら調理器具を片していくのは、最初は忙しくやっていたものの、今では充実感さえ感じます。

時間を有効に使えているような…そんな感じでしょうか?

 

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 だいぶ涼しくなって来たので、室内温度に気をつけて、鍋、再び…!

 

美味しくいただけました。

 

そして、

洗い奉行をして良かったなぁ…と。

料理はこれから少しずつ、

出来るようになりたいです。◎

家族の「理想像」は、曖昧がちょうど良い。

 

今日、腰を痛めたという母の、病院への送り迎えをしました。少しは娘らしいことが出来たのかな…という気持ちでいます。

 

さて、

今回お話したいのは、私がイメージしている理想の家族…

ではなく、それが自分を苦しめることにもなり得るということです。

 

私が子供の頃から、何度も思ったのは

 

"なぜ私の家はこうなんだろう…"

 

他所の家庭と比べて、

その違いに対する疑問でした。

 

そして、何度も感じました。

 

"これさえなければ…"

 

父の乱暴な言動、差別、偏見、

母と兄の苦しい顔、etc…

 

自分の家の中に対して、自分の家族に対しての

望みであり願いであり、理想でした。

 

過去の出来事がフラッシュバックする毎日を送っていると、段々と想いが強くなり、いつしかそれらが執着心になっていることに気付くことがあります。

 

その度に、

虚しさというか…

切なさというか…

 

様々な「たられば」が浮かぶこともありますし、

当時の環境や家族に対して、憎しみを抱いてしまいます。

 

憎しみを抱くこと…それ自体は否定しない方がいいとは思っているものの(否定してしまえば、辛くなりますから)

 

モヤモヤとしたものが、心の中に残っていきます。

 

 

これまで私は

自分の家庭、家族の理想は…

ずっと他所の家庭、家族だと思っていたんです。

 

比べることが当たり前になっていたんですよね。

そして、他所の家庭、家族のようでなければ

 

"いけない" 

 

そうも感じていました。

この時点で…自分で自分の首を絞めているんです。

"〇〇なければいけない" シリーズの中でも、だいぶ最初の一文かも知れません。苦笑

 

私は何か作品を作っている時、…

それに限らず何かを"やりたい" =欲求

から始まったものが、いつの間にか

"やらなければいけない" =義務

 

…ごくごく自然と変わってしまうことがよくあります。自然と…つまり、無意識に変わってしまうんです。

 

子供の頃からの癖なのか、気質なのかは分かりません。

 

しかし、家族に対するイメージも同じです。

私は確かにお友達や他所の家庭、家族に憧れを感じ、羨ましいと感じ、自分の家もそうであって欲しいと思うんです。

 

ですが…

おそらく私はお友達や、他所の家庭、家族の一部分だけしか見ていないという真実…

 

それに気付けなかったんです。

一日中他所の御宅の風景を観察した事もなければ、

その観察を長期間やった実績も無い訳です。

 

何の根拠も無い、純粋な理想だったんです。

 

 

社会人になり、働き出すと、色んな人と接するようになりますね。苦手な人も嫌だな…と感じる人も出てくると思います。

働くことが楽しくて仕方がない!…そんな期間もあれば、働くことってこんなに大変だったっけ?…

そんな想いを抱くこともあるでしょう。

 

理想があまりにも高く、具体的であればあるほど、

人は完全、完璧を目指そうとします。

私も完璧主義を持っていますので、自信を持って言えます。笑

 

しかし、苦しい。

 

理想に届かないと、悔しい気持ちにもなりますし、他人からあれこれと、(そこまでやらなくてもいいのに、…だとか)言われることもあります。

 

自分がアダルトチルドレンだと知り、

過去を振り返り、自分が育った環境…受けた痛みを知ることは大切です。

どうにかしてインナーチャイルド達のために取り戻してあげたいとも、思います。

 

ですが、過去には戻れません。

これは、真実です。

今生きているのは、過去ではなく「今」なんです。

 

 

この先両親と、どのような関係を持てばいいのか…

悩みますね。先ずは、自分がどのような関係で "在りたい" か。それが一番大切でしょう。私のように自分が分からない、そんなACの方は特に。

 

しかし、その周り…

 

少し逸れますが、

退職の際に頂いた花束ですが、まだ咲き続けているお花達が居るんです。

もう頂いて13日経過しているんですが…残ったお花達を自分で生けてみました。

 

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(生け花については全く無知なので、お恥ずかしいんですが…)

 

例えるなら、

真ん中の大きな薔薇=「自分」だとしましょうか。

 

私がコレで家族を例えるなら、葉っぱ=「家族」。

 

……………分かりにくいですね。苦笑

 

えー…何が言いたいかというと、

実はまだ生けれそうな葉っぱは、数種類残ってたんです。ですが、私は上の写真にある形の葉っぱを最終的に選んだんです。

 

その時ですかね、

色んな種類の葉っぱ…

お花には茎があり葉っぱがありますよね。

まるで親の先に、育てた子供が咲いているように。

 

そんな想いの中、私は上の写真にある葉っぱを選びました。なんとなく…合うかな?と思った程度の選び方。

 

この感覚って、すごく大切だなと思ったんです。

 

先の話に繋げるならば、自分がこれから生きる周りの環境ですね。薔薇の周りに咲くお花達は、自分がこれから大切にしたいもので埋め尽くしたいという想いが私にはあります。

 

ですが、葉っぱ…

葉っぱは、何となく合うかな?っていう曖昧なもの。多少形が違っても、緑色であればいいかな?

 

そんな具合。自分が育った家庭や家族は、そんな具合でいいと思うんです。

 

血の繋がりというのは、無くなりませんから。

ACの方の中には両親と縁を切りたい、切ったという方も居られるでしょう。

 

私も正直、何度も思いました。

ですが、今は育ててくれた「感謝」、現に職を失い生活を支えてもらっている現実があります。

 

大切なのは、

葉っぱが無くても咲ける…

葉っぱが有っても咲ける…

 

親が居なくとも自分らしくいれる

親が居ても自分らしくいれる

 

 

これが、私の理想のイメージです。

まだまだ曖昧さが足りない気もしますが、苦笑。

 

 

 

 

PS

 

冒頭の今日の感想ですがね、

私は前日までモヤモヤしてたんですよ。

 

母への意地悪な気持ちも浮かんだし、

(「タクればいいじゃん=タクシーで行けばいいじゃん」)だの、

私を利用しているのか?という被害妄想。

 

かと言えば母が心配で気が狂いそうになる程の不安にも襲われ、

 

なんだかひっちゃかめっちゃかな夜でしたね。

 

しかし朝になって、いつものように珈琲を飲み煙草を吸う。(…身体には悪いですが、アダルトサバイバーのスイッチが入るルーティーンなんです。。)

 

そうすると、昨夜には無かったポジティブな考えが浮かんで

 

"あんなに私の車の運転を心配してたのに。。

タクシーじゃなくて、私に頼むの?

なんだよそれ…(←結構嬉しかったり)

ってか、病院嫌いの母が病院に行ってくれることは…良かった。ホント、いつも無理しすぎるから。。

 

待ってるよね。私を…

頼ってくれてるんだよね、私を。"

 

ファミレスを楽しむ。

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本日の晩ご飯。

偏った食事が中々治せないので、お店では定食を頼むようにしています。

 

"お一人様" なんて言葉がありますが、

私はだいたいお一人様、ですね。

 

食事も、買い物も、カラオケも、

基本1人で入ります。

 

今日は食事についてお話しましょう。

今日入ったお店はファミレス。

 

ファミレス=ファミリーレストラン

 

ファミリーなだけあって、家族連れが多く見られます。

ファミレス好きなんですよ、私。

他所の家族を見るのが。

 

私の父は外食嫌いで、中々外食した思い出は無いのですが…

たまに父はクレーマーみたいになったりするんですがね、

外食というのは、子供の私にとっては家での食卓よりも幾らか、 "安心感" のあるものでした。

 

ですが…

他所の楽しい家族の外食とは、違いました。

静かに食べ、父は早々に食べ終えて煙草を吸いに席を外します。

 

ファミレスに来てる家族は、当時、子供の私にとっては羨ましい光景そのものでした。

しかし、大人になった私…今の私は、ファミレスで食事を楽しむ他所の家族の光景が、微笑ましいんです。

 

特に小さい子供さんがいる家族。

ご両親はとても楽しそうに、子供達の話を聞くんですよ。盛り上がって、子供が注意を受ける場面もあるのですが、行き過ぎた注意ではなく、その後も楽しく食事が続くんですよね。

 

単純に…

お父さん、お母さん、兄弟(姉妹)と外食に来て、

嬉しそうに楽しそうにしている子供達の姿を見ると、

 

(良かったね。美味しいね。楽しいね。)

 

そう…思うんですよね。

 

最近はアダルトチルドレンという言葉はよく記事に書かれますし、機能不全家庭が増えている現実もあります。

 

ACの私が願うことは、自分のような生き辛さを抱えた大人になって欲しく無い…

子供達には子供らしく伸び伸びと過ごして欲しい…

 

それにつきます。

 

だって、大人になってからの方が、

人生はずっと長いんですから。