その「快感」は迷惑でしかない。
もう何週間か前の、ある日のことです。
私は「快感」を味わいました。仕事場で。
数人で協力して縫製をしているんですが、私は普段からなかなか自分の意見が言えません。
チームプレーというものを、これまで避けていたこともあり、迷惑をかけないように…とあれやこれやと考えてしまいます。
何か意見があっても、どうしても "柔らかく" 、"相手を傷付けないように"…そうやって慎重に言葉を選び過ぎて、おそらく半分も伝え切れていないと思います。
そんな私がその日は、自分の意見が言えました。
縫製の段取りについてのことでした。珍しく大きな声で、早口でしたが意見を言えました。
意見が認められ、ホッとしたような嬉しい気持ちになりました。
同時に感じたのは、「快感」でした。
珍しく強気に出た私の発言をちゃんと聞いてもらい、認めてもらい、その後その段取りで進みました。達成感のような何か勝ち取ったような…人が自分の意見に賛同して動いてくれることは、とても気持ちがいいな…と感じました。
しかしここでハッと気付いたのは、
その時の自分と父の姿が頭の中で重なっていました。
もうだいぶ、私が大人に近づいていた時だったと思います。母を責める父の姿に、私は気味の悪さを感じていました。
日によってその攻撃は違うのですが、
父は言動がエスカレートして何度も同じ言葉を繰り返す時があります。声のトーンも声量も、だんだん強く大きくなるのですが、父の表情…
楽しんでいるような、1人で盛り上がっているような…そんな印象を受けて気味が悪いと感じました。
父は1人「快感」を味わっているように見えたのです。
そして、父のモラハラの根源はこの「快感」なのではないか…と私は考えました。
モラルハラスメントと言っても、その問題を抱えている人の状態や環境は人それぞれでしょう。
今からお話することは、あくまで私の父に対する、私なりの考察です。
私の父はよく自分の自慢話をします。
だいたい夕食の食卓です。お酒を飲みながら。
そして自分がどんなすごいことを成し遂げたのか、高らかに家族に話します。自分がどんなに情が厚くて人助けが好きなのか、高らかに話します。
正直、聞いてる方は全然楽しくありません。
楽しみにしていたテレビ番組の音に被せて、父の大きな声が聞こえますから。
自分の自慢話がない時はテレビに向かって文句を言います。
"あいつはろくなやつじゃない"
"太ったやつは自己管理が出来てない"
"下品な女だな"
"この女嫌い"
…正直、うるさいです。
とにかく文句と批評が多い。
そして何より人に対し失礼です。
母と兄は何も言いません。黙って食事を続けています。父に何か言えるのは「娘」の私です。
しかしそんな父でも、文句や批評を言わないテレビ番組があります。それは、クイズ番組。
私はあまり面白いとは思わないのですが、クイズ番組を見ている時の父はご機嫌です。母が先に正解を言おうものなら、「ズルしただろ!」と喰ってかかるのですが、すぐにまた次の問題が出るので「戦争」になることはありません。
父は工場に携わる仕事をしているので、工場に関する問題が大好きです。そして、家族の誰も知らない専門的な知識を持って正解します。
その時は私も「すごいじゃん」と言うのですが、その瞬間の父の表情はとても嬉しそうで、父が感じているのは「快感」以外の何物でもないでしょう。
冒頭に話した私の出来事、私が職場で感じたことは「快感」
…要は人が自分を認めてくれ、自分が思うことに賛同して、動いてくれた「快感」です。
私はこの極端に言うと「人が自分の言うことをきいてくれた」快感、それが父のモラハラの根源ではないかと考えています。
父を不安にさせたり、傷付けてしまうと、被害を被るのはいつも家族です。家族に当たりますから。
「お酒の力は子供に理解できない」の記事で触れたように、私、兄、そして母は極力父がご機嫌なままでいるよう、言動に注意を配っていました。
簡単に言うと父に気を使っていたのです。
余程のことがない限り、みんな父に賛同します。
父の言うことを聞き、認め、父の望む通りに動きます。なぜなら、自分達の身を守るためです。
しかし、「家族が自分の言うことをきいてくれる」
…それが当たり前になってしまうと、ある日言うことをきかない人が現れた時、父は心が不安定になってしまうのでしょう。
人が自分の思い通りに動く…そんなことは不可能です。それが通用するのは、部下を持つ上司くらいでしょう。しかし、家族は部下ではありません。
普段使っているパソコンの調子が悪い時…誰もが経験済みでしょうが、イライラしますよね。パソコンが必要な時であれば尚更。
母が何度か私に言ったのは
「お父さんは私を所有物のように思ってるのかしら…」
そこまで気付いておいて、父から離れるという選択肢が出ないことが私には不思議ですが…
私も母と同じようなことを思ったことがあります。
東京に行きたいと父を説得している中、父の口から出たのは
「俺から逃げるためか?!あ?!」
この時の私は…
錆の付いた鎖で繋がれたような体の痒さを感じました。とても気持ちが悪かったです。
そもそも、「逃げる」って何なんでしょう。
私は飼育されている動物か何かですか?
私は家に住んでいたと思っていたけれど、ここは檻の中でしたか?
とても「不自由」を感じました。
人として接してもらえていないような屈辱も感じ、大人の私は今、思い出して、はらわたが煮えくり返っています。
家族が悪かったのでしょうか?
父を甘やかした家族が悪かったのでしょうか?
違います。
父の言うことをきかなければ、父に従わなければ、みんな父から攻撃されていました。
父は母によく「二択」を迫ります。
ほとんど脅しのような物言いです。
そしてその二択はどちらを取っても嫌なもの。
父はその二択で自分の都合のいい方を選ばせるよう声のトーンや声量を駆使します。とても一生懸命で、調子がいい時はかなりテンポよく責めます。
そして母が父の望む方を選んだ時
父が感じるものは「快感」でしょう。
しかしその「快感」は迷惑でしかありません。
それを求めるがあまり家族を傷付け、勝ち誇ったようにまた食卓にデンと座る。
数年前に父にメールを送った時、
少し本音を書いてみました。
"あなたの下じゃ人は動いても育たない"
これが今頃になって父の心に届いたのか、
「そうかも知れないな…」と母に呟いていたそう。
それを聞いて、私は何も感じることが出来ませんでした。
もちろん、「快感」なんてものありません。