子供の質問

アダルトチルドレンと教えてもらい、それからの日々の事など。

モラハラ夫のQ

家庭内で起こった出来事、

それを私は鮮明に記憶しています。

トラウマです。

 

"調子が良かった" 時期

=自分のために頑張れた日々の後に訪れた、家庭内でのトラウマのフラッシュバック。

 

一度思い出すと、出るは出るは、

全部思い出してしまうんですね。

非常に困ったものです。

 

今でも毎日のようにフラッシュバックに襲われながら過ごしてしまっているのですが、父のナイフのような言葉、けたたましい声、…

思い出すんですがね、お話したいことが見つかりました。

 

私の父は、まぁ嫌な奴なんですよ。

典型的なモラハラ人間です。

 

正直母をdisる(馬鹿にする)度に、父をdisり返したかった…いえ、子供の頃の私でなく、今の私は父をdisり返したい欲求が湧き上がるんです。

フラッシュバックが起こる度に。

 

所謂モラハラ夫の私の父には、家族を攻撃する度にいつも行うことがあったことに気付きました。

 

"質問責め" です。

モラハラの典型かも知れませんね。

自分が有利になるように持っていく作戦です。

 

モラハラ夫のQ(質問)

…略してモラQ!

 

私の家庭内で私が何度も耳にしたモラQは、

 

"別れるのか?!"

"俺が悪いのか?!"

"誰のせいだ?!"

 

「?!」と書いていますが、

一応質問なんですよ。

怒鳴り声で鬼のような顔だけれども、口にしているのは質問。問いかけなんです。

 

子供の耳に入らない目に入らない場所でやってくれれば、子供の私には影響が無かったかも知れません。

 

モラQの最大の問題…いえ作戦は、

相手に答えにくい質問を出していること。

 

あくまで言ってることは質問なんですが、

その怒鳴り声、顔に完全にビビってしまいますし、

露骨に「あなたが悪い」とでも答えれば、その後もっと酷い目に遭うかも知れないという不安に襲われます。

 

私も何度も父のモラQを受けました。

そして不安を感じ、どうにかその場が収まるような、そして父の感情を煽ってはいけない、傷付けないような答えを探したものです。

 

しかし、私がアダルトチルドレン(AC)になってしまった原因の1つとして私が考えているのは、

モラQに対する母の回答です。

 

明らかにどう考えても父が悪いだろうという場面でも、母は父を気遣い父が悪いとは言いませんし、

父が悪いと言わないということは、父にとっては

"しめしめ" …願ったり叶ったりなのです。

 

相手が自分のせいでは無いと答えたのだから、

ここぞとばかりに相手を攻撃します。

そして最後は諭すような言葉も投げかける…

 

これが私の家庭内であった、モラQ作戦です。

そしてこれは、子供の正義感を潰します。

何が正しいことで何が悪いことなのか、子供が抱く大切な自分の正義感、価値観をぶち壊します。

 

捻じ曲げられてしまうんです。

恐怖の中で身を守るために。

 

disり合い…いえ、通常の喧嘩であればまた違った受け止め方をしたでしょう。それでも両親が不仲という不安は子供について回りますし、気が気ではありません。

 

しかしモラQの作戦…

反撃したい、正直に答えたい、

でも恐ろしくて出来ない。。

 

この気持ち悪い、父がよく口にする「道徳」とやらの強制、植え付けは、他人にとって悪影響でしかありません。迷惑極まりない。

 

父を怒鳴れる大人が居れば、

家族がモラQに苦しむことは無かったのかも知れないと、つい考えてしまいます。

 

大人である母がその役割を果たすべきだったのかも知れませんが、1つ屋根の下、父の収入を頼りに生活している中では、そして恐怖の中であった事を考えると、

 

母を責める…気にはなれないんですよね。

同じ被害者であるという意識の方が、子供の私には強いんです。

 

"楽しみもしないし、期待もしなくなった"

アダルトチルドレン(AC)の私には、

ある "ストッパー" があります。

 

困ったことに、そのストッパーによって、私は折角自分で "やりたい" と感じた後に、ブレーキをかけてしまうんです。

 

しまうんです…と言ってみたものの、具体的にイメージ出来るようになったのは、ここ数日のこと。

 

やりたい=アクセル

私はアクセルを踏みつつも、同時にブレーキまで踏んでしまっている…

 

そんな風に感じることが非常に多いんです。。

まるで、 "楽しんではダメだ…!" そんな自分の声が聴こえます。

 

走り書きですが…

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私は上にあるような感情の矢印を、

子供の頃の家庭で繰り返し体験しました。

 

所謂モラハラ夫=父が居た私の家庭内で一番分かりやすいのは、テレビのチャンネルでしょうか。

 

チャンネル争いというのは、どこの家庭でもあると思います。笑

 

しかし、私の家では父が絶対的な権限を握っていました。

どの番組を観るのかも、チャンネルを変えるタイミングも、

父次第。

 

…1つの番組を見続けてくれれば、そこまで苦じゃありませんでした。が、全て父の気分次第。

 

CMが入る度にチャンネルを変えるんです。

最初に付けた番組が自分の観たい番組で無くとも、しばらく観続けていればテレビ世代の私は夢中になって観ます。

しかし突然チャンネルを変えられる…

 

父は…

1つの番組を観続けられない…いえ、

チャンネルを変えなきゃ死んじゃう病気か何かかと疑ったものです。

 

チャンネルを変えちゃ、テレビに向かって文句を言い、

テレビに映る人を差別し、機嫌が悪ければ家族に難癖をつける…。

 

テレビのチャンネルはまだ "可愛い" もの。

 

…嫌な記憶がたくさんありますね。

 

何度も話していますが、

家族でお出かけをするのを楽しみにしても、帰りの車内で突然に戦争が始まりました。

 

ピリピリとした雰囲気、

父は母を攻撃し、

母は悪くもないのに「すいません」と言い、

兄は下を向く…

 

そのせいで、1日が台無しになるんです。

楽しみにしていた1日が、まるで悪夢のような1日に突然に変わるんですよ。

 

でも子供の私は気付きました。

 

(楽しみにするから、

期待するから、

突然ひっくり返された時に悲しくなっちゃう。)

 

年子の兄がどうだったかは知りません。しかし、

私はもう耐えられなかったんです。

 

自分が生きていくには、心をなるべく乱さないように、心が壊れてしまわないように、

 

なるべく

 

楽しみにしない。

期待もしない。

 

楽しみにしてても、期待してても、

思いも寄らないタイミングで壊される。

 

…一種の防衛本能、かも知れませんね。

 

 

私はナタデココが大好きなんですがね、

たまにフルーツポンチなんかに透明の四角いものが入っていると、

(ん?もしや、ナタデココかな?)

とワクワクしちゃうんです。ですが…

それはナタデココでは無く、寒天だった。。という経験が割とあります。苦笑

 

しかしそれが何十回、何百回と続けば、

おそらく私は疑ってかかると思うんです。

 

そして寒天の場合が殆どだったならば、

もうナタデココでは無いだろうと考えるでしょう。

ナタデココだと楽しみにして口にすると、全く食感の違う寒天だった時のショックを味わいたく無いからです。

 

 

防衛本能という面で見れば、ある程度必要なものかも知れません。人間関係では特に、過度な期待は誤解を招く引き金になり得ることがありますから。

 

しかし、自分の "やりたい" ことにストッパーをかけてしまうのは如何なものかと思うのです。

先の防衛本能というのは、ACで無い人も持っているものです。ACの私が抱える問題は、まさに

 

楽しんでは "いけない"

期待しては "いけない"

 

なんです。

困ったものです…。

 

子供時代、自分の心を助けるはずだった、

家庭内で過ごすために必要だったスキルが、

 

折角生まれた自分の欲求にさえ、ストッパーをかける…足枷となっているんです。

 

 

ストッパーが現れた時には、

お気に入りのダンスミュージックでもかけて、

ブレーキを踏む足を緩めたいもの。

 

でなければ、

 

前に進みませんからね。

ACの生きづらさは気質の問題か?

こんな本を見つけました。

 

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「敏感すぎる自分を好きになれる本」

著者: 長沼睦雄

青春出版社

 

HSP気質…というのをご存知でしょうか?

H(High)

S(Sensitive)

P(Person)

 

直訳して "とても敏感な人" 

最近ネットでも記事になるようになった、HSPという言葉。記事を見た時、自分はHSPだな…と確信を持ったものです。

 

しかし、なかなか関連の書籍に出会うことはありませんでした。というのも、未だ日本ではHSPという言葉が認知されておらず、精神科医でも知らない人が多いそうなんです。

そんな中で冒頭の本を見つけた時は、とても嬉しかったですね。

 

一口に「敏感」と言っても、HSPの持つ敏感の対象は人によって様々です。

音や光、感触、電磁波、空気感、人が何を考えているのかが分かってしまう…etc

トータルに敏感な人も居れば、ある1つの感覚が抜きん出て強い人も居るそう。

 

更には、HSPの中には

HSS(HighSensationSeeking)

=刺激を大いに追い求める

 

相反するように見えるHSPとHSSを併せ持ったタイプの人が居るというのです。

そんな "HSS型HSP気質" の存在も、分かりやすく紹介されていました。

このページで印象に残ったのは、

"社会に適応するため、対外的にはHSSの外見で過ごし、1人になると本来のHSPに戻る" タイプの人も居るということ。

 

(あ〜…分かるー…涙)

思わずそう感じましたね。。

 

本を読んだ感想は…

とても読みやすく、HSP気質の方が抱える問題や生きづらさに対して具体的な解決策も書かれてあるので、非常に前向きになれました。何より、敏感であることは長所であり、そして

 

"HSPだから生きづらいのでは無い"

 

ということ。

 

アダルトチルドレン(AC)とは逆ですね。

ACの場合はよく、生きづらさの原因は自分がアダルトチルドレンだからだった!…なんて書かれ方をされます。

 

ACについてブログを書いている私が

今回HSP、HSS型HSPについて書こうと思ったのは、生きづらさを解消するためには自分の気質を知る必要があると思ったからです。

 

なぜ

"HSPだから生きづらいのでは無い" のか。

 

それは、著者の言う通り、HSPというのは「気質」であって生きづらさの原因では無いからです。

生まれ持った敏感すぎるという気質があるから

=生きづらい、…という訳では無いということ。

 

本を読んでとても好感を持ったのは、

最後の章でした。ぶっちゃけ…泣きました。

 

最後の章というのは、

"あなたの身近な人が「とても敏感な人」だったら"

…つまりは非HSPの人に向けてのもの。

 

その中でも多く出てきた言葉は

「子供」、「親」、「先生」など。

 

HSPの子供に対して悪影響を与えるのは、親や学校の先生の "支配欲" なのだと。

 

そうした支配欲を感じ続けたHSPの子供(非HSPの子供が感じない事まで感じ取ってしまう)というのは、自己肯定が出来ず自信もなく、自我も育たないというコース…をたどるのだと。

 

ACの問題に重なります。

 

変に納得がいったんですよね。

どうして自分はACなのか…

人の中でビクビクしてしまうのか、

人と過ごした後にとても疲れてしまうのか、

 

ACと言っても、人によって育った家庭環境は違うし、大変な苦労を強いられ育った人でもたくましく生きてらっしゃる人も居る現実…

なぜ兄のように生きられないのか…

 

それはやはり私にしかない気質があり、

気質自体は何も悪いものではないけれど、

敏感な気質故に家庭内で自分を守るためにやってきたこと…それらが知らず知らずの内にACに成るコースを辿ることになってしまったのだと。

 

 

よく思ったものです。

自分が、鈍感であればどんなに楽に生きられるだろうと。

 

しかし、鈍感であれば気付かなかったことというのは沢山あります。

 

父が母を攻撃する時、

よく理解出来ました。

 

父が帰宅した、玄関の扉を開ける…

まさにその時から感じていました。

 

父がどのような精神状態で、

ナイフのような言葉を放つ度に、

母が父から目を背ける度に、

 

糸がどんどん絡まるような

色が混ざり混ざって濁ってしまうような

 

居心地の悪さ

気持ち悪さ

これからどうなるのか

それを自分はどうすべきなのか

 

そして家庭内の問題を変えられなかった

父を変えられなかった

母を変えられなかった

両親の仲を取り持つことが出来なかった…

 

それらの後悔は大人になっても付いて回り、

全て自分のせいにしてしまいます。

 

ACの問題に加え、色んな事に敏感な故

体調を崩したり、周りが出来ることがすごく難しかったり…

本に書いてあったことは、

"先ずは自分がHSPであることを認めること"

 

私がAC問題について考えていたことと同じでした。

先ずは、認めること。

 

HSP気質であれ、他のどんな気質であれ、

自分の気質…

自分自身を知り認めることは、自分を生きていく上で非常に大切なのだと改めて感じましたね。

 

 

☆作品紹介 「!?」第3話

チイサイカイシャ ウェブマガジン、

"モンスター" にて連載中の「!?」。

第3回が公開されました。

 

http://www.chiisaikaisha.com/monster.html

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今回は未だアダルトチルドレンという言葉も知らない、精神科にも行っていない、

私が東京から戻って古着屋で働いていた頃の話です。

 

はっきり言うと、統合失調症の初期と思われる症状…

いえ、幻視や幻聴が始まった当時の事について描いています。

 

四年前のことを振り返り原稿を描き、

今は不思議な事に、四年前描いた絵をリメイクしています。

 

ウェブマガジン "モンスター" 。

新連載も続々と始まったようですので、そちらも是非ご覧ください◎◎◎

大きな声にビックリするAC

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2016.9.2

 

昨日、久しぶりにカラオケに行きました。

ヒトカラ=1人でカラオケ です。

 

決して上手くは無いのですが、

ヒトカラは好きです。

東京にいた頃も、色んなネガティヴに襲われること、落ち込むことが度々ありましたが、そんな時はよくカラオケに行っていました。もちろん1人で。

 

私の父に対して、私が一番狼狽えてしまう…ビビってしまうのは、父の「声」です。

 

普段から声が大きい父ですが、怒鳴り声や母を攻撃する時に出る声というのは、本当にビックリしてしまう声量であり、加えて顔の表情も恐ろしいものです。

 

しかし、働いていると、父に負けないくらい大きな声を出す方も、もちろんいらっしゃいます。

怒鳴り声はもちろんですが、なんてこと無い普通の会話でさえも、声の大きい人というのは、私にとって苦手なタイプです。完全にビビってしまいます。

 

父の怒鳴り声がトラウマになっているACの私には、そんな他人の声ですら、トラウマを呼び起こす引き金になってしまうことがあるんです。

 

昨日私は3時間、カラオケボックスに篭りました。

そして、思いっきり歌いました。

 

思いっきり声を出した…と言った方がいいかもしれません。

 

腹式呼吸=お腹から声を出すと、人間はとても大きな声を出すことが出来ます。実をいうと、私自身も元々声が大きい人間なんです。

 

しかし、なかなか声の調整というのが難しい…

よく、「声が大きいよ!」なんて友達に言われたものです。特にヒソヒソ話なんかしてる際は。ヒソヒソと小さな声で相手に聞こえるように話すというのは、難しい…。

 

何でしょうか…おそらく私は自分の声の大きさにコンプレックスを抱いていたようです。

友達に言われた言葉もそうですが、元々母親の後ろに隠れるような大人しい性格もあってか、声を必要とする会話は、難しい…それなのに声は大きい。

相手の声量に合わせようとすると、今度は声がスカスカになって、加えて滑舌もイマイチなので、よく聞き返されることが多かったり。

 

昨日、マイクを取って歌い出すと、ビビってしまったんですよね。驚いてしまいました。

 

自分の声量の大きさに。

 

決してマイクの音量が大きい訳じゃないんです。

カラオケに入ると音量を設定するのが私のお決まりなんですが、マイクと音楽は大抵 1:1 にしています。

 

お恥ずかしい話ですが、私は昨日久しぶりのカラオケで、自分の声の大きさに驚いて泣き出すという事をしばらく繰り返しました。

 

しかし、

"あ、コレは慣れる練習になるな"

 

とも思いました。

 

もしこれから父と対面すれば、今の私は攻撃的な言葉をぶつけてしまいそうな不安がありました。

 

大人の私が抱いた "憎しみ" があるからです。

忘れていたはずの、過去の家庭内での父の言動を思い出したからです。

 

しかし歌を歌う…

メロディーに乗せて歌うことは、決して誰かを傷付けることではありません。

 

https://instagram.com/p/BLDd1TNAseI/

上のリンク先には、昨日歌っている私の動画をアップしています。

 

Superflyというアーティスト…

私は19歳の頃、UKロック…とりわけ60年代のロックに夢中になっていました。その時好きだったのはジャニス・ジョップリン

 

彼女の影響を受けたのが、Superflyのボーカル越智志帆さんでした。

 

Superflyの「いつか私は歌をうたう」という曲が好きで、昨日初めて歌ってみたんです。

 

"いつか私 歌をうたうの。

幸せな人にしかうたえない。"

 

冒頭のこの歌詞が、すごく好きなんです。

キーを落とさないと歌えないのですが、それでも歌えて心地良くなりました◎

 

歌を歌うというのが、嫌い、或いは苦手な方も多いと思います。私のインスタグラムのフォロワーさんの中にも、学生時代バカにされて歌うことに抵抗があるという方もいらっしゃいます。

 

だからこそ、お勧めしたいのがヒトカラなんです。

自分1人しか居ませんから、何でも出来ます。笑

 

心の中の想いをマイク越しにとりあえず叫んでみるというのも、なかなかスッキリします。

アパート、もしくは実家ではなかなか出来ませんからね。

 

お腹から声を出すと…腹筋も鍛えられます。(キリッ!

 

喉は使って居ないと、どんどん使えなくなるな…

と昨日感じました。最近は引きこもってばかりで、出掛けるとすれば病院やお習字くらい。

 

朝の起きがけ…非常に声を出しにくいのは、喉がまだ休んでいる状態だからなのだそう。

夕方辺りになると普通に声が出せるのは、食事や人との会話を通してすっかり慣れた状態にあるからなんだそうです。

 

少しずつ、他人と会話をする機会も増やしていきたい所…

大きい声が出せるというのは、ある意味武器でもあると思うんです。例えば私の場合は…

父と口論になった時ですね。

相手の声にも狼狽えず、父に負けないくらいの大きな声を出す力があるというのは、心なしか頼もしい気持ちになります。

 

自分の声に驚いて泣き出してしまう今は…まだ無理かも知れませんが、準備しておくのは1つの手だと思います。

 

最後に…

 

https://instagram.com/p/BLDfx6yAHyx/

こちらはポケモンの曲。アニソンです。

初めて挑戦した「OK!」という曲です。

 

私がカラオケで必ず歌うのは、アニメソング。

大抵「ONE PIECE(ワンピース)」関連を歌うことが多いのですが、「魔女っ子メグちゃん」などの世代違いの物も、気に入れば歌います。

 

アニメソング、お勧めですよ。

 

小さい頃、アニメを観て育った方は多いでしょう。

カラオケではアニメの映像が流れる曲もあるので

(よく映像で感極まって泣き出してしまいます。苦笑)

 

とても懐かしい気持ちになりますし、何より歌詞が前向きで気持ち…テンションを上げてくれるように思います◎

 

自分との対話

今、久しぶりにキャンバスに絵を描いています。

 

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(手に持っているものは、アクリル絵具の乾きを遅らせるアイテム…!元々油彩を習っていた私には、アクリル絵具の乾きの速さには凍りついていました。

コレを使えば、油彩のようなタッチで、キャンバスの上で混色をすることが出来ます。)

 

 

四年前、幻視・幻聴という統合失調症と思われる症状に苦しんでいた時に描いた絵。

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実は、上のような状態で時が止まっていました。

中途半端なキャンバスのサイズのためか、街の公募展には出展出来なかったのです。

 

しかし、小学生の頃からの行きつけの画材屋さん。

そこの店主が、隣街の公募展なら出展出来ると、教えてくれたのです。

 

高校を卒業して描いたものを出展するのは初めて…

木の簡易的な額装しか知らない私に、店主は色々と教えてくれて、額を作ってくださることになりました。ありがたい…

 

中途半端な過去の絵をどうするのか…

 

私の頭には

「先ずは壊す」

 

コレしかありませんでした。

"壊さないと始められない"

 

【ペインター】の口癖でしたね。

 

上の状態から、

 

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こうなって、

 

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こうなり、

 

次には

 

 

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こうなりました。

 

 

何が起こったと思われる方も多いでしょう。

しかし、私はずっとこんな描き方をしています。

ほんの数時間…いえ、時には数秒で絵が変わるのが、私の特徴かも知れません。

 

今回リメイクしたいと思ったのは、「顔」です。

 

周りのものは、四年前に視えたり聴こえたもの。

それはあまり崩したくない…というか、壊す必要は無いと思いました。

 

四年前の感じていた景色に、

今、統合失調症アダルトチルドレン、更には抑うつ神経症

様々な問題や病と向き合った、今の自分の顔を合わせてみたいと思ったんです。

 

楽しい…んですよね。

 

久しぶりでした。楽しいと感じたことも、

イーゼルに鏡を引っ掛けて、

自分の顔をまじまじと見ることも…

 

普段なら鏡なんか見たくない私でしたが、

何故でしょうか…

高校時代、自画像ばかりを描いていた自分が出てきたように思います。【ペインター】です。

 

描くときは

自分の顔が醜いだとか、

目のたるみだとかシミ、シワだの、

それら老化に悲しむことも無く、

まさに「冷静」に、自分を見ることが出来ています。

 

気がつくと、1人で話していましたね。

独り言です。

 

"頬の回り込みには緑色が見えるよ"

"目の位置はもっとこんな感じでね"

"はみ出すくらいが良いんだよ。後で何とでもなるんだから。"

 

 

それら全ては、

紛れもなく私の感じたことであり、

思ったことであり、

考えであり、

 

ちゃんと、私自身の意見なんです。

それを感じれたことがすごく嬉しかった…。

 

私は他の誰でも無い、

誰にも指図されなくとも、

誰にも見張られていなくとも、

誰かの意見に影響を受けることも無く、

 

自分で自分の感じたことを表現出来る…

紛れもない、私自身の

 

「楽しい」と「嬉しい」でした。

 

大きな一歩と共に、

まずは四年前の自分と統合すること…

そんな目的が見つかった制作です。

 

折角額を作っていただくのですから、

頑張って締め切りに間に合わせなくてはいけませんね。笑

 

でも、あくまでそれは緩い縛り。

 

大切なのは、この制作を通して自分にどのような変化が生まれるのか…

それが楽しみです◎◎◎

 

過度な心配が招くものとは?

 

私の父は、物事を大袈裟に話したがります。

おそらく、話すだけでなく大袈裟に物事を受け止めていると、私は感じています。

 

よく父が話していたことは

"いつも最悪の結果を想定しているから、俺は失敗しない"

 

これが、大嘘だと私が気付いたのは、つい最近でしょうか。

 

いえ、父にとってはそうなんでしょう。

最悪の結果を想定しているからこそ、それを防ぐために努力をする…

おそらくそのように伝えたかったのかもしれません。

 

しかし、子供の私は違った受け止め方をしました。

 

"失敗しないためには、いつも最悪の結果を想定しなければいけない"

 

そう受け止めた子供の頃の私は、出来る限り最悪の結果をイメージします。

その後には…

いつも大きな不安に襲われました。

父の真似をしているのだから、これがネガティヴ思考だなんて思いもしなかった。

 

私は長らく、ネガティヴ思考をする訓練をしてきたようなものです。

父の言うことは、仕事であれば理に適ったことかも知れません。トラブルを未然に防ぐために、あらゆる悪い結果も想定して動くことは大切なことでもあるでしょう。

 

しかし、まだ小学校、中学校…自分という人間を作り上げる子供時代には早過ぎました。

 

いつの日か…

失敗しないように、

父に怒鳴られないように、

母が怒鳴られないように、

 

そうするためにはどうしたらいいのか

最悪の結果を防ぐためにはどうするべきなのか

 

…確かに仕事においては、この姿勢が助けになることもありました。些細な事でも気付ける、見逃せません。

しかし、助けになったことよりも困らされたことの方がずっと多く、この姿勢は日常生活にまで首を突っ込んで来ます。

 

自分でも止めたいのに止められない…

 

よく言う強迫概念の1つでしょう。

私が毎日のように家庭内でのトラウマをフラッシュバックしてしまうのも、長らく "最悪の結果" をイメージする訓練をしてきたからだと今は考えています。

 

"失敗したらどうしよう…"

 

これは誰もが持つものだと思います。

大事な試験、人生においての大きな決断、行動に踏み切る際には、誰でも多かれ少なかれ抱く不安ではないでしょうか。

 

しかし、大切なのはその後。

勇気を出して乗り越えるために、不安を抱えてでもそれを突破する力です。

 

その力というのは、体力もそうですがやはり精神面の強さだと私は思うんです。

想像する=イメージする力です。

 

"失敗したらどうしょう" そう考えた後に、

それでも成功する自分をイメージするのか、或いは

"まぁなんとかなるだろう" とイメージするのか、

はたまた、

"絶対に失敗するに違いない"とイメージするのか。

 

いつも最悪の結果をイメージする私は…

お分かりでしょう。最悪の結果をイメージしているのですから、失敗すれば思った通りになったと感じます。

その後に "思ったほどの失敗では無かった!" とプラスに働けば幸い、しかし大抵の場合はその後の更なる悪い不幸を思い描いてしまうのです。

 

 

父は非常に心配性な人であるとも私は考えています。心配性であるからこそ、失敗に対しての恐怖が大きいのでしょう。

仕事が上手くいかない時などは、不機嫌になり怒鳴り散らすという特徴と同じ位、「どうせ俺なんか…」と落ち込み、普段自分が攻撃している対象=母に対し、慰めや同情を求めることが非常に多かったです。

…これもまた、モラハラ夫の典型ともいえるでしょう。

 

父自身のことなら、さほど影響は無かったと思います。しかし父の心配性な部分というのは、他人にも向けられるものでした。とりわけ家族の中でも娘の私に対しての心配な部分というのは大きかったのでしょう。それは私が中学時代、性犯罪に遭ってから、とてつもなく大きなものに変化したと感じています。

 

"父が怒鳴るようなことをしてはいけない"

 

その私の禁止事項には、ごく自然と

 

"父に心配をかけてはいけない"

"父を悲しませてはいけない"

 

これらが加わりました。

 

 

父はこれまで、私が失敗をしないように、あれやこれやと世話をしてくれました。

共依存の記事でも話しましたが、それらは私にとって "余計なお世話" でした。

 

失敗をしない人はいません。

私は失敗を恐れ、更には失敗を "し損ねて"、大人になっても失敗することに対してとてつもない恐怖を抱いているのだと思います。

 

まだシャツ縫製の仕事をしていた頃です。

仕事を辞めることにしたと父に話しました。

 

父は私がニートになると思ったのでしょうか…

 

「もう家を売るしかない!おい、家を売るぞ!」

 

母をまくし立てました。

 

私は耐えきれず、辞めることを止めたんです。

 

当時一緒に働いていた喫煙仲間のお姉さんは、

「え?おかしくない?だって別に飛鳥ちゃんが一家を支えている訳じゃないよね?お父さんもお母さんも仕事してるんだよね?…おかしい…」

 

不思議そうな顔をしていましたね。

私も不思議でした。

不思議でしたが、父のイメージした "最悪の結果" は、ごく自然とイメージ出来ました。

 

おそらく、父は自分が働けなくなった後の事を考えていたのでしょう。単純に。

 

私は何も、一生働かないとは言っていません。

すぐに次の職場を探す気でした。

 

私自身、何を言っているんだと父に対して思っていました。しかし父を悲しませては "いけない" と信じ込んでいたので、こういったやり取りで自分の決めたことを断念した事は沢山あります。

 

過度な心配を受け続けると、

子供は何も出来なくなります。何も出来ない…それは自分が無力だという思い込みよりも

 

"身動きが取れない"

 

それに似ているものだと私は考えています。

 

やりたいことがあろうがなかろうが、

いつも親からの禁止事項で包囲されていまっている状態です。

 

アダルトチルドレンの中には、身体的虐待とは無縁のような方もいらっしゃるでしょう。

私もそうです。

 

心理的虐待とも言い難い、親から大きな世話を受けて育った人間というのは、社会で苦労します。

失敗をし損ねた分、それは年齢と共にプレッシャーのような形で襲いかかることもあるでしょう。

自分はなんでこんなことも出来ないんだ…と落ち込み、気を病む事もあるかも知れません。

 

私は、少しずつ出来ることを増やすよう意識しています。

出来ないのは "当たり前" だと信じる事も必要でしょう。信じた後は、出来るようになるために少しずつ練習を重ねることです。

 

落ち込むのではなく、気を病むのではなく、

まだまだ伸び代があるのだと前向きに考えることです。

 

以前の職場に転職した際、入社当初私はよく言われました。

「もう、落ち着きがないわね!」と。

 

新しい事を前にすると、ワクワクしてしまうんです。いつもに増して多動になります。

感嘆詞が多く、動きも落ち着きがなく…苦笑。

 

26歳という年齢、見た目とのギャップが大きかったのでしょう。

 

少し落ち込んだのを覚えています。笑

しかし、それだけでした。

 

相手の方とは、日が経つにつれ上手く話せるようにもなりましたし、新しい縫製を覚えるのに1人残って練習する姿を見て頂いていたんでしょうね。

 

 

少しずつでいいのです。

自分の決めた決断を成せなかったアダルトチルドレンは多いと思います。

 

少しずつ、階段を登るように生きていければと

私は今意識して生活しています。